15 恋知りのつるじゅわゼリィ 参

 杏一人では歩くのをためらうような通りはたいそう賑わっていた。人の波も克哉の後ろを歩けば恐れずに足らず、目的の店にも問題なくたどり着く。

 百貨店もある通りに悠然と立つ本屋の棚には様々な文具が並べられていた。西洋から仕入れた万年筆はもちろん、優美な線を描かれた文鎮、色鮮やかな絵葉書まである。

 母や先生に見せたら喜びそうだと心を弾ませる杏の隣から声が飛んだ。


圭輔けいすけ! いるだろう。出てこいよ」


 克哉のよく通る声に誰もが振り返る。客や店員の視線が恐い杏は克哉の影に隠れて、ことの成り行きに構えた。

 店先に出てきた男はひどく迷惑そうな顔だ。すっとのびた鼻にのる眼鏡も居心地が悪そうにしている。着流しに法被はっぴ姿の店員ばかりの中、彼だけが洋装の上に法被を着込んでいた。


「騒々しい奴め。執筆の邪魔をするな」

「商才はあっても、文才はからっきしだろう」


 正当な苦情に皮肉を返した克哉は杏に振り返った。


「あれは圭輔って男だ。困った時はアイツに頼るといい」


 隠れる杏に道端の犬など恐くないとでも言うように、克哉は男を指差した。

 圭輔は、とんだ紹介だなと額にかかった髪を邪魔そうにかき上げる。背の中程まである髪を洗髪した後のようにゆるく結んでいた。神経質そうな顔にまとまり切らない横髪が垂れる。残ばらに見えなかったのは艶やかに流れていたからだろう。

 まとまらない髪を持つ杏は男の髪に羨望の眼差しを向けた。

 薄の葉のような髪からのぞく切れ長の目が杏を見つけ、胡散臭そうな顔に転じる。


「その子はなんだ。拾ったのか」


 克哉にも散々な言われ方をしたが、類は友を呼ぶと言うべきか。納得のいかない杏は克哉の腰あたりの服を握った。男から見えないように少し角度を変えてくれたのは、偶然かもしれない。だとしても、杏は手の力をゆるめることができた。


「用事があったから連れてきただけだ」


 克哉の答えに、鼻白んだ圭輔は、それでと間を取った。


「誰の文才がなんだって?」

「だってそうだろう。お前が書いた小説と来たら、ぬいぐるみに毒を隠すとか書いてあって変な話じゃないか。怪しまれるものはさっさと処分するに限る」

「推敲な推理小説を変な話と言うな」


 青筋を立てる圭輔に杏は震え上がったが、無頓着で図太い克哉は取り合わなかった。話の途中でも簡単に切り上げて、包みをずいと押し付ける。


「この前頼まれた分、終わったぞ」

「速いな」


 受け取った圭輔に驚く様子はなかった。先程の会話は挨拶代わりなのか、後を引いていない。包みから取り出した一冊を見分して、問題ないとでも言うように頷く。


「暇なんだな」

「時間はあるからな」


 嫌みの通じない克哉に、圭輔は小さくため息をつく。次のも頼めるかと聞けば、決まりきっているとばかりに克哉は頷いた。

 考え込む素振りを見せた圭輔が慎重に口を開く。


「急ぎがあるんだが」

「何でもいい、よこせ」


 腰に手を当てる克哉を面白くなさそうに一瞥した圭輔は店の奥へと消えた。文具ばかりだと思っていた店の続きには本が並んでいる。

 杏は物影に隠れるようにそろそろと動いて、奥の本をうかがった。

 一番上には洋書、二番目には難しい漢字が並び、よく目の届く一番下には物語が置いてある。本は店員に取ってもらう仕組みみたいだ。

 並んだ克哉は顎を指で擦りながら左から右へと視線を流す。


「この前言っていた本はあるか。題目を覚えてなくてな。また忘れるぐらいなら、お前をつれてきた方が速いと思って」


 杏は丸くした目で克哉を見上げた。

 一月ほど前、先生におすすめだと言われた本を克哉に訊ねたことがある。思い当たると言えばそれぐらいで、まさか覚えているとは思わなかった。

 杏も一緒になって探したが、結局は見当たらなかった。もしかしたら、他の本屋で出版されたものかもしれない。

 肩を落とす杏に克哉はいたずらっぽく笑いかける。


「大丈夫だ。ちゃんと賄賂を持ってきているからな」


 身に覚えのない杏は首を傾げた。

 目を細めた克哉はちょうど戻ってきた圭輔に顔を向ける。


「融通をきかしてほしい本があるんだが」

「なんだ」


 嫌な顔をするかと思えば、あっさりと応じられた。

 杏が瞬く間に克哉が指折り注文する。


「シェルロの洋菓子辞典と、エギリス王宮の晩餐。できたら原作がいい。それから――ほら、どの本だ」


 克哉に小突かれ、杏は固まった。さっき会ったばかりの男に物を申す度胸は持ち合わせていない。軽く背を叩かれ、拳を握った。手汗を感じながら固く結んだ口を開く。


「島猫の、音楽隊」


 やはり、初めての人相手だと口が上手く動かない。


「一週間で用意しよう」


 返ってきたのは感情のこもっていなかったが、杏はうれしくて飛び上がりそうだった。奇異な目を向けられなかったこともあるし、何より気になっていた本が読める。そこまで考えて、はたりと止まり、克哉の袖を引く。


「なんだ、アン」

「……お金」


 口ごもりながら言ったが、伝えたいことはちゃんと伝わったらしい。杏が胸を撫で下ろすのは早計だった。

 克哉は何を言っているばかりに眉を寄せ、頓珍漢なことを言う。


「一緒に賄賂を準備しているじゃないか」


 逆に、杏も何を言っているとぶつけ返したかった。

 賄賂だなんだはわからないが、ほいほいとタダでやろうとしているのか。明けっぴろげな御曹司は平気でそういうことを言うのだ。嫌な予感に眉をひんまげた杏は顎にしわまで寄せた。

 話が進まないと圭輔が割って入る。


「うちは袖の下をもらうほど困っていないぞ」

「金よりもネタに困ってるだろ」


 売り言葉に買い言葉を返した克哉は圭輔の前にある棚上に風呂敷を広げる。


「書く時に摘まめるものがほしいとぼやいていたろ。これなら、腹持ちしてちょうどいい」


 見覚えのある漆塗りの弁当箱に杏は拍子抜けした。

 腕を組んだ克哉は口端を上げ、ガキ大将のように続ける。


「俺とアンからのお代だ」

「これだけか」


 つまらなそうな目を向けられ、さすがの杏もムッとした。見もせず食べもせず、ケチをつけるなんてもっての他だ。

 克哉は何故か、ははと可笑しそうに笑い声を上げる。


「時間がたつと美味くないんだよ。また作ってやる」


 するとどういうわけか、圭輔は包みを手に取った。重さを確認するように持ち上げ、鼻に近付け、ふむと唸った。


「なんだ、これは」

「パート ドゥ フリュイ」

「これが、かの有名な――」

「俺のは毒が入ってないから安心しろ」


 氷のようにひややかな横目が克哉に向けられる。

 向けられた本人はなんてことはない。さぁ食えと言わんばかりに胸を張っていた。

 壮大な自信は何処から来るのだと杏は呆れた眼差しで向けてしまう。

 パート ドゥ フリュイを口に入れた圭輔はいぶかしんでいた瞳を驚きに塗り替えた。吟味するように咀嚼し終えた後、すぐにもうひとつ取ろうとして、はたりと止まる。居心地の悪そうに目線をさ迷わせ、旧友を睨んだ。

 当然だとばかりに克哉の唇は綺麗な弧を描く。


「交渉成立だな」


 異様なまでに怒気を孕んだ目と得意気な目は音のしない言葉で言い合っているようだ。

 ため息をついたのは圭輔で、ひとしきり弁当箱を眺めた後、さっと懐にしまった。ゆうびな動きで腕を組み、本棚の一番上に目をやる。


「港に近づくなよ」

「心配無用だ」


 また、本人たちだけがわかる会話をしている。笑いを堪えながら旧友の肩を叩く克哉が、杏には不思議でたまらなかった。



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