第3話 「個」から「集団」へ

1話目からの

「人はなぜ誕生したのか?」


これについて、順序を踏まえて書いてきた。

では、次の段階では、


精神へと繋がる話だ。


「個」から、「集団」へ。


前回でも少し触れたが、

「個」とは、「自分」であること。


まず、これについて。

「個」と言うのだから、一つしかないわけである。


すなわち、それだけだ。

これを「自分」に置き換えると

そこには「私」であり、

「自分自身」となるわけだ。


ならば、自分の事しかわからないわけで、見えないわけだ。

それしかないわけだから。


その精神、内側にあるもの、

「感情」「感覚」「思考」「性質」等


全てにおいてそれしか見えない、理解出来ないのだ。


なぜなら、比べる者がいないわけだから。


これを「個」から1つ増やすとどうだ。

「2個」

2つのものを比べる事が出来るようになる。


これを「自分」に置き換えると

「自分」と「相手」と言う者ができるわけだ。

自分と相手を比べると、それは、全く一緒ではない。


この違いこそ、解るだろうか?

宇宙からの狙いであり、

また、神々からの狙いでもあるわけだ。


自分と相手の違いを、

大きくすると「集団」となり、中身もより複雑となる。


ここにこそ、精神の最大の進化成長が隠されているのではないか。

もっと言うなれば、


人が誕生した事の狙いがあり、目的、

目標があるのではないだろうか。


私から見て、文明等、見える部分の進化も大事だが、内側、すなわち精神の成長を遂げて初めて、


人が誕生した事の意味があり、

また、

「人間であるという事・・・」

になるのではないだろうか。


精神の「個」から脱出し、「集団」へ移る事に

「個」では、味わう事の出来ない事が多くあるのだ。


そこには

「共感」「共有」「相手を思う事」

それが、

「小さな愛」への始まりであり、


「集団」から生まれる

「友愛」へと変わるのである。


「友愛」とは、

すなわち、自分の隣にいる者を愛せよ

と言う意味であり、

そこには、他人も、性別、年齢、

容姿など差別化の無いものが存在する。


それを、成して行く為には。


そこに不必要な要素とする、


己の内側に存在し得る


闇に影響された心

「我」であり、「自己本位」であり、

「我欲」なのだ。



私達は、その「個」と言う「自分」

「集団」と言う、多くの中の「自分」


これらを行き来しながら、

自分と他者を対峙させ、

比べたり、他者を鏡にしながら自分自身を見たり。

また、自分自身の良い部分を見つけられ、

また、他者の良い部分を見つけ、認めあえる。


そんな自分自身を大事に思えたり。

他者を愛せる自分であるのだ。


これこそが、人間で生まれた事の醍醐味なのではなかろうか。。。



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人間であるという事・・・ 中筒ユリナ @ariosu-siva

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