勇者はハッピーエンドの為に旅をする

式根風座

1話

 城下町のはずれに位置する小高い丘の頂上は、大きい木が一本生えているのみで街の営みを満遍なく見通す事ができた。

 時刻は正午になり、昼ご飯になにを食べようかという緩やかな時間が流れている。

 頂上では青年が目を閉じ、暖かな気候に身を委ねていた。外見からして16、7歳程度。髪は自分で適当に切りそろえた短髪であり、風になびく草の絨毯の上に小さな敷物をし、その上で昼寝をしていたところで・・・・・・

 「んごっ」

 微睡みの中で眠っていた青年の顔に、大きな犬の腹が乗っかる。

 鼻と口を塞がれコフコフと息が漏れ始める。犬はそれに微動だにせず圧力をかけるのを止めなかった。それどころか全身の力を抜いてモッチリと体を預けてくる。

 「・・・・・・ああ窒息するッ!」

 青年が耐えかねて大声を上げながら犬を引き剥がし、起きあがった。犬は首根っこを持ち上げられる格好になったが、懐いているように何の抵抗もしない。


 青年は木の下で胡座をかいていた。そこには彼の持ち物であった革製の水筒と、木の籠。その中にサンドイッチが入っていて、何処からともなく鳥が現れてはパンやトマトをついばんでいる。

 木に成っていたリンゴが何かの拍子にポトリと落ちた。ゆるやかな斜面に接したそれは、なぜか坂をゆっくりと上って青年の足元にまで転がってくる。その現象にビックリしたのだろうか、視界の端には栗鼠が硬直していて、とにかく色んな動物が彼の元に集まっていた。

 「あれ?お前どっかで・・・・・・キリエさんとこの犬?」

 犬はかなりの大型犬で、なんならそこらの子供より大きい。地面におろして顎を撫でてみる。赤い首輪にリードは付いておらず、垂れ耳のままハッハと舌を出して喜んでいた。

 という事は。青年は辺りを見回してみる。

 「あ」

 地平線の下から誰かが登ってくる。黄緑色の艶やかな髪は陽の光に晒されるとどちらにも移ろい、切れ長の耳と鋭い目つき、その顔が明らかになっていく。

 それは自然に生きる人種、エルフと呼ばれる者たちの特徴だった。


 「訓練はどうしたのかしら、クルス」

 彼女の服装は外見上は人間の貴族が着る物に近いが、独特な物だった。ボディラインにピッタリとフィットする黒一色の上着を着用しているが、袖は肩口くらいまでと極端に短く、腰から下もかなり際どいスカートだ。代わりにそこから先は白く透き通るレースのような素材で、袖は手首まで、スカートは膝丈より長く出来ている。

 なぜ黒い上着の部分が短いかというと、彼女が裁断してしまったかららしい。

 黒い箇所の素材は動物の皮であるのに対し、白い素材はエルフの仕立屋だけが出来る芸当――風の中にある魔力を編み込んだ魔力糸作られているという。袖やスカートからはキリエの細く引き締まった腕や足が見えるものの、実際には並大抵の魔獣に噛まれても牙を通さないほどの優れた硬度を誇るのだとか。

 「なんで・・・・・・じゃなかった。偶然だねキリエさん」

 「偶然じゃなくて必然よ。おバカさんが王宮を抜け出してもう1時間は経っているもの」

 彼女の目はピクリとも笑っていない。それどころか腰に提げた細剣に手を添えてさえいる。

 

 「敵対意志のある存在から逃げるのも立派な戦闘訓練だと思うんだけど・・・・・・」

 「確かにそうね。でももう追いつかれてしまったわ、どうするの?」

 木に凭れていて後ずさる事も出来ず、クルスは覚悟して人差し指を向けて叫んだ。

 「キリエさんスカート消えてる!」

 「ーーなっ!?」

 反射的にキリエは両手を素早く股下でクロスさせてしまった。実際にはよほどの事が無い限り魔力糸が消えることはまず無いのだが、彼女はそういう冗談に疎かった。

 「スキあり!」

 戦闘においてそれは致命的な動作。クルスは最短の動作で荷物を持って後方へ全力疾走。

 余計なことをして更に怒られるだろうが、捕まらなければチャラだ。

 そんな甘い考えをしていたクルスに向けて、怒号が飛んでくる。

 「クルスゥゥゥゥ!戻ってきなさい、アホ勇者!」

 「戻れって言われて戻る奴がいるかって!」


 背中に悪寒が突き刺さるが、実際に剣がぶっ刺さっている訳ではない。まだノーダメージだ。

 キリエの訓練の甲斐あってクルスはスタミナだけはいっぱしの兵士さながらとなっている。そのなまじ付いてしまった体力と、日がな遊び呆ける事で付いた土地勘が合わさり、逃げるという事に関してはかなり自信があった。

 「ペプロス!突撃!」

 しかし、キリエの怒鳴り声にヴォフ!という野太い声が反応する。

 近くで聞こえた鳴き声の方を振り向くと、クルスの全力疾走に大型犬が付いてきていた。

 キリエが普段の狩りでも連れて行く珠玉の猟犬である。

 「ぎゃあ!犬!?」

 勢いをつけるため小さな段差を乗り上げ、全身でクルスの右腕に絡みついた。

 時に憲兵が強盗などを捕らえる際に犬を先行させて利き腕を噛ませる事があるが、ペプロスはただ単にクルスにじゃれついただけのつもりだった。

 とはいえペプロスは図体も愛嬌も規格外のビッグサイズ。一度抱きついた相手は何が何でも絶対に離さず、絶えず尻尾を振り回す。


 「ちょ、痛い痛い!犬!俺を売ろうってのか!」

 肩を外されそうな重みにクルスは喘ぐ。小高い丘からは少し距離が離れ、辺りは屋台の並ぶ通りに差し掛かる。時刻は昼食の時間。食堂に並ぶ客や昼休憩をする屋台の店主などが建物の内側に引っ込んでいて、自然と彼らの見せ物になってしまう。

 野菜たっぷりのコンソメスープが名物の店で、店主や客が野次を飛ばしてくる。

 「ああ、駄目だな。ありゃ捕まるわ」

 「クルス!キリエちゃんはすぐそこまで来てるぞ!」

 とはいえ、人通りのある場所に出てしまえばこちら側が優勢だ。クルス一人を相手にするのであれば、キリエは細剣でも魔法でもありったけを使ってくるだろう。だがここでは住人が巻き込まれる可能性を考慮して、それらを使ってこない。

 強いて言えばペプロスを振り解けば一対一に持ち込める。

 「おい犬!あそこのスープ全部食っていいぞ!」

 クルスは犬の絡みついた右腕を掲げ、コンソメスープの鍋を見せた。


 「馬鹿!犬に人間用のスープを飲ませるなよ!塩辛いだろ!」

 「え?じゃ、じゃあ裏手の山盛りのカット野菜全部食え!」

 「アホか!朝5時に仕込んでるんだぞ!」

 ペプロスが標的を変えた宣言の鳴き声と、店主の悲鳴がこだまする。拘束の逃れた右腕のしびれを確認しつつ、走る速度を緩めない。

 キリエとはあとどれくらいの距離なのか、確認しようと後ろを振り向いたその時だった。曲がり角から人間の図体を遙かに越える大仰な化け物が姿を現し、その影に思わず立ち止まる。

 「ちょっ!?」

 ダチョウとペリカンを掛け合わせたような怪鳥の一種が、そこには立っていた。

 嘴が袋状に広がっているのが特徴で、クルスの頭を口内にすっぽり収めてしまう。

 「ああ!お、お客さん!大丈夫か!」

 街角から飼い主の行商人が慌てて現れ、口に入れた物を吐き出すようにと怪鳥の後頭部を叩く。

 街中で次々と人が顔を出し、笑い声に包まれる。

 街の動乱の渦中には、常にクルスの姿があった。

 

 「・・・・・・これも罰よ」

 結局キリエには追いつかれ、クルスの右腕はがっしりと掴まれていた。

 クルスは頭からべっとりと唾液で汚れ、その表情はしわくちゃになっている。首を縮めるた状態のままなのは、唾液が襟の中へ刻一刻と入っていくからだった。しかしそれを脱ぐことすら許されず、荷物も没収されている。

 目の回りもベトベトしていて目を開けると涎が目に入る予感しかない。そうして目を開けられず、キリエに先導されて俯きがちに歩く様はさながら囚人の移送だ。

 「あの、シャワーくらいは許してもらえないでしょうか・・・・・・」

 「駄目よ。どうせ逃げるでしょう」

 「逃げませんし・・・・・・このまま揉みくちゃになる事も・・・・・・」

 「いいから!少しはこのまま反省すること」

 この世界の拷問に本当にありそうだなと思いながら、クルスは心の中で心頭滅却を唱える。

 どう唱えるのかも分からなければ、唾液まみれの時に使う言葉でも無いよなと思いながら。


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