僕たちは今日も屋上で

雨利アマリ

僕たちは今日も屋上で

放課後。屋上の扉が開く。

「こんにちは、西野」

「こんにちは、綾瀬先輩」

「今日も屋上に来たんだね。西野、暇なの?」

「先輩こそ。今日も屋上にいたんですね。他に行くとこないんですか?」

「僕は『屋上の幽霊』だからね」

「幽霊の噂はデタラメでしょう。それに先輩は生霊じゃないですか。私以外には見えてないし」


 三ヶ月前の九月、僕は小学生の女の子を庇って車に轢かれ、気がついたら生霊になっていた。体は今でも病院のベッドで眠ったままだが、そんなことはどうでもいい。両親や学校から解放され勉強もしなくていいのだ。

 落ち込む父や泣いている母になど気にも留めず、僕は毎日遊びまわった。誰にも姿が見えていないのだからと高校に行き、校内をうろうろしたりもしたが、一週間ほどでやることがなくなり屋上で時間を潰そうと考えた。

 そして西野鈴音と出会った。


「出会ってからもう二ヶ月かぁ」

「そうですね」

 フェンスにもたれて二人で座り、話す。

「ところで先輩はいつまで生霊でいるつもりですか?」

「ずっとこのままでもいいかな」

「体に戻ろうと思えば戻れるんじゃないですか?」

「まだ嫌だね。今戻ったらリハビリと受験勉強だよ」

「先輩、三年生ですからね。でも、いつ戻ってもリハビリと勉強はしないといけないんじゃないんですか?」

「そうだね」

「早くしないと留年しちゃいますよ。私と一緒に三年生もう一回します?」

 もう一回三年生かぁ...

 来年も僕がいたら西野は嬉しいのだろうか?

「高校中退したい」

「そうですか。私と一緒は嫌ですか」

「あれ? なんか怒ってる?」

 表情も口調も変わってないけど、声が少し小さくなった。

「いいえ、別に怒ってないですよ。先輩と一緒なら私もがんばって生きてみようかなって思ってただけです」

「二ヶ月前に出会ったときはここから飛び降りようとしてたのに、考え直したのかな」


 二ヶ月前のある日の放課後。僕が初めて屋上を訪れた時、西野はフェンスを乗り越えて、屋上から飛び降りようとしていた。

 僕は自分の姿が見えないことも忘れ、慌てて止めようとした。そして西野と目があった。彼女には僕が見えていた。

 それから、学校のある日は放課後に屋上で二人で話す日々が続いている。


「どうですかね。今でも毎日死にたいと思ってますよ」

「それでも今日もちゃんと生きてるんだね。えらいえらい」

「先輩。それ本気で言ってます? ここから落とされたいんですかね」

 つまらなさそうに西野は言った。

「まさか。本気なわけないじゃないか。嫌なこと我慢して自分の感情を押し殺しながら生きている人間が偉いだなんて、そんな馬鹿なことあっていいはずないだろう」

「そうですか」

「嫌なことや辛いことから逃げることがまるで悪いことみたいじゃないか。僕はそんなの認めたくない」

「確かに今先輩は、生霊でいることで生きることから逃げてますもんね」

「まぁそういうことだよ。それよりも……」

「はい?」

「さっき僕のことここから落とすって言った?」

「ああ、それですか。大丈夫ですよ先輩。私も一緒に落ちてあげますから」

 あ、声が少し楽しそうだ。

「西野、かなり狂ってるよね。それに一緒に落ちても死ぬのは君だけだよ。生霊である僕は死なないよ」

「わかりませんよ? もし今の先輩が命に関わるような目にあったら、肉体にも影響してそのまま死んでしまうかもしれないじゃないですか」

「よくそんな恐ろしいこと思いつくね?でも大丈夫。そんなことにはならないよ。もう試したからさ」

「試したって何をです?」

「自殺。生霊になって二日目に、家の近くのマンションから飛び降りたんだよ。どこも怪我しなかったし、病院にある体の方もなんともなかったよ」

「先輩、よく私に狂ってるなんて言えましたね。先輩の方がおかしいですよ」

「そうかな? でも一度試したくならない?」

「確かに。その気持ちは分かります」

「ほら、やっぱり。僕はおかしくないよ」

「私以外にわかってくれる人いますかね?」

「さぁ、どうだろうね」

 僕たちは顔を見合わせて少し笑った。


「あの、先輩。話は変わりますけど」

「ん? 何?」

「私先輩のこと好きです。一緒に死んでもいいと思う程に」

 抑揚のない声で、無表情のまま、こちらを見もせずに、西野は言った。

「……」

「先輩? 何か言ってくださいよ。恥ずかしいじゃないですか」

「だったらもう少し恥ずかしそうにしてよ。いつも通り無表情じゃないか。告白よりそっちに驚いたよ」

「別に恥ずかしくはないですからね。さあ、先輩。お返事は?」

「まず、僕はどちらに答えればいいのかな? 好きっていう方か一緒に死んでもいいっていう方か」

「私としては、前者に答えて欲しいですけど。それとも本当に一緒に死んでもいいんですか?」

「理由、聞いてもいいかな」

「理由ですか。だから、私は先輩のこと好きなので、先輩と一緒なら死んでもいいって思ってるんです」

「違う。そっちじゃない。好きの理由だよ」

「ああ、そっちですか」

「当たり前でしょ」

「うーん。理由ですか。長くなるかもですけど、いいですか」

「いいよ。学校が閉まるまであと二時間もあるからね」

「では」

「うん」

 少しだけ間を開けて、西野は話し始めた。

「先輩は私に『頑張って』とか、『やれば出来るよ』みたいなこと言わないじゃないですか」

「そうかな?」

「はい。クラスに上手く馴染めてなかった私に『そんな面倒なこと気にせずに本でも読んでたらいいよ』って言ったし、私がテストで悪い点取った時は『まぁそんなもんじゃないの』って言われました。委員会の仕事でミスしたって言ったら『適当に謝るか上手く誤魔化しとけばいい』って言ってたし、両親や先生に怒られて落ち込んでたら『いちいち気にしてたら疲れるだけだから止めときなよ』って言ってくれました」

 確かにそんなこと言った気がする。よく全部覚えているな。

「両親も先生もクラスメイトも、『もっと頑張れ』とか『やれば出来るよ』とかばっかり。でも先輩だけはそんなこと言わないんです」

「そういえば、テスト返された後とか、この前の三者面談の時も言われてたね。『頑張れ』って」

「先輩。何で知ってるんですか? もしかしてこっそり見てたんですか? ストーカーですか」

「おっと。今のは失言だった」

「別にいいですけど」

「でもそれは期待されてるってことじゃないのかな」

「違いますよ、先輩。親が言う『もっと頑張りなさい』とか『しっかりやりなさい』は、『今のお前じゃ駄目だから変わりなさい』って私を否定する言葉。先生が言う『しっかりやれば出来るよ』は『今のままじゃ努力不足だからもっと勉強しなさい』っていうありがたいお叱りの言葉。私より点数が高いクラスの子が言ってた『もっと頑張りなよ』は、私を見下して馬鹿にする言葉。期待なんて優しいものじゃないんですよ」

 なるほどね。少し考えすぎな気もするけれど、僕も感じたことはある。きっと本心からの言葉ではないのだろうなと思ったことは何度もある。

「先輩だけですよ。励ますでもなく貶すでもなく、ただ自分の正直な言葉をくれるのは」

「そっか... 」

「あの、先輩」

「ん?」

「喋り疲れました」

「まあそうだろうね」

 思わず笑いながら僕は答えた。


 しばらくの間、お互い黙ったままだった。

「ねぇ、先輩」

「んー? 休憩はもう終わりかな?」

「はい。次は先輩の番ですよ」

「僕? 何を話せばいいのかな?」

「そうですね……。あ、そうだ。あの子はまだ病室に来てるんですか? 先輩が助けた女の子。ひなちゃん、でしたっけ」

「ああ、この二ヶ月毎日のように来てるんだよ。最初は母親と一緒だったんだけど、最近は一人で来られるようになったんだって。夜病室に行ってみると、枕元に飴玉とかグミとか置いてあるんだよ」

「優しい子ですね。ひなちゃん」

「先週の土曜に来たときに、いつか目を覚ました僕に『私は元気です。助けてくれてありがとう』って言うために毎日頑張ってるって言ってたよ。友達たくさん作って、勉強も頑張って、習い事のピアノの練習もしてるって」

「先輩のお陰でひなちゃんは変われたんですかね?」

「でも、少し申し訳ないんだよ。宿題もあるんだろうし友達と遊んだりもしたいだろうに、毎日僕なんかの所にさ。僕なんかよりよっぽど立派に生きてるよ、あの子は。僕は事故に遭って生霊になったのをいいことに嫌なことから逃げてるってのにね」

「私も変わったほうがいいんですかね? 死にたいとか言って先輩に甘えて、嫌なことから逃げたりせずに。もっと強くなるべきですかね」

「さっきと言ってることが違ってない? 頑張れとか言われるの嫌なんじゃないの?」

「それはそうなんですけど……」

「大丈夫だよ、西野。僕は今の君が好きだから」

「はい?」

 おぉ。今まで見たことないような表情してる。

「いや、だから。西野の告白に対する返事だよ」

「あっ、私さっきしましたね、告白」

「やっぱり忘れてたのか」

「なんだかたくさん話しすぎたので、つい」

「そうだね。僕も危うく忘れるとこだったよ」

「いやぁ、まさかあんな告白でオーケーされるとは。びっくりです。本当に私で大丈夫ですか、先輩」

「だから、大丈夫だって言ってるじゃないか。そんなに不安そうな顔しないでよ。西野らしくもない」

「はい、そうですね」

「あー、そうそう。あと、急に変わるとか強くなるとかそんな面倒なのはしばらく勘弁してよ。あと一ヶ月ぐらいは今までみたいにここでのんびりしてたいよ」

「あれ? 私はてっきり、先輩は今すぐ病室に戻って目を覚まし、リハビリと勉強に勤しむものかと」

「僕がそんなことすると思うかい? 受験が終わる頃に目を覚ましてのんびりリハビリして、来年西野と一緒にもう一度三年生やったほうが楽しそうじゃないか。変わるのはそれからでも遅くはないと思うけどね」

「そう、ですかね?」

「大丈夫。もし変われなくて死にたくなったら、僕が一緒に死んであげるから」

「今日これだけ色々話して、私は少し勇気を出してみたり悩んだりしたのに、先輩は変わらないですね。安心します」

「それはよかった」

「本当に私と一緒に死んでもいいんですか?」

「あれ? 僕思ったより信用されてないのかな? そうだなあ。キスでもする? なんて……」

「してもいいんですか? じゃあ遠慮なく」

「え?」

 西野は僕の首に手を回し顔を近づける。

 そして唇が触れる、直前で彼女は顔を止めた。

「やっぱりやめときます」

 驚いて固まっている僕の目の前で西野は笑って言った。

「ちゃんと生きている先輩としたいですから」

「今のはさすがにびっくりしたよ」

「ですよね。先輩のそんな間抜けな顔初めて見ました。満足です」

「よかったね」

「はい。では、そろそろ私は帰ります」

「そっか。じゃあね、西野」

「先輩、また明日」

 そう言って西野は帰って行った。

 また明日。いつもと同じ挨拶だけど、今日のは少し嬉しそうだった。

「さて。僕も病室に寄ってから朝まで時間を潰そうかな」

 お腹も空かなければ眠くもならない。便利な体だよ、本当。

 明日は何を話そうか。本でも読みながらゆっくり考えよう。


 こうして、何か変わったようで何も変わってなどいない今日が終わる。

 明日が楽しみだ。

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