第3話 ひな祭り
「静江。おひなさまをいつまでも飾っていると、お嫁に行きそびれるからね」
毎年三月三日を過ぎれば、母は傷のあるレコードのように同じ話を奏でていた。
子ども心にしぶとく刺さる。
小学生に上がると、この譜面を
母として、絢子はひな祭りにあたたかい思いを寄せていたのだろう。
「うちはお人形さんが二人っきり、男女の
隣の家にある豪華なものと比べて劣ると思ったことはなかった。
想い出レコードの針が、またもや隣の溝へうさぎのように踊り出した。
「福山のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが買ってくれたものなの。おひなさまはね、代々女親のお家で用意して、子どもや孫の成長を祝うんだよ」
大分、女親、母方の親を強調していた。
母は、静江が生まれた
赤ん坊の私は、そろそろ一歳になる。
たった一枚のスナップが、僅かに微笑む祖父と質素でも着物で訪ねた祖母が畳の上の私を包み込んでいた。
引っ越しを重ねて行く内にアルバムも開くことがなくなったが、佐祐さんに散々、ママの無駄な記憶力と指摘され続けているだけあり、何でも鮮明だ。
「結婚して直ぐに、お母さんの退職金を切り崩して、家計簿と睨めて生活していたってね。結婚記念日にラーメンを食べたことが相当贅沢だったと零していたけれども、楽しい日もあったよね」
今は病床にあり、ICU、Intensive Care Unit、つまりは集中治療室を出られたけれども、予断を許さないお母さんは我が家から凡そ西の方にいると思い、窓に目をやった。
「開頭手術をしたけれども、想い出は私の胸にある。いつまでも心配させて、いつまでも心配して貰い、絡み合った糸が天地創造の天井画そのものだよ。今日は三月三日なのが分かるかな」
どこからか、別のレコードが巡り始めた。
ジュークボックスが私の中にあるのだろう。
「おひなさまを飾りましょう」
私と母が俯瞰で映るのは、
七五三になったら髪を結い上げるのを楽しみに伸ばして、おしゃまな幼稚園生の頃、母と密着した生活を送っていた。
「ひなあられと
押し入れから段ボールを選び取る。
埃っぽい蓋を拭って中を見ると、去年座って貰っていたひな人形に小道具が丁寧に並べてあった。
さらっとした白い紙で全て包んである。
今、思い返しても几帳面な私らしい。
「お母さん。おうちのステレオの上を使ってもいい?」
「いいよ」
四角に畳まれた
「よいしょ。よいしょ」
ひな人形に
「開くと松の絵がかわいいね」
壊れないように小物を並べる。
「
殺伐とした家が華やいだ。
「お母さん。綺麗にできたよ」
家には
過ぎ去った真白家での桃の節句はこんな感じだった。
「まさか、陽康と母が、静江お姉ちゃんは絶対に結婚しないなどと噂しているとは思わなかったよ。だから、色気もない私が夷隅家に嫁いだときは驚いただろうね」
◇◇◇
「うちのひなちゃんには、ひな人形がないの。真白家の静江の子どもだからと特にお母さんはひな人形を買ってあげたがったけれど、夫が揉める元だからと遠慮して、中学生になってもないまま」
ひなが幼稚園でお仕事と称して折り紙細工のひな飾りを持って帰ったので、それを飾っていた。
一度、小学生の頃、母から
「波打つ河よ、母の河よ。子には母がいる筈だよね。お母さんだって一人の絢子さん。私だって一人の静江さん、娘だって一人のひなさん。本日は三月三日だから、どうにかしてお祝いしたいわね」
昨日、佐祐さんにそれはママの考えでやることだから関わらないと言われてがっかりした。
予算はなくともそれなりにできることはあると奮起する。
娘から折り紙を借りて来た。
「桃の節句に相応しい飾りができないかな。そして、ひなには幸せな結婚をして欲しい。結婚に関わらず、健やかで幸福を感じられる生活を送って欲しい。これは、贅沢な願いですか」
綺麗な色を選び、山折りと谷折りとを繰り返す。
「今月もひなの修学旅行費用などの支払いが重なり、何もしてやれない。でもね、ママのちいさな気持ちなの」
簡単なものだが、可愛らしく仕上がった。
ひなを呼んだが、折り紙には興味がないようだ。
その代わり、流行りの韓流アイドルの話や動画について語ってくれた。
ママが誘ったネットラジオの配信についても口にするとは、気分は悪くないのだろう。
「ひなあられには食いついて来ても、雅なことには関心が薄いのね」
安くても甘いものを用意しようかな。
私はこれから病院だ。
寄り道できたら、ひなが笑顔になりそうなものをお土産にしたい。
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