第276話 親子


 父オニキスと娘アメジストがこの日、約束をしていたのは十六時である。


 それから約一時間半もの間、二人はこれまでに経験したことのない心通わせた密な時間を過ごしそれは血の繋がりよりもっと、深く深い信頼を築けた。親子という関係を越え互いに対等な心で寄り添い頼り合うことの出来る、尊敬し合える相手へ――父と娘、記憶に残る大事な時間となった。



 ふと壁掛け時計へ目をやるとその針は十七時半過ぎ。「もうこんな時間」と夕食の時間が近づいていることに、気付く。


「それではお父様、また夜に」


 彼女は深々とお辞儀をしながら挨拶をし自身のシングルソファから立ち上がる。それと同時にオニキスも立ち入口へとゆっくり、歩き始めた。


 その途中、父は娘に声をかける。


「……アメジスト、今日は本当にありがとう」


「そんな! 私の方が感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんお話してくださって、とても重要な時間を過ごせました。ありがとうございます」


「いやずっと、言えなかった私が悪――」


 “ぎゅっ”


「アメジスト……」


 彼女には解っていた。

 本当に辛い思いをしたのは父、オニキスであると。


 どんなに信頼する執事のフォルが知っていたとしても父の心底は孤独に苦しんできたと感じ、その心が彼女の中に沁み入る。その思いから大好きな父にはいつものように優しく笑い元気を出してもらいたいと抱きつく。


 そして精一杯の言葉を、口にした。


「御事情は、理解したつもりでいます。もちろん私自身全てを受け入れるにはまだ少し、心の整理に時間が必要です。それでも、お父様を大好きなこと……尊敬していることにこれからも変わりはありません」


「そうか……ありがとう」

 オニキスの瞳は思わず潤む。しかしグッと堪えるように、いつもの爽やかで安心感のある笑顔で心から感謝の意を、伝える。


「お前のような娘がいて、本当に幸せ者だよ」


「私も、お父様がこんなにお優しくて、温かくて、それからとっても素敵で! 本当に、本当に……幸せです!!」


 心にずっと刺さっていた何かのとげがやっと抜けたようにホッとした感覚になっていたアメジストは、微笑む。その心情はこれまで生きてきた十六年間で――初めて感じる気持ち。


「あぁ、アメジスト。部屋まで送ろう」

「うっふふ! ありがとうございます。でもお父様、ここはお屋敷の中なので、ご心配はいりませんわ」


「そうか? それならいのだが。気を付けて部屋へ戻りなさい」


 彼女はニコッとはにかむと、頷いた。

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