第四話「スクリュードライバー」(2)
彩音がピアノを弾くときは、いつも孤独だった。その孤独を見ないように、音の世界へ渡る術を覚えた。でも今は、彩人の音が彩音を現実に留めさせ、その孤独さえも和らげていく。
この心地良さを、充足感を。彩人も同じように感じてくれたならと、彩音は願った。
そうして二人の音は一曲を終えるごとに洗練されていき、最後の曲を終えた瞬間に訪れたのは、店内に響き渡るほどの大きな拍手だった。
「………」
演奏を終えた達成感に、彩音と彩人はお互いの目を合わせ、褒め称えるように笑い合う。そして、立ち上がった彩人が差し出した手を取り、二人でステージの中央へと歩いて深々と一礼をした。その間も拍手は鳴り止まず、それは二人がカウンターに戻るまで続いていた。
「――お前ら、一体どういう組み合わせなんだよ。思わず鳥肌立ったわ」
そんな二人をカウンターで出迎えたのは、彩人が客であることをすっかり忘れてしまったような、優希の武骨な称賛だった。
「俺も、ピアノを聴いて鳥肌が立ったのは初めてです」
「ありがとうございます」
「ありがとう、オーナー。司くん」
続く司の称賛に、彩音と彩人は顔を見合わせ、照れたように笑い合う。そうしてお互いがいつもの定位置に着くと、柔らかな雰囲気を纏って、二人の時間が始まった。
「いつも客席で、彩音さんのピアノに向かう姿が綺麗で見惚れていたんですが…今夜はその姿を間近で見ていられたので弾き間違えないように必死でした。僕の全神経が、あなたに持っていかれて大変でしたよ」
「――私も、彩人さんの演奏に聞き惚れてしまいました」
いつもなら話半分で聞き流すような褒め言葉も、今日は素直に受け取ることができた。そして、自分の想いを返せた。それは、ピアノを通して、彩人と心を通わせられた感覚がまだ残っているからなのかもしれないと、彩音は思う。
「彩音さんにそう言ってもらえるなんて光栄だな。どうしよう。すごく嬉しい」
「……今夜は、何をお飲みになりますか?」
彩人が蕩けるような微笑みを浮かべた気がして、彩音は自分が好意を持たれていると自惚れないよう雰囲気を変えるためにオーダーを聞く。
「では、スクリュードライバーをお願いします」
「かしこまりました」
こんなに気持ちよくピアノが弾けたのは、本当に久しぶりで。今なら最高の一杯が作れそうだと思った彩音の手は、いつもより軽快に動いていた。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます。いただきます」
カウンターに置かれたグラスに手を伸ばし、彩人が口をつける。
「――久しぶりに楽しくピアノが弾けたからかな。いつもよりお酒がすごく美味しく感じます」
彩人の言葉に、彼も自分と同じことを思っていたんだと、彩音の心が震える。運命という言葉を少し信じてみたくなったという彩人の言葉が、なんとなく分かった気がした。
「ねえ、彩音さん。本番前に、お互いにどんな曲が弾けそうか相談したじゃないですか」
「ええ」
「でも、どの順番でどの曲を弾くかは決めてなくて。その場の雰囲気で、彩音さんに好きに弾いてもらうことになって。それで一曲目があの曲だったとき、彩音さんは僕の心が読めるのかと思ったんですよね」
「え?」
「僕の好きな曲なんです。だから、彩音さんと初めて一緒に弾く曲になって、正直に言うと、今も感動してます」
「そんな…大袈裟な…」
嬉しい。だけど、恥ずかしい。そんな気持ちが滲んだ彩音のはにかんだような微笑みを見て、彩人は眩しそうに目を細めた。
「また、彩音さんと一緒に弾きたいです」
「…はい。私もです」
小さく約束を交わし合い、次はどんな曲を弾こうかと話を弾ませる。そうして二杯目のグラスを空にして、再訪の言葉を残した彩人の背を見送った彩音は、小さく息を零した。
――次はいつ、来てくれるだろうか。
ピアノに関してはもちろん、彩人との会話を楽しんでいる自分に彩音は気づく。たった四回しか会っていないはずなのに、不思議な親近感を感じずにはいられなかった。
そして、まだ恋と呼ぶには未熟な、けれど確かに育っている想いがある。
彩音は自分の心の変化に戸惑いながらも、それを受け入れようとしていた。
第四話「あなたに心を奪われた」
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