第52話 にらまないで!
今のままじゃ駄目なのか? 名倉さんのその問いはつまり、互いを理解しないまま一緒にいるのでは駄目なのか? という問いで、それは今回も俺に迷いをもたらした。
以前彼女が俺に言ったのは、人から友達と思われるのに自分の気持ちはあまり関係がないだとか、思考を他者に任せきりで良いと考えている自分にとって他者の奴隷であることは問題にならないとか、そういう言葉。そのどれもが俺にとってはどうしようもなく選び取れない選択肢で、彼女が今まで選んできた道だった。
友達とか、特別とか、そういう関係は心の通わない欺瞞の上に成り立っていても良いものなのだろうか?
本当に理解し合わないまま慣れ合っているだけで名倉さんは満足なのだろうか?
名倉さんと関わると、分からないことばかりだった。
「……分かり合えないまま一緒にいるだけなんて、負担になるばかりじゃあないか」
思わず言葉が口を衝いて漏れる。
頭に浮かんでいるのは久しく思い出していなかった両親のこと。
自らを理解してもらえない相手と過ごす毎日の価値が俺には分からない。無理解の果てにあるのは無自覚の攻撃だ。無自覚の攻撃者は、俺を悪と決めつける。
母親も、生徒会の連中も、体育会系の奴らも、全員そうだった。
俺はどこか縋るような目で名倉さんを見ていたと思う。そんな俺を、彼女は困ったような目で見かえした。
「私は……浅野くんと一緒にいられたらうれしいよ?」
「俺が名倉さんを理解できなくても?」
「浅野くんは、私を気持ち悪いって言わないから。それだけでもう、十分なんだ~」
名倉さんの笑顔は、どうやら本心のように見えた。
それでも俺が不安なのは、きっとこれが俺の問題だからだ。俺はまるで十分だなんて思っていなかった。
友達でいるなら全て知りたかったし、全てを知って維持できなくなる関係性なら早く無くしてしまいたい。いずれ崩壊する関係を続ける意味が、やはり俺にはよく分からない。
本心を押し隠してクラスの人間と仲良くしていた彼女とは、根本的に違うのだ。
ただ気になるのは、最近の名倉さんは一人でいる時間が増えていること。彼女だって本当は、分かり合えない人間と一緒にいることの不毛さを分かっているのではないか?
名倉さんの目を見る。その視線は真っすぐこちらに向いていた。
俺は少したじろぎながらも口を開く。
「お、俺は……」
言葉を続けられなかった。
そこから続くのは彼女の言葉を感情的に真っ向から棄却する意見で、そういう言葉はどうにも言いづらい。
夏休みの前までは、こんなことなかったのだがな。
「……」
コミュニケーションの放棄は決して俺の目指すところではない。しかし俺は、どうにも本音を吐き出せなかった。
だって俺の本音は要するに『名倉さんのことを理解できないと認めたくない』なんていう、ただの我儘なのだから。
俺は一度名倉さんを拒絶し遠ざけた。今だって名倉さんへの恐怖は消えていない。
俺が名倉さんのことを理解できないのはただの事実でしかないのに、それを認めたくないなんて駄々を捏ねてどうする? 名倉さんを困らせるだけだ。
人と人とは分かり合えない。そんな、ありきたりな絶望が立ちふさがる。
「名倉さん」
「なにかな?」
「人に理解されたいとか、思わないのか?」
俺の質問に、彼女はにっこりと笑った。
「もう諦めたから、大丈夫だよ~」
「……そうか」
なんだか、その笑顔が悔しかった。
諦めというその一点に於いて、俺はある種の自負があったから。
今まで色々なことを諦めてきたつもりだった。戦うことも期待することも希望を持つもつことも、全部諦めて生きて来たのだ。
でも最近はなんだか今までと違っていて、何かに期待していて、漠然と頑張ろうと思えていて……それなのに俺と違って名倉さんの本質的な部分は揺らいでいない。
徹底的に諦めきった彼女の姿に、俺は確実な憧憬を覚える。
「キモッ!」
切り裂くように言葉を差し込んだのは、いつの間にか目を覚ましていたあゆみだった。
「キモキモキモキモッ! 未練がましく晋作が置いてった本読み返してるクセして! ウソばっか! お前のそういうとこが嫌い!」
「あゆみちゃん、どうしたの急に?」
名倉さんが困惑したように尋ねると、あゆみは一層顔をしかめた。
「晋作は話ちゃんと聞いてくれるのに、お前がウソばっかりでムカつくって言ってんの! 人とちゃんと話す気ないのに家族面とか友達面とかやめろ! バカッ!」
「……気持ち悪いものと気持ち悪くないものが分かるあゆみちゃんには、私のことなんて分からないよ」
「は? なにそれ! 意味不明!」
二人の間に流れる空気は、傍から見るとどこまでもすれ違っているように思えた。
俺がここに居る意味は何だろうか?
急に会話からはじき出された俺は、そんなことを考える。
この一瞬で、会話が俺と名倉さんの問題から、あゆみと名倉さんの問題にズレていて、だから心底居心地が悪い。しかし同時に、俺は名倉さんの視線が逸れたことにどこか安堵していた。
二人の言い合いは今の続いている。
俺はただ、黙って見ていた。
二人の会話の内容は何故だか頭に入ってこない。
自分の家なのに居心地が悪い感じは実家を思い出した。
あゆみと名倉さんは、何故こうも相性が悪いのだろう?
何故これだけすれ違うのだろう?
何故俺と話しているときのようにできないのだろう?
「……」
面倒くさくなって、俺はそっと立ち上がった。散歩にでも行こうと思ったのだ。
「ちょっと! どこ行くの!」
あゆみに呼び止められる。意外だった。
俺のことなんか目に入らないだろうと、目に入っても気にも留めないだろうと、そう考えていたから。
「いや、すまない。だがどうにも居心地が悪くてね」
「お前、そうやって逃げてばっかだったら、いつかどうしようもなくなるんじゃない?」
大人のようなことを言う。
「そうかな? 今まではこれで何とかなってきたけれど」
俺がそう言うと、あゆみは顔を顰める。
しかし、次に彼女が口にしたのは意外にも謝罪の言葉だった。
「……ごめん」
「あ、あ、私も、ごめんね?」
あゆみに続けて名倉さんも謝罪する。
しかし彼女の謝罪は、何となくあゆみに合わせて言っているだけのように見えた。そのことにあゆみも気が付いたのだろう、嫌そうな視線を名倉さんに向ける。
「今日はもう帰る……」
「そうか、分かった」
あゆみは振り返らず、玄関に向かった。
俺は何と声を掛けるべきか悩み言葉を探すが、結局大した言葉は見つからなかった。
「……明日も、来て良いからな」
あゆみは返事をしなかったが、家を出る際に軽くドアを蹴った。
恐らくあれが彼女なりの返答なのだろう。俺は何故か少しだけほっとして、しばらく玄関を見つめた。
「……」
シンとした静寂が俺と名倉さんの間に流れる。
名倉さんの視線が突き刺さるようだ。俺はどうにも話し出すことができなくて、風邪を言い訳にベッドへ潜り込む。
名倉さんは気にした様子もなく、夏休みのあの日々と同じように俺を見つめ続けていた。
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