第51話 私は全部、分かってる

「いやあ、しかし……二人は最近、どうなのかな」


 おかゆを食べる様を無言で見つめ続けられる状況がどうにも耐え難く、俺は思わず中身のない問いを投げかける。


「別にふつー」


「あ、私は、えと、浅野くん、あ、あ……」


 返ってきたのはそれだけ。

 再び場は静寂に支配される。気まずさは据え置きである。


「……いや実際のところ、家の方ではどうなんだ? 最近の二人をそれぞれ見ていると、そこまで険悪になるほど相性が悪いとは思えんのでね」


「は?」


 あゆみはジロリと俺を睨んだ。

 なにやら勘違いをさせたのかもしれない。俺は急いで補足する。


「別に仲良くしろと言うつもりはない。ただ、各々が変わったのに関係がそのままというのも違和感があるだろう?」


「別に良いでしょ、嫌いな奴のこといちいち気にするほど暇じゃないし」


「うーん……私も今は、そんなにあゆみちゃんと仲良くする気ないかな。というか、浅野くんさえいてくれたらそれで」


 少し予想外の返答が名倉さんの口から出る。

 俺がどう反応したものかと決める間もなく、そこにあゆみが噛みついた。


「は? なにそれキモ」


「っ! え、そ、そうかなぁ……?」


 しょんぼりと落ち込んで見せる名倉さんに、あゆみは少し焦ったようすで「うるさい! キモイ!」と繰り返す。

 以前の名倉さんであれば、そういうことを言ってはいけないと諭す場面のように思われるが。

 いかにもな姉として振る舞うのは止めたのだろうか?


 反撃の来ないコミュニケーションに慣れていないのか、あゆみは尚も「うるさい! キモイ!」と言い続けている。

 このままでは埒が明かない。

 そもそもの口火を切ったのは俺なので、良いところで割って入った。


「あゆみ君、そろそろ止めたまえ」


「は? なんでよ、だいたいコイツが悪いじゃん! 晋作はやっぱコイツみたいなヤツの方が良いんだ!」


 あゆみは矛を俺に向ける。

 最近はずっと二人きりだったから、あゆみも安定してきたように見えていたが、存外彼女の本質は不安定なままだったのかもしれない。


「……アイス買ってやろうか?」


 返答に窮した俺の言葉に、あゆみは分かりやすく眉を吊り上げる。


「子供扱いすんな! バカ!」


 そう言うと彼女は立ち上がり、的確に俺の脇腹を蹴った。


「やめてくれ、おかゆが零れる」


 俺がそう言うと、いつもの流れであゆみは足を下ろした。

 これで丸く収まる。そう思った矢先に名倉さんが声を上げる。


「ちょっと、あゆみちゃん」


「うっさい!」


 再び険悪な空気。

 どうにもテンポが確立していない面子での会話はやりにくい。


「待ってくれ名倉さん」


「え、でも浅野くん……」


 今度は名倉さんが、今にも泣きだしてしまいそうな顔で俺を見る。

 なんか凄いな、もう現実逃避してベッドに潜り込みたくなってきた。

 というか俺、病人なので眠っても文句を言われる謂れは無いのでは?


 俺はおかゆを置いて毛布を被り、そっとベッドに横たわる。


「バカ!」


 あゆみに布団をはぎ取られた。誠に遺憾である。


「やめたまえ、俺は病人だぞ」


「だからって今ねるな!」


 ピクッと再び名倉さんが反応しそうな予兆を見せる。

 これ以上この場がややこしくなるのは本意でない。

 俺は急いで口を開いた。


「あゆみ君も寝たまえ」


「は?」


「……ほれ」


 俺が掛け布団を持ち上げて招き入れると、存外あゆみは大人しく隣で丸くなった。

 風邪がうつると良くないからあまりやりたくは無かったのだが、背に腹は代えられない。

 もしもあゆみが寝込んだら、差し入れくらいは持って行ってやろう。


 ふと、名倉さんからの視線を感じる。

 夏休みに似たようなやり取りがあったことを思い出した。

 たしかあの時は名倉さんがベッドの上で、俺とあゆみが布団で寝たのだ。


 恐らくあの時と同じように、彼女も一緒に寝たいのだろう。

 確かにこの状況で一人外から眺めていろというのも酷である。


「どうぞ」


 あゆみを間に挟めばギリギリセーフと判断し、俺は緊張しながら名倉さんもベッドに招き入れる。

 名倉さんは「ありがとう」と小声で言って、照れくさそうにベッドに入ってきた。


 結果として一枚の毛布だと三人横並びの川の字を覆うには小さく、俺はベッドの隅で何も被らず横たわる運びとなる。

 俺、病人なのにな……。


+++++


 まどろみの中、首に何かが触れている感覚。

 俺は瞬時に目を開いた。

 視界に入るのは名倉さんの顔と、俺の首元に伸びた手。

 腹部には重みを感じる。どうやら彼女は俺に馬乗りになっているようだった。


 名倉さんと目が合う。ドキリとした。


「あ、あ、あの、浅野くん、これは違うよ? 少し首を触っていただけで、絞めようとしていたわけじゃ……ほ、ホントだよ?」


 名倉さんは咄嗟に俺の首から手を離し、わたわたと早口にまくしたてる。

 俺はその姿を、寝起きの回らない頭でどこか冷静に見つめていた。


「分かった」


「え、あ……信じてくれるの? ううん、信じてくれるんだよね、浅野くんは。なんだか私、逆に困っちゃうや」


 照れた名倉さんの表情は、とても先ほどまで首を絞めようとしていた人間には見えない。


 ……やはり殺害計画を企てているのは名倉さんなのか? そんな考えが頭を過るが、表情などという不確かなもので結論を出してしまえるほど俺は素直じゃない。


「名倉さんは今、俺を殺そうと思えば殺せるな」


「え?」


 彼女の表情が凍りつく。

 少し、背筋が冷えた。


 ただでさえ身長は名倉さんの方が高いのに、馬乗りになられたままの現状は圧倒的に不利だ。

 もしも名倉さんが俺を本気で殺す気になれば、俺は死ぬだろう。

 でも、こんな状況だからこそ、俺は彼女を信じるために仕掛けなければならなかった。


「あ、浅野くんのこと、私は殺したりしないよ?」


「殺したいとは思わないのか?」


「お、思わないよ……どうしてそんなこと聞くの?」


 今にも泣きだしそうな彼女の瞳を見る。

 しかし、その真意は分からない。

 俺と彼女は似ているけれど、それ以上に彼女の欲求が理解不能だったから。

 俺が目の前にして逃げてしまった彼女の本心、その加害欲求をなあなあにしたままでは、やはり彼女の前にいられない。

 俺はしっかりと彼女のことを理解して、結論を出すべきなのだ。

 でなければいつまでも、首を絞められるのではないか、殺されるのではないかと、彼女の前で怯え続けることになる。


「名倉さんのことを、俺はちゃんと理解したい。何故、俺の首を絞めることに拘るのか? 首を絞めたいという欲求は殺したいということなのか? 名倉さんは首を絞めることで何を得ようとしているのか? 俺はまだ何も知らない」


「っ!」


 名倉さんは驚いたような表情で顔を赤くする。

 俺は、名倉さんに初めて本心を聞いたときと同じように、まとまらない自分の気持ちを一気に吐き出した。


「本当のことを言うとね、名倉さんから文化祭を一緒に回ろうと誘われたとき、俺は殺されるのではないかと考えていたんだ。ふとした瞬間に、首を絞められるのではないかと君を恐れている。だが前にも言った通り、俺は君が怖いけれど、嫌いではないんだ。嫌いではないから一緒にいたい。怖くない、理解できる存在として名倉さんを見たい……そして、それでも名倉さんが恐ろしいなら、俺は君と一緒にはいられない」


 名倉さんは顔を青くして目を逸らす。

 俺はそれでも、彼女を見ていた。


「……私は浅野くんの首を絞めない。そう約束するだけじゃ、ダメ?」


 俯いたままの彼女は、ポツリポツリと言葉を漏らす。


「絶対、私のことなんか理解できないよ。話したら話すだけ、浅野くんを怖がらせちゃう。私のことを全部話しちゃったら、きっと浅野くんは私と一緒にいてくれなくなる。もう本心は話したよ? でも、それは受け入れてもらえなかった。これ以上話しても意味ないって。それに私は、一緒にいられたら理解なんかいらないの」


 彼女は視線を上げ、上目遣いで俺を見る。


「今のままじゃ、ダメなの?」

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