第43話 がっこうたんけん
朝、ねむい。
けど、起きなきゃ。
私は目覚ましを止めて準備を始めた。
晋作の運動会を見に行こうと思ってたから、日曜だけど頑張って起きた。
眠いとなんか、服着るのが難しくなる。
一回目は首のとこから右手が出てきた。二回目は前と後ろが逆だった。三回目で服が裏返しになってて、ムカッとしたから服を投げた。
でも、すぐ拾って、今度はちゃんと着れた。
他の準備は昨日やっておいたから大丈夫。
私は遠足のときに使うリュックを背負って家から出た。
名倉桃子と名倉信一郎は寝てる。休日だから。
別に、私には関係ないけど。起きてたらめんどいし、良かった。
空は晴れだった。
運動会は晋作あんまり好きじゃなさそうなのに、天気がこんな感じでちょっとかわいそう。ウケる。
晋作、私の教えたダンスちゃんとおどれるかな?
ザコだし、へたっぴだから無理か。
晋作はかけっこもどうせ最下位だし、ちょっとなぐさめてやろっかな。
でもなー! 簡単になぐさめてたら、晋作の教育に悪いからなー!
私はリュックの紐の部分をいじりながら歩く。そしたら、声をかけられた。
「こんにちは、お散歩? ニコニコして、何かいいことあった?」
知らないババアだった。
びっくりた。あと、なんか急に恥ずかしくなった。
別にニコニコとかしてないし、大人とくゆうの子供をバカにした感じが嫌だった。
だから無視して通り過ぎた。
ちょっと怖かった。
だいたい、優しい人ぶってるやつ、キライだし。
ああいう人たちって、私がどんな態度してても子供のわりにすごいとか、子供なのに頑張ってるとか、子供のくせに、子供なりに、子供だから、子供らしく、みたいな感じでキモい。
子供相手じゃないと大人ぶれないから、私に子供でいてほしいんだと思う。
晋作は自分がザコだって思ってるから、ちゃんと私の話聞くのに。
チラッと後ろを見たら、もうさっきの人はいなくなっていた。
バカばっか。
石を蹴った。
+++++
晋作の学校に近づくと、ちょっとずつ大人の数が増えて来た。
たぶん、この人たちも運動会を見に来てるんだと思う。
人がいっぱいで、自然と下を見た。
なんか急に、一人で高校に来てるのがちょっと不安になった。
帰ろっかな……。
でも、入り口から入ってくる人が多くて、あんまり逆行はできない感じだった。
こういうときに、身長大きくなりたいって思う。あと思うときは、部屋の電気のスイッチ押すとき。スイッチ押すために上見て、手も上に伸ばすと、ちょっとつかれるから。
「…………」
本当に、どっち向いても人ばっか。
ここに居ても、晋作見つけるの無理だ。
私は大人達の間を抜けて、なんとか人の少ないところを探した。
歩いても歩いても、どこなら人が少ないのか分からない。
なんか空が晴れてて明るいときに感じる不安って、夜より独りぼっちな感じでイヤ。
そんな風に思ってたら、人の数が急に減った。
横道にそれたからだ。そして目の前には、校舎に続く道があった。
もう暑かったし、窓の向こうの中庭に給水機があったから、大人たちの流れを抜けて校舎の方に行く。
学校の中なのに給水機があるのは、図書館みたいでちょっとすごいと思う。
校舎に入ってドアを閉めたら、一気に静かになった。
ミンミンゼミは鳴いてるけど、大人達の出す音が遠くなった感じ。
日陰で涼しくて、誰もいなくて、少し悪いことしている気分。
なんか、小学校より大きい気がする。
私は一人だったから、中庭を横目にずんずん進んだ。
人がいなくなって不安も小さくなる。
誰かと一緒にいると安心するのが世界のふつうだと思うけど、一人だったら絶対誰にも怒鳴られないって分かってるから、考えたら一人の方が安心するって分かるはず。
みんなバカ。
「……あ」
中庭の入り口を見つけた。
給水機もすぐ近くにある。
私は少しドキドキしながら、給水機に近づいた。
高校生用の大きいやつだから、ちょっと飲みにくい。
冷たい金属のボタンを押すと、水がピューっと勢いよく出てきた。
そのまま水が給水機の受け皿に落ちて、細かい水滴が顔に跳ねる。
冷たくて、気持ち良かった。
噴水みたいな水の流れをしばらく眺めてみる。
「……ねえ、飲まないの?」
「わ」
驚いて後ろを振り向くと、高校生の女子がいた。
知らないやつに見られてたって思うと、急に恥ずかしくなってくる。
「やあ、私は芥屋先輩だよ。君の名前は?」
変な大人は手を後ろで組んで、ニッコリとしていた。
白々しい笑顔は、名倉花香のザコバージョンって感じ。
私は無視して水を飲んだ。
こいつがどっか行くまで飲み続けてやろうと思ったけど、歯がキーンとなったので止めた。
「迷子かい? 私が本部テントまで連れて行ってあげよう」
「いい」
「じゃあ、行こう」
「行かない! いいっていうのは、連れて行かなくていいって意味!」
子供だからって甘く見られた!
こいつもバカな大人だ!
私が振り返って走って逃げようとしたら、後ろから「あゆみちゃんだろう?」と声をかけられた。
名前なんか言ってないのに。
背中がビクッてして、体が固まる。
怖かった。
「後輩ちゃん……平川優芽氏から君のことを聞いていたんだよ。知り合いだろう? リュックに聞き覚えのある名前が書いてあったから、声を掛けたんだ」
私の様子を察して不審者が付け加えてくる。
平川優芽の知り合いかって一瞬思ったけど、でも信用なんてしない。
大人は嘘つきで、約束を忘れて、自分の言ったことに責任も持たないバカだから。
防犯ブザーに指をかける。
でも周りに人がいないから、あんまり意味ない。
「わあ! 待って待って待って待って! ごめんね! 驚かせちゃったね!?」
この不審者はバカだから、意味ない防犯ブザーにもビビった。
その隙をついて逃げる。
なんだかいつもより、しっかり床を踏みしめられている気がした。
初めてだった、廊下を走るのなんて。
教師に絡まれるのがめんどくさいだけだから、バカのやることだと思ってた。
でも、違う。
ぐんぐん壁や教室の扉が後ろに流れて行って、道は真っすぐに続いていて、自分がいつもの何倍も速く走れてるみたいな気持ちになる。
楽しい! 楽しい! 楽しい!
どんどん走って、横滑りしながら廊下を曲がって、もう不審者のことなんて忘れた。
今だけ無敵だった。
バッと私は外に走り出た。
太陽も、ミンミンゼミも、空も、世界を広げていた。
「……あ」
急に心が小さくしぼんで、私が私に戻ってく。
運動場の端っこで、名倉桃子と名倉真一郎がカメラやバッグを持って座っていた。
名倉花香の運動会を見に来たんだ。
私の運動会は、めんどくさがって一回も見に来たことないのに。
……廊下なんか走ったって、なんにも変わらない。
バカなだけ。
バーカ。
ぼーっと、名倉桃子と名倉真一郎を眺めていた。ずっと。二人とも楽しそうで、でも、最後まで私に気づかなかった。
知ってたけど。
私はなんか、全部どうでもいい気分で高校から出た。
太陽はギラギラ、ミンミンゼミはうるさい、空は青くて、キモかった。
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