第42話 いっかい休み
私はとても緊張していました。
けれども、空はまるで作り物のように真っ青です。
ニコニコと笑っているべき朗らかな天気の下で、どうしたって私は浅野くんから目が離せませんでした。
今日のできごとに、本当の所まだ頭が追い付いていません。
私は間違えました。
浅野くんは、私に怯えて手足を震わせていたはずなのです。
けれど浅野くんは、私のことが怖かったけれど、嫌いになったわけではないと言いました。
気持ち悪いとも、思っていないそうです。
本当でしょうか?
夏休みが明けてから、私は人と話す度に嘘を吐き続けているような感覚がしています。
そして、そのせいで自分以外の人も嘘を吐いている気がしてならないのです。
浅野くんをどれだけ見ても、何が本心で何が嘘なのか分かりません。
でも、嘘でも良いという気もしています。
私が自分の意思で吐く嘘は、全部浅野くんに好かれたいと思って吐く嘘だからです。
私が『浅野くんと普通のことをしたい』と言ったのと同じように、浅野くんも『気持ち悪いと思ったわけではない』と言っていたら、それはきっと素敵なことです。
浅野くんは誰にでも優しいけど、私への優しさは特別な気がする。
そうとしか思えない。
だから私は、体育祭に行きたくなかった理由を話したくなりました。
「あの、浅野くん」
「ん? なにかね?」
浅野くんは目だけを動かしてこちらを見ます。
その動きはきっと格好つけで、仰々しい口調もたぶん格好つけです。
そして私にはそれが、堪らなく格好よく見えるのです。
「体育祭に行きたくなかった理由、そんなに大した話じゃないんだけどね、ちょっと、その、浅野くんに話したくって……いい?」
「ああ、無論だ」
「ふふ」
彼の格好いい話し方に少し笑ってしまい、それを怪訝な目で見られます。
私は誤魔化すように咳払いして、何事もなかったかのように体育祭の話を始めることにしました。
「浅野くんは、あんまり応援練習好きじゃなかったみたいだから知らないかもだけど、なんか2日前にね、二年生の女子はチアガールの格好することになって」
浅野くんはチラッと私の顔を見て、次に遠くを見ているような目になって、それで「ああ」と短く言いました。
なんだか私さえ知らない私のことを見透かされているようで、ドクドクと心臓が早くなります。
「それでね、その、そのチアガールの服、ちょっとスカートが短いの。なんだかそれが……すごく、えっと、すごく……」
ここから先を言ってしまったら、自分が全く違うイキモノに変わってしまいそうな気がしました。
「…………」
何も言えなくなってしまいました。
こういうときに、私の頭にはお母さんの声が響きます。
すると余計に何も言えなくなって、焦りばかりが募るのです。
黙ることは間違いです。
頭が「何か言わなくちゃ」で一杯になって、でも正解が分かりません。
「あ、あの、えっと、えと……」
「不愉快だよな」
真っ暗になった頭に、浅野くんの声がしました。
「体育祭で妙な格好をさせられて、妙な動きで見世物にならざるを得ない状況は、実に不愉快極まりない。俺にも覚えがある、アレは酷く自尊心をやられる」
「あ、う、ぅ……ん」
私は浅野くんの目を見て、小さく頷きました。頷いてしまいました。
大仰に頷き返す浅野くんの首筋は、やはり私の鼓動をうるさくさせるのです。
「わ、私、チアガールの格好は……イヤ。人から、その、あんまり見られたくないなって。でも今まで、そんなこと思ったこと、無くて、でも、なんか……」
チアガールの話が出たときの、男子たちの騒めく反応。
この人達に見られるのだという事実を強く意識してしまって、今までは気が付かなかった世界のことが、酷く不快に思えてきたのです。
私はきっと、いつもと違う格好の私を浅野くん以外に見せたくありませんでした。
「同感だ」
目の前の彼は呟くように言います。
その言葉を聞いた瞬間、私の顔はカッと熱くなりました。
「えっ! あ、浅野くんも、私が短いスカート履いてるの、だ、男子に見られたくないん、だ?」
浅野くんは私のことが好きなのではないかと前々から思っていましたが、まさかこんな直接的に恋愛みたいなことを言われるなんて思ってもみませんでした。
浅野くんは、口角を少し上げて言います。
「いや、そうではなく。俺も人前でチアガールの格好はしたくないな、という話だよ。あまりにゾッとしない光景だったものだからね、同感の意を示したのさ」
「あ、う、ぁ、そ、そうだよねっ! ごめんね、へへ、勘違いしちゃった……」
さっきとはすっかり別の意味で、私の顔は赤くなります。
恥ずかしいとはこういうことなのだと、強く思いました。
「別に構わんよ、というかちょっとした冗句だ。俺がチアガールの格好をさせられることなど、まず無いだろうからね。尤も、ミニスカート姿の自分を大衆に見られるのがゾッとしないというのは本音だが」
「あ……えへ」
「引くんじゃあないよ、君。想像の話だ」
浅野くんは苦い顔をしています。けれどもそれは違うのです。
私は引いていたのではなく、脳裏に浮かんだチアガール姿の浅野くんに、とてもドギマギしていました。
私の心をザラつかせていた男子たちの騒めく反応が、一転してよく分かります。
「私、引いてないよ。その、ただ、浅野くんに、ミニスカート履いてほしいなって、思って」
「えぇ?」
「あっ、ご、ごめんね? 間違えちゃった。あの、あのっ……!」
「や、落ち着きたまえよ。ミニスカートは履かないけれど、君が何を思おうがそれは君の自由だ」
「あ、うん。そう、うん。考えてることなんて、どうせ誰にも分かんないもんね」
間違った言葉だと分かりながらも、言わずにはいられませんでした。
本当に思ったことは思った通りに伝わらなくて、見透かしてくるお母さんやあゆみちゃんみたいな人には、私の気持ち悪さがバレてしまう。
浅野くんは優しいし、色んなことを見抜いてくれるけど、好きだから首を絞めていたいのも、ミニスカートを履いて欲しいのも、理解してはもらえない。
そんな事実がふと、寂しいことなのではないかと思えてしまったから。
私の目を、チラリと彼の目が見ます。
「考えていることがどうせ誰にも伝わらないというのは、まあそうだ。けれども君に想像の自由が許されている理由はそうではなくて、ただ止めようがないから」
「止めようがないから?」
「ああ、止めようがないことを禁じられるのは、息苦しいだろう? 諦めようとしても、止めようとしても、やっぱりどうしようもないことは、きっと大切なことだ。誰に理解されなくとも」
「でも浅野くんは私に首を絞められるの、イヤでしょ?」
「……ああ、俺は首を絞められるのが怖い。けれどそれは俺が嫌だというだけで、世界に禁じられているわけではない。君は今にも俺の首を絞めることだってできる。そしてそれが、できることなのであれば、きっと諦めないに越したことはない」
いつの間にか彼は、真っすぐに私を見つめていました。
私の鼓動は早くなっていて、世界からその首筋が際立ちます。
私は気が付くと手を伸ばしていました。
手がゆっくりと蛇のように這い寄り、彼の細い首筋を捕まえます。
力を込めればその血流が感じられ、手の下の皮膚が赤く色づいていくのでしょう。
私は、何度も何度も浅野くんの首筋を撫でました。
力を込めようかと思いました。
浅野くんの瞳は揺れていて、喉は何度も唾液を嚥下しています。
私はそっと手を引いて、自分の膝に乗せました。
「……なんか、ね。学校でも、浅野くんに話しかけて、いいかな?」
想像の中で、強く、強く、首を絞めました。
「ああ、構わんよ」
浅野くんは、優しい顔で笑います。
それは嬉しい現実で、手に残る脈動の感触は、ただの虚しい空想でした。
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