第30話 にゅうどう雲の上
~~~「バカな大人観察日記」~~~
8月26日 金曜日
ぜんぶ、わかった。
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合宿から帰って以来、俺のスマホには誰からも連絡が来ていなかった。
夏の暮れの昼下がり、ようやく俺は孤独になったのだと確信する。
何だかドッと疲れが上ってきて、俺は自室のベッドに倒れ込んだ。
そうして最初に感じたのは、確かな安心だ。
これでようやく、自分に幻滅することも他人に幻滅してしまうことも無くなった。
自分に嘘を吐く必要だって、もう無いのだ。
そう思うと自然と涙が滲んでいた。
この涙の意味は分からない。ただ胸が騒めいて、鼻の奥が熱くなるのだ。
思考は冷静に回っていた。
別に悲しいわけでもなく、ただ涙が出るのなら、涙の意味とは何なのだろうか?
高校生にもなると人が泣く機会になんて滅多に出くわさないのだが、しかし今年の夏は違っていた。
思い浮かぶのは睨みつけながら濡れた瞳、或いは興奮したように赤らんだ顔と滲んだ涙。そして、縋るような泣き顔。
全てが俺の罪を象徴しているようだった。
どうすれば良い?
どうすれば良かった?
俺は結局、大人にも子供にもなりきれないまま。
無くす居場所すら無いせいで、上手く人とも寄り添えない。
これでも、真剣に人と関わろうとしていたのだがな……。
結果はこの様。人を考えれば考える程に、孤独こそ誠実であると気が付いた。
俺は静かに息を吐き、手の甲で目元を拭う。
大丈夫、信念は夏休みの前と同じ。
変わらない、戦わない、頑張らない。
ただ心中で、自分を見失わなければ良い。
教師の言葉も、母の言葉も、クラスの皆の言葉だって、俺の耳には届かせない。
あんな意味の無いモノに影響を受ける必要は無い。だから変わらずにいるのが正しい。
自分に言い聞かせる。
しかし、俺が自ら話を聞こうとした彼女らは、教師でも母でもクラスの皆でもなかった。
名倉さんに首を絞められたあの日から、或いは女子小学生の首輪を受け取ったあの瞬間から、俺はずっと自分を見失っているのだ。
この夏休みで、変わって、戦って、頑張ってしまった。
ボンヤリと天井を眺める。
俺は誰のために孤独になったのだろう?
ふと浮かんだ疑問。
だが、違うのだ。俺は元より孤独だったのだ。
俺が俺であることに拘る限り、俺は俺としか付き合っていけない。
俺という人間がそういう生き物だった、それだけだ。
「随分と皮肉な……」
掠れた独り言で自らを静かにせせら笑う。
孤独になることで何を守れたのか、俺にはよく分からなくなっていた。
ただ陰鬱とした感情が暗雲のように立ち込めている。
ふと、玄関の方でブザーが鳴った気がした。
人との関わりを求め幻聴を聞いたのか、或いは本当に来客があったのか、実のところどちらでも良い。
二度目のブザーが鳴った。今回は確かに聞こえた。
恐らく、一度目も幻聴ではなかったのだろう。
「…………」
俺は寝転がったまま視線だけを玄関に向ける。
そも、来客とは往々にして一方的な要求に他ならない。
相手に用があろうと、俺には用が無い。非対称的にして理不尽極まるイベントである。
故にチャイムが鳴ろうと俺が応対する必然性はない。
「…………」
嫌なのだ、人と会うのが。
言葉を交わすのも、心を通わすのも、嫌で嫌で嫌になる。
全部、無意味ではないか。
「…………」
部屋の中はシンとしていた。
それに気が付くと、なんだか急に不安になった。
ここには誰もいないのだ。この誰もいない状態が、今後も続いて行くのだ。
人生の長さと、孤独の重みを痛感した。
俺は気が付くと玄関に向かっていた。
ブレたわけでは無い。ただ、来客が誰なのか気になったのだ。
俺がするのは、覗き穴を覗くことだけ。
ひたひたと素足でフローリングを踏む。緊張が高まった。
玄関は暗かった。覗き穴だけが白く輝いていた。
俺は一度、立ち止まる。
手をドアに押し当てた。
何故だか酷く鼓動が煩かった。
そっと体を傾け、顔を覗き穴に近づけた。
「…………」
外には誰も、いなかった。
ふっと力が抜けて床に座り込む。
瞬間、大きな衝撃音と共に窓ガラスの割れる音が響いた。
「っ!」
俺は咄嗟に音源へと顔を向ける。
粉々に砕かれたガラスの破片が、輝きながら宙を舞っていた。
そして夏の青空を背景に立っていたのは、女子小学生その人である。
右手で振りぬかれたハンマーに、俺はいっそ畏敬の念すら感じていた。
日の光を反射して散るガラス片と何処までも広い青空は、それ程までに幻想的だったのだ。
そして何より、未だ耳に残る破砕音はどこまでも気持ちが良く、俺の内で渦巻いている悩みを全て無意味のものとしてくれるようだった。
白銀のガラスをサンダルで踏みしめ、女子小学生は嬉しそうに笑う。
「お前、にげれると思ってた? バカザコには無理で~す!」
不法侵入器物破損、鈍器片手の不遜な笑みは、明確な格の違いを俺に分からせる。
流石、人間を拉致監禁しようと思い立つ者は肝の座り方が違う。
「……じ、次回からは玄関から入っていただけると助かります」
無意識に敬語が出た。
「でもお前、玄関のチャイム押してもムシするじゃん」
なるほど、先のブザーは女子小学生だったか。
であればこの惨劇は俺の怠慢が招いた結果なのだ……とは流石に納得できない。
しかし、俺は既に分からせられてしまっている。
悔恨もプライドも決意も、結局のところ女子小学生には無関係な俺の個人的事情でしかないのだ。
きっと発生した変化の責任を考えることそのものが、酷く傲慢なのだろう。
何故なら彼女は、俺の意思など関係なしに破壊し拉致し監禁するのだから。
気持ちがいい程に俺のことなど考えない。
「とりあえず、お前は私のペットだから。頭こっちに向けて」
そう言って、女子小学生は紐つきの防犯ブザーを見せてくる。
俺は大人しく首を差し出した。
「ふん」
彼女は小さく鼻を鳴らすと、首の後ろに手を回して紐を結ぶ。
そしてそのまま、両手は俺の頭を抱き込んだ。
「ばーか」
声は小さく震えている。
暗く狭い視界の中で、夏の暑さと違う熱が俺以外の他者を意識させた。
割れた窓からは蝉の繰り返されるハイテンポが流れ込み、ゆっくりと重く流れていた筈の時間を加速させるようだった。
俺は彼女に「ごめん」と呟く。
返されたのは、涙の痕などありもしない笑みで、続く言葉は———————
「ゆるさない!」
俺はようやく「ごめんね」の意味を理解できた気がした。
きっとこれは小学生の頃に考えていたような、全てを無かったことにする欺瞞の呪文などではなく、自分の行った罪であったり間違いであったりを、他者と共有するための言葉なのだ。
この事実をあの頃の教師は知らないし、きっと親も分かっていない。
だから拗れて、拗らせた。
「なあ、あゆみ君。俺はね、色々な人に謝ろうと思うよ」
「……べつに、あやまんなくても良いと思う」
「いや、あやまりたいんだ。あの人達は俺と同じで、少し違うから」
風が吹き込み、彼女の髪が舞った。
髪に隠れた表情の向こうで、彼女は簡素に言葉を紡ぐ。
「独りがイヤだから?」
「違う。人がいるから」
彼女は小さく鼻を鳴らして「わけわかんない」と呟く。
その後で「でも、わかった」と言葉が続いたのは、きっと彼女が変わったからではなく、俺と彼女の関係性が変わったからだ。
俺はそっと首にかかった防犯ブザーを外す。
「これは返すよ、首輪も枷もいらない。俺はそれでも、君と一緒だ」
夏の暮れ、空には飛行機雲が突き抜けていた。
俺とあゆみはそれを見ながら、今日の夕食は何にしようかと話し合った。
~~~「バカな大人観察日記」~~~
8月27日 土曜日
今日は、浅野 晋作と仲直りしました。浅野 晋作とは、ペットの大人のことです。
でも、もうペットじゃないので、晋作と呼びます。でも、晋作はバカな大人なので、ダメです。でも、言うほどダメではないので、友達になってあげました。
晋作はいっぱい考えてたみたいで、それはダメでバカだったけど、でも、それが晋作の良いところだと思いました。
私はバカな大人になりたくないけど、バカな大人にも子供な部分があって、だからちゃんとした大人になろうとしないで子供なままなのが、バカな大人なのかなと思います。
晋作はたくさん考えて、ちゃんとした大人になろうとしてくれてたなと、この自由研究をとおして思いました。
まだ晋作はバカな大人だけど、私は晋作みたいな大人になりたいです。
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メスガキの、バカな大人観察日記 第一部 完
次回から週一更新です
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