第6話 パンはパンでも食べたくないパンってな~んだ?
「はい、どーぞ」
朝食として、牛乳と食パンが差し出される。
黒焦げの。
俺はチラリと名倉さんの皿の上に乗った食パンを見る。
そこに乗っているパンも俺のパンと同じように……いや、寧ろ五割り増しで焦げていた。
再び、自分のパンに視線を落とす。
「……いただきます」
「はい、めしあげれ~」
その返事を聞き、俺は心中で自嘲気味に嗤った。
いつもは「いただきます」も、「ごちそうさま」も、断固として言わない癖に、他人が見ているというだけで口にするのだからな。
食前の定型文。
名倉さんの「めしあがれ」まで含めて実に白々しいやり取りだ。
本来、感謝の言葉というのは感情が伴って初めて意味がある筈だというのに、形ばかりが重視させれ、取り敢えず口にすることが求められる。
……そんなごちゃごちゃとした思考も、パンの苦さに掻き消された。
俺が手枷をガチャガチャいわせながら牛乳を喉に流し込んでいると、バタンと玄関が開かれる。
女子小学生のご帰宅だ。
「あ、お、おかえり。ラジオ体操どうだった? 朝ごはんあるけど……」
「いらない」
名倉さんの呼びかけをすげなく断ると、女子小学生は台所のカップ麺を手に取った。
そこで初めて、彼女は俺に視線を向ける。
「ほら、お前も……っ! は? なにそれ」
「朝食だ」
俺の返事に、女子小学生は顔を赤くして怒り始める。
「そうじゃなくて! お前、毎日私と同じもの食べるって言ったじゃんっ」
……そんなこと言ったか?
少しばかり記憶を手繰る。
そういえば昨日、大人の餌は何が良いのかという話をした際に、何かそんな感じのことを言った気がする。だが、あまり覚えていないというのが正直なところだ。
「ていうか! 名倉花香! お前っ! 私のペットに勝手に餌やんないでよ!」
「え、あ、ご、ごめんね? 私……」
俯いた名倉さんを見て、女子小学生はよけいに苛立つ。
そんなやり取りを眺めながら、俺は焦げたパンを一口食べた。
「食べるなバカ!」
女子小学生に怒られる。
……怒られるというか、まあ、普通怒るか。
俺も名倉さんに倣ってションボリと俯いた。
「バカ!」
追加で怒られたため、再び視線を女子小学生に戻す。
「いや、君、何をそんなに怒っているんだ。理由を説明してもらわないとこちらとしても手の打ちようが無い」
無論、俺が聞いているのはパンを食べたときに女子小学生が怒った理由ではなく、名倉さんが俺に餌やりをしたら怒った理由だ。
女子小学生は馬鹿にしたように笑う。
「……なにそれ、言わなきゃ伝わらないっていうバカな大人お得意のアレ?」
彼女は後ろを向くと二階へ続く階段の方へ歩きだした。
「それ言ったやつ、みんな私の話なんて聞く気なかったけどね……バーカ」
静かに閉められるリビングのドア。
そして、その場はシンと静まり返った。
名倉さんは不安そうに俺とドアを交互に見ていたが、女子小学生の気配が消えるまで口を開くことは無かった。
「……あ、えっと、浅野くん、あんまり気にしない方が良いよ? あゆみちゃん、私のこと嫌いだから。それで、ちょっと機嫌悪くなっちゃっただけだと思う」
「いや、そういうことではないだろう」
その白々しい微笑みに腹が立ったからだろうか?
俺はその言葉を反射的に否定していた。
「あの言葉は、決してその場限りの感情から出た言葉ではない。……いや、別に周囲が彼女を知ろうとしないのは良いんだ。順序はどうあれ、今の彼女は周囲全てに攻撃的だから取り付く島がない。でも、知る気が無いなら、知ったような口を利くべきではない……彼女は、そういうようなことを考えているのではないか? 少なくとも俺は、昨日と今日でそう思った」
実のところこの予測は、ほとんど小学生の頃の自分の話だ。
だが、そこまで外れてはいないように思う。
大人を見下した態度、彼女の怒るポイント、さっきの言葉。
俺もああいった言動には覚えがあった。だから、彼女の苛立ちがよく分かる。
だが、俺の意見は名倉さんの同意を得られなかったらしい。
彼女は相変わらず、ピッタリと理想的に笑っていた。
「浅野くんは、いろいろなことが分かってすごいね。でも、私には、ちょっとむつかしいかも」
「分からないなら、あの女子小学生にもちゃんと分らないと言った方が良いのではないか?」
「……えへへ」
果たして、名倉さんは曖昧に笑った。
名倉さんは今、何を考えているのか? ただ、それが分からない。
名倉さんの口からはいつも社会的に正しい言葉しか出てこない。
だからこそ、時折覗く機械的な様子に違和感があるのだ。
俺は、俺と重ならない人間に興味を持ったのはこれが初めてかもしれない。
「名倉さん、君は今、何を考えているのかな?」
「え? え、えっと、私は、みんなが幸せに……じゃなくて、えと、違うよね、えっと」
名倉さんは吐き出すように、言葉を紡ごうと口を開く。
えっと、えっと、と繰り返しそして彼女は口を噤んだ。
「…………」
真正面から見つめ合う。
数秒後、彼女は観念したように口を開いた。
「昨日、浅野くんには本心をちょっとだけ話すって言ったもんね」
それは表面的でその場限りの言葉だと思っていたから、少し驚く。
「正直、浅野くんが言ってくれたくれたこと、色々、全部、むつかしくて……分からなかったの。でもね、浅野くんが何回か言った、私が話してて疲れてる? みたいなことがずっと心にひっかかってて」
彼女の指先がカップのふちをなぞり、視線は窺うように俺を見ていた。
「昨日は、私、本心を言うのが怖いって言ったけど、それもなんだか違う気がしてて……でも、私、分かんないよ。疲れるとか、本心とか、そういうの、分かんない、よ。今までみたいにしてたら、みんなは優しいって言ってくれたり、笑ったりしてくれたよ? 怒られなかったよ? それじゃあ、ダメなのかな……?」
名倉さんは完全に俯き、カップを見つめている。
そんな今でさえ、彼女は薄く笑みを貼り付けていた。
俺は少しばかり思案する。
「駄目……というか、名倉さんが毎日他の人から聞いた話題を再利用していることや、クラスの人間の話題を出席番号順にローテーションで出していることにも気が付かない連中に、親しげな顔で接されて……それで良いのか? 俺はどうにも、家族だから、同じクラスだから、みたいな理由で親しさが担保される関係に正しさを見出せない。というか、そもそも名倉さんは学校の連中を友達だと思っているのか?」
名倉さんは息を呑んだ。
「わ、分かんないよ。友達とかって、私がどう思ってるかは関係ないし。でも、みんなそうしてたら怒らないし、私が思ったこと言ってるかどうかって、あんまり大切じゃないのかなって……あ、いや、う、ぇと、あの、えへへ」
言い訳のようなトーンの言葉。
それに自分で気が付いたのか、彼女は誤魔化すように笑った。
俺とそれについて話すつもりはない。それは、そういう意味の笑顔なのだろう。
「……なるほど、まあ、構わんさ。ところで名倉さん、そこに一つ余っている食パンは、あの女子小学生用に焼いたのかな?」
「あ、うん! そうだよ」
名倉さんは話題が変わって嬉しいのか、飛びつくように返事をした。
「あんまり、あゆみちゃんは食べてくれないんだけど……でも、やっぱり家族だから、ね。もう私、お姉ちゃんだし、こういうの、ちゃんとしたいなって」
それは取り繕った感じのしない言葉だった。
家族団らんなんて、俺には理解し難く、嘘臭くて胡散臭い欲求なのだが、彼女にとっては大切な願いなのだろう。
「あの女子小学生と一緒にカップ麺を食べるのでは駄目なのかね?」
「え? ダメだよ~! カップラーメンなんて、体に悪いんだよ? 本当は、あゆみちゃんだって食べちゃだめなのに」
「……そうか」
駄目か。
皿に乗った黒焦げのパンを見る。
体に対する害で言えば、これと大差ないように思えるが。
「まあ、とりあえず、ごちそうさま。俺は少しあの女子小学生と話してくるよ」
「あ、うん! おそまつさまでした~。それと、あの子の名前は女子小学生じゃなくて、あゆみちゃんだよ?」
少し前の不安定で歪なやり取りなどなかったかのように、名倉さんは自然な笑みを浮かべている。
「……まあ、本人から名乗られたらそう呼ぶさ」
俺はそう言いながら食器を台所に置き、リビングを後にした。
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