君に花束を。
茶らん
一章 花は枯れていく
第1話
「花売りさん。」
やっと、やっと、言葉に出せた。
カビ臭く、埃が宙を舞い、何ヶ月も放置していたような部屋で、
君は独りベッドの上で眠りについていた。
深い、とても深い眠りに。もう、目覚めることのない眠りに。
私の視界は次第にぼやけていく。君の顔が見れないほどに。
やっと、見つけられて。やっと、顔を見れたのに。やっと、会えたというのに。私の視界は、更にぼやけ始めていく。
「花…売、りさん…」
私は呼びかける。君に掛けてある毛布の上に私の涙が一粒、落ちる。
ポタ…
また一つ。また一つ。また一つと。
「あ、ああ!あああ!」
私は、私の胸の中にある心臓が鼓動する。張り裂けそうなくらいに、私の心臓も、この悲しみに苦しんでいた。
その時だった。
微かに、君の手が震えたんだ。
今でも思い出す。あの微かに震えた感触を。
君は目覚めるはずがなかった。しかし、その時だけ、まるで魂が舞い降りてきたかのように、君の手は動いたんだ。
その手は、私の頬に触った。
私は、この時、自分の気持ちを自覚した。
そう、私は、君のことを愛していると。
そして、君の魂は旅立っていった。
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「姫様、体調でもお悪いところがありますか?」
侍女であるリリが心配そうな表情で私の顔を覗き込む。
リリは昔から王家に使える侍女であり、私の専属のメイドでもあった。そのため、私が生まれた頃から世話をしてくれているのである。
この私が唯一、心を許せる人だ。
「え、そうかしら?少し疲れてしまったのかもしれないわ。」
私は少し柔らかい笑みを作った。リリは眉を顰めた。その後に、少し笑顔を私に見せてくれた。
「そうかもしれませんね。もう旅に出てから四年経ちますからね。今日は、その旅も終わりですね。」
「ええ。そうね。あっという間だったわ。でも、でもね、私、やっと会えたの。あの花売りさんに。」
「花売りさんと申しますと、よく姫様がお話ししていた方ですよね。いつの間に会ってきたのですか?」
「ふふっ、内緒よ。リリ」
二人の会話は、ガタガタと揺れる馬車の中でとても賑わっていた。
そのような話にもひと段落すると、王女の立場の彼女は馬車の窓を開け、御者であるササムという男に話しかける。
「ササム!」
「えっ、ちょ、姫さん!危ないっすよ!降りてくださいっす!」
「あはは!ササムったら、慌てすぎよ。私は大丈夫よ。だから前向いてちょうだい!」
私は、そんなササムを笑って、窓から顔を出して景色を楽しんだ。
今は森の中だ。葉と葉の間から光が降りそそしでいる。木漏れ日だ。
とても、とても、美しかった。
小鳥が歌を歌う。葉が優しい春風に揺られ、葉と葉が重なり合い、微かに音を出す。まるで、自然の演奏会のようだった。
「姫様、お願いですから、馬車の中にいてくださいな。」
リリが不安気に言った。私は、「はーい」と答えると、窓から顔を出すのをやめ、座った。
背筋を伸ばし、手は軽く重ね、胸を張る。王女であることをわからせるために、彼女は目を細め、清らかに座っていたのだ。
これが彼女にとって、どれだけ苦しいことか、侍女であるリリですらも知ることはなかった。
「とても綺麗ですよ。姫様。」
「そうかしら?ありがとう、リリ。」
「そろそろキャメル城が見えてくる頃ですね。」
「ええ。そうね。でも、その前にキャメル城の城門の前に広がる花畑は、有名な観光地でもあるのよ。」
「そうでしたね。あら、見えてきました。」
いつの間にか、森から抜けていた。森の先にあったもの。
それが花畑であった。
開けてある窓から花びらが春風と共に、入ってくる。私の髪が微かに靡く。優しい花の香りが香る。赤、黄色、青、紫、ピンク、黒、白、オレンジ、たくさんの花々が絵師が使うパレット上の色のように、咲き誇っていた。優しい春風が吹くたび、か弱い花びらは萼からとれ、空を舞っていたのだった。
花畑で花束を作る子どもたちがこちらを見ている。そして、ゆっくり進む馬車に向かって、走ってきた。何か、叫んでいる。そして笑っている。とても楽しそうに笑って、こちらに向かってくる。
私は、すぐに馬車を止めるようササムに言った。ササムはそれをすぐに受け止め、馬車を止めてくれた。
子どもたちが次第に近くなり、顔が判別できるくらいまで近づいてきた。私は、ドアを開けて、そこから飛び出した。
「みんな!みんなーーー!」
私はひたすらに叫んだ。
駆け寄ってきた子どもたちは、昔、四年前によく一緒に城下町で花売りと共に花束を作って遊んだ子たちだった。おままごとや追いかけっこなどでも、私も花売りもよく遊んだ。とにかく、一緒に過ごした時間が長い『仲間』とでも言おうか。
「お姉ちゃん!」
「おかえりーーーー!会いたかったよ」
「よかった、無事に帰ってきてくれて。」
「怪我とかはない?」
ラル、シィナ、ダクラム、ムアロ、四年前よりも確実に身長は伸び、大きくなっていた。でも、面影は変わっていない。
「うん!大丈夫よ、怪我はしてないわ。ムアロ。みんな、大きくなったね。会いたかったよ。」
私は一人ずつの頭を撫でた。みんな照れた顔で笑っていた。とても可愛らしかった。
「花売りさんには会えた…?」
ラルが不安そうに聞いてきた。私は頷いた。
「えっ、ほんと⁉︎」
次にダクラムが反応した。私は頷く。
「ど、どうだった?あの頃と変わらなかった?」
シィナが心配そうに言った。私は首を横に振る。四人が一気に驚いた顔をしていた。私は声が震えないようにしながら話した。
「花売りさんとは会ったよ。ちゃんと会えたよ。でもね、体調がよくなかったみたいなの。だから……だから、お話はできなかったけど、でもね、花売りさんは笑ってた。最期まで笑ってた。」
花びらが空を覆うように舞っている。風が強くなる。
「お姉ちゃん、そのあとは?」
「そうね、花売りさんはそのまま眠ちゃった。」
風が私たちの髪や服にぶつかり、私たちが透明にでもなったかのように吹き抜けていく。
もう、あの頃ように、この子たちは幼くなかった。何かを察したように四人は静かになった。誰も言葉を発さなかった。
四人の瞳には、だんだんと涙が溜まってきていた。その一粒が花の上に落ちた。四人は声高く泣いた。
私は、泣かないようにしていたのに。この子たちの前では泣かないようにしようと決めたのに、私も泣いていた。私は抱きしめた。ラル、シィナ、グクラム、ムアロを。
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