これから
――パァン!
宝玉が弾け、
「終わった、のか――?」
イルが感慨に浸るよりも早く。
どさり。
「! ロキ!」
魔王の身体が床に崩れ落ちる。
「だいじょぶか!? 待ってろ、いま、治癒魔法で――」
慌てて両手をかざしマナの捕集を開始するイルを止め、
「平気……。ちょっと休めば治る。ていうか、これは
「でも――」
「うるさいなあ。ちょっと休ませてよ」
そう言って魔王は目を閉じた。
イルはどうすることもできず、悩んだ末にその小さな頭をあぐらをかいた自分の脚の上に乗せた。
閉じた目がそのまま開かないンじゃないかと心配になって、ついつい顔を凝視してしまう。
「……ちょっと。なに見てんのさ」
「ワリ。寝てていいぞ」
「いや寝れるわけないでしょ」
こちらを睨んで身体を起こし、イルの斜め前あたりに座りなおす。
片手で膝を抱えて、もう片方の手を首の後ろにまわすようにして。
魔王はどこか遠くを眺めた。
…………疲れているのだろうか。魔法の反動のせいだろうか。
宝玉を壊したというのに、彼の瞳はいまだ真っ暗闇だ。
しばらくそうして座って、やがてゆっくりと口を開く。
「…………ねえ、イルさん。僕がラスタバンの街で言ったこと、覚えてる?」
「あァ……」
忘れるわけがない。
ほんの数時間前の出来事なのに、もう何年も経ったようにも思えるけれど。
あの時の彼の言葉を、表情を。
忘れるわけがない。
「そう。よかった」
彼は安堵したような表情を浮かべ、こちらを向いた。
濃い色の肌。切り揃えられた黒い髪。
その長めの前髪の奥にある、暗く、深く、静かな湖面を真っ直ぐに向けながら。
「いまがその時だ。お願いだ、イルさん――僕を殺して」
風でさざめく波みたいに。
消え入りそうな声で、そう言った。
「――っ、なぜ。なぜ、オマエが死ななきゃなンねェ……。オマエが死ぬ必要も、俺がオマエを殺さなきゃなンねェ理由も、どこにもねェだろ……!」
拳を握りしめて叫ぶイルに、
「あるよ」
魔王はただ静かに言い返す。
「言ったよね、魔人は魔力の高い子どもを攫って作るって。それは主に国外からだけど、稀に国内からも攫うことがある。君みたいにね。そして攫った子どもたちは魔人として改造された後、何十年か眠らされる。身体の成長を止める魔法をかけて。……これはその間に精神魔法をかけ続けて元の記憶を消したり洗脳を強める意味もあるし、うっかり戦場で近しい者に出会って魔人の出自がバレるのを防ぐためでもある。それに……
夜の湖をさらに暗くして。
俯き、陰を落としながら。
「…………そして、それは。魔王も同じだ」
顔を歪ませてそう言った。
「魔王の
膝を抱えた身体を縮こませ、両腕に顔を押し付ける。
か細く震える声で、己の罪を吐き続ける。
「君、言ったよね。魔王は魔人となにが違うのかって。――魔王城の地下には初代様の
「んなっ――!?」
彼が下を向いていてよかった。きっと今の自分は、ひどい顔をしていたから。
「……それでね。完全憑依魔法の『器』にも、相性っていうのがある。さっき憑依して生を全うすると使える
「ま、待てよ!」
掠れた声で言う魔王に身を乗り出す。
思わず打った拳が固い床に当たって弾かれる。
「器だからって、だからなンだよ!? 初代魔王――シリウスがまたなにかするってのか!? そンなハズねェだろ、いま和解したばっかじゃねェかよ!?」
「そんなの、わからないじゃないか!!!!」
暗い湖を揺らして顔を上げる。
叫ぶ声は外界と隔絶された部屋の中に響き渡った。その反響が消えないうちに、
「幽体なんて不安定な存在だ、いま和解したって次目覚める時には気が変わってるかもしれない!! 初代様が何もしなくたって、変化を良しとしない教会が僕を利用するかもしれない!! 宝玉を壊した以上、
こちらを向いた湖から透明な水が見る間に溢れ出る。真っ暗な瞳の輪郭が歪む。
溢れた水を頬に伝わせながら、
「魔王を殺すときは、蘇生されないようにバラバラにしなくちゃいけない……っ。首とお腹、両肩、手首、脚の付け根と足首……十か所で切ってバラバラにするんだ……! 僕は、それを、あんな小さな子に……! 生きてる子だけじゃない、もう死んだ歴代魔王の墓も掘り返して、そうなってないやつは、切って、燃やした……! 初代様の、ミイラも……。生きてた人も、死んだ人も、僕が、みんな…………!」
小さな手で肩を抱える。
肩を震わせ、立てた膝をさらに引き寄せて。
もともと小さい身体を、さらに小さく、丸くして。
「そんな奴が……生きてていいわけないだろ……」
溢れた湖の最後のひとしずくを。
ポツリと部屋に響かせた。
その言葉は波紋となってイルに届いた。
小さな波が自分の身体を通り抜けていくのを感じた。
その波が収まり静かになるのを待って、
「そンなワケ、ないだろ」
涙を流す子供の隣に座り、その肩を、頭を抱き寄せた。
「何があったって、たとえ誰かを殺してたって。命の価値は変わらねェよ。オマエが死んでいい理由なンてどこにもない。……そンな大変なことを、ひとりで抱えて……つらかったな……」
でも、もうそンなこと言わないでくれよ。俺まで悲しくなっちまう。
そう言って肩に置かれた手を握り、黒い頭をただ撫で続けた。
「うぅっ……。誰にも、言えなかった……! メイにも、ルインにも……! こんなこと言ったら、嫌われるんじゃないかって……!!」
「大丈夫だ。俺はオマエのこと嫌ったりしねェよ。たぶんアイツらも、な」
「ぐすっ、でも、こんなことして許されるはず――っ!」
「そォだなァ、許されはしねェかもなァ。でも、それは死ぬこととは別問題だ。……オマエはさ、どうなんだ? 本当は――生きてたいンじゃないか?」
言うか悩んで、悩んで――イルはその問いを口に出した。
あまりにも答えが明白だったから。
わかりきったことをわざわざ言うのも、言わせるのも、自分の性には合わなくて。
(でも――。やっぱりこれだけは。本人の口から、ちゃんと聞きたい……)
迷い悩みながら言葉を吐いたその胸に、小さな頭を押し付けて。
少年は想いを溢れさせた。
「……ねぇ、僕……、本当に生きてていいのかなあ!? あんなことして……リアのことだって……。もしかしたら、もっと他の方法があったかもしれないのにさあ! 僕にもっと力があれば、もっと頭がよかったら! みんな助かる道だってあったかもしれないのに! 僕には、これしか選べなかった……」
「それでも、オマエが考えて考えて選んだ道だろう? 後悔はより良い未来を歩くためのモンだ。大丈夫。次はもっと納得できる答えを選べるよ」
「次……。次なんて…………」
俯く頬を両側からすくい上げる。
揺らめく湖を真っ直ぐに見据えて。
「生きてていい!!」
大樹の葉が受けた陽光を分け与えるように。
イルは温かく、けれどきっぱりと言い切った。
「オマエは生きてていい。死んでいい命なンてひとつもない。オマエがそう思えないならさ、俺が何回だって言ってやるよ。オマエが罪の重さに潰れそうになったら、何度だって支えてやる。だから、さ、」
灰色がかった緑色の瞳が歪む。白目のところを真っ赤にして、
「殺してくれなンて……そンな悲しいこと、言わないでくれ…………」
青年はまた涙を流した。
「……ずるいよ、それ」
少年は視線を逸らして、眉を下げて呟いた。
それから、頬を支える両手に自分の手を重ねた。
彼の手はどれだけ剣を振るったのだろう。
大きくて、固く分厚くて――、でも、温かった。
その体温が両手から伝わり、ゆっくりと全身を駆け巡る。
それは最後に、暗く、深く、静かな湖の奥底に辿り着いて。
「僕も、ほんとは…………死にたくない……っ! まだ、生きてたい……!!」
止めどなくきらきらと溢れる水の中。
小さな少年はそう言った。
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