第8話 最上階

大人たち

 魔王城の最上部、その三層の内の最下層。


 円形の部屋の中にはふたりの魔人が倒れていた。


 ひとりは――今は血にまみれてしまったけれど――真っ白な翼を持つ翼鳥族。彼女は胸の前で手を組み、呼吸はせずに静かに眠っていた。


 もうひとりはドラゴンの翼を持つ翼竜族。彼も血にまみれ、けれど浅い呼吸を静かに繰り返していた。


 そして部屋には倒れていない人間がもうひとり。


 彼は翼竜族の傍らに膝を付き、両手に黄緑色シャトルーズの魔法陣を浮かべ彼の傷を癒していた。


「こんなことを人間の貴方に頼むのは、少々……いやかなり。とてつもなく、癪ですが…………」


 しかめっ面でそう言う翼竜に、人間はじゃあ言うなよと呟く。


 しかし彼はそれが聞こえなかったかのように、


「魔王サマのこと。頼みましたよ」


 首をあげてしっかりと人間の目を見て言った。


「魔人だって一枚岩ではない。皆『魔王』の命令には従いますが、あの小さな魔王サマに本当の味方が何人いるか。一定以上の距離を保ち、必要がなければ近づかない。そんな人ばかりだ。自分を対等かそれ以上に扱ってくれる存在が……あの人には必要なはずなのに」


 すぐに首を下ろして横を見ながら訥々と言葉を紡ぐ。


「……けれど俺は魔人であっちは魔王。あの人の中では魔人は臣下で守るべき存在。どこまでいっても対等にはなれない。……俺は兄にはなれなかった……」


 身体属性シャトルーズの光が消える。


 イルは彼の傷の具合を確認して、


「……そォか?」


 立ち上がって上から見下ろした。


「俺にはそうは見えなかったぜ? ここに来る途中、アイツはオマエのこと随分心配してた。この翼鳥のことはアッサリ殺したのにな。対等かどうかは知らねェけど……、アイツの中でオマエが特別なのは間違いねェだろ」


 じゃ、行くぜと軽く手を挙げて彼は階段を上っていった。


 自分ひとりになった部屋の中で、


「特別、ねぇ……」


 天を――上階を見上げてルーイは呟いた。


 それから目をつむって考える。


 本当にあの小さな魔王サマの中で自分は特別なのかと。


 彼の願いには少しも役に立てない、自分はただの魔人でしかないというのに。


 けれど、もし、それが本当なら。


「悪くないですね」


 閉じたまぶたの裏で湖が輝いた。




 ♢ ♦ ♢




 最上部の内の第二層。

 全体に反魔法アンチマジックが施された部屋の中。


 最下層と二層を繋ぐ階段、それを囲む柵のすぐ側で。


「ルインも、イルさんも。大丈夫かな……」


「ニャー。危ないよ、まおーたん」


 尾狐が渋い顔をして魔王を見ていた。


 この階段は直線になっていて、段数もそれほど多いわけではない。けれど絶妙に階下が見えない造りになっていて。


 魔王は柵の隙間から腰まで身を乗り出して下を覗き込んでいた。


 そして、


「――あっ」


「魔王様!!」


 ツルッ。


 あ、やばい。そう思ったときにはもう遅かった。


 尾狐が空間魔法を使おうとして


「――! 忌々しい!」


 反魔法アンチマジックに阻まれる。


 ――落ちる。


 これは自分のことなのに、なぜだかどこか他人事みたいに魔王は感じていた。


 ぐらりと重心が傾く。

 ふわりと浮遊感に包まれる。

 ぎゅっと心臓が縮こまる。


 ここでようやく、感情が現実に追いついた。


 ――落ちる!!


 反射的に目を瞑る。


 固い床に叩きつけられるのを覚悟して――けれど彼を受け止めたのは床ではなかった。


「うォ、アッブねぇ。――怪我ないか?」


 恐る恐る目を開ける。


 固い、けれど暖かい胸板の中で。


「――イルさん! よかった、無事だったんだ!!」


 雪の積もった大樹みたいな――灰色がかった緑色の瞳と目が合った。

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