むかし、むかし
♢ ♦ ♢
一応断っておくと、僕も聞いた話にすぎないからね。この話がどこまで本当なのか、そんなものはもう誰にもわからない。けど、これだけは間違いない。
千年前。
それはこの世界を魔獣が支配する時代であり、人間の命なんて取るに足らないちっぽけな存在だったってこと。
その当時、ここら一帯はドラコと呼ばれていた。
竜の国・ドラコ。
そして名前の通り、一匹の
魔獣は今でも現れるけど、千年前の彼らは今よりずっと大きく、強く、知能が高かった。その中でもドラゴンは別格だ。
山かと見紛うほどに巨大な体躯。
尻尾の一振りで木々を根こそぎ倒す強大な力。
その国中の人たちを合わせても足りないくらいの魔力量。
まさに生き物の頂点にふさわしい。当時の魔獣でもドラゴンに敵うやつなんていなかった。
それなのに、どういうわけだか――そのドラゴンは人間に友好的だった。いや、もしかしたら家畜くらいにしか思ってなかったのかもしれないけど。
なぜならそのドラゴンは人間たちを他の魔獣から守る代わりに、十年に一度の生贄を要求してたのだから。
彼は十年に一度、国の中で最も魔力が高い人間を選び差し出させ、その肉と魔力を喰っていた。
さて、君はこれをどう思う、イルさん? ――許せない、か。君らしい答えだ。だけどね、僕はそうは思わない。だってさ、十年にひとりだよ。それで他の何百何千の人たちの安全は保障されるんだ。それがなければ一瞬で消え去っていたかもしれない命が、たったひとり、それも十年にひとりだけで助かるんだ。こんなに割のいい話はないよ。
そしてそう思うのは僕だけじゃない。
当時ドラコに住んでいた人々も皆そう思っていた。意義を唱える者はおらず、双方の合意のもと生贄は何度も捧げられた。……そこまでの記録は残っていないけど、きっと生贄自身も選ばれることを名誉と受け取っていたと思う。
けれどある時、そうは思わない贄が現れた。
彼の名はシリウス。
高い魔力を持ち精霊の
けれど、彼は――シリウスは、それをよしとしなかった。
自身が供物として捧げられることが許せなかった。さも名誉なことのように殺されることが、そしてそれを是とする他の国民たちが許せなかった。
当時人間たちはまだ魔法を使えなかったけれど――シリウスは精霊の
そして生贄の儀式の当日――人間を侮り油断していたドラゴンを、シリウスは殺したんだ。
……これでめでたしめでたしって? そんなわけないだろ。ここからが始まりさ。賢く勇敢な人間が愚かで臆病な魔人の王になるまでの。
ドラゴンが人間を他の魔獣から守っていたのは本当だった。それが死んだらどうなるか。そんなの想像に難くない。
他の魔獣たちに襲われ、国民は見る間に数を減らしていった。
ドラゴンの庇護のもと、国民は何十年も安全に過ごしてたんだ。その安全をひとりの我儘によって壊されたと、彼らは怒り狂った。たった十年にひとりなんだ、お前が死ねばよかったのにとシリウスは大勢に責められ、ついに人の手により処刑される一歩手前までいった。
でも――シリウスは黙って処刑されるような人間じゃない。
彼はドラゴンを殺し国民の平和を奪った罪として、大衆の前で火あぶりにされることになった。そして処刑当日。会場は国の西のはずれだったにも関わらず、自分たちの安全を奪った男の死にざまを見届けてやろうと大勢の人が詰めかけた。はは、笑っちゃうよね。自分たちもいつ魔獣に襲われて死ぬかもしれない中、他人の死を見るために大勢が押し掛けたんだから。
そして、シリウスは――自分の死を見るために集まった人々を片っ端から全て殺した。なに、別に難しい話じゃない。その時魔法を使えるのはシリウスだけだったんだから。火の海にしたのか氷漬けにしたのか、そこまでの記録は残ってないけれど、ともかく殺した。その数はドラコに住んでた人々の三分の一とも半分とも言われている。はは、驚きだよね。一度にそれだけの数を殺したっていうのもそうだし、それだけの人が処刑を見るためだけに集まってたっていうのも。
……そんな顔しないでよ。教祖が実は大量殺人者だったなんて、経典に書けるわけないだろ。
そして国民を半分近くにまで減らしたシリウスはその後国の中心部に戻り、それを魔獣のせいにした。
凶暴な魔獣が暴れ、大勢の人々を殺した。けれど自分はそれを討ち取ったのだと。
初代様は――シリウスは、きっと相当口が上手かったんだろうね。そして実際、魔獣を討つだけの力もあった。なにより、生き物の頂点であるドラゴンを彼が殺したということを、ドラコの住民は全員知っていた。
だから、始めは疑っていた人々もやがて彼を信じ始めた。彼を信じ、魔法を信じ、精霊を信じ始めた。
その後は概ね教典と同じかな。ドラゴン殺しの大罪人は、いつしか仲間を集め魔獣を倒し、魔獣殺しの英雄となった。
そして竜の国・ドラコは、十年に一度の生贄も、魔獣に襲われる恐怖からも脱却し、真に平和な国となりました。めでたしめでたし。
…………とは、ならなかった。
外敵の恐怖から逃れたドラコは、今度は内部での小さな諍いが相次いだ。
ひとつひとつは、本当に小さなことなんだ。もしかしたらそれは本人たちにとってはとても重要なことだったのかもしれないけど……外から見る分には、首を傾げたくなるほど些細なことだった。食べ物を買ったときに自分だけ量が少ないとか、夫が他の女性とも関係を持っているんじゃないかとか、ね。
そんな、はたから見れば気のせいでしょって言いたくなるような小さなことが原因で、殺人にまで発展するような事件が相次いだ。
人が人を殺す。そんなことあってはならないと、シリウスはひどく心を痛めた。
そして考えた。どうすればこの相次ぐ事件を止められるかと。
考えて、考えて……そして思いついた。
魔獣が、つまり外敵がいた時は、皆一致団結して心をひとつにしていた。仲間同士で争うことなんてなかった。
そうか、他の敵がいればいいのか。
けれどこの辺りの危険な魔獣たちはもう全て倒してしまった。
敵なんかいない。
いないなら、そう――作ればいい!
自分には付いていけないと国を出た人々を材料に。
目印に魔獣の残骸をくっつけて。
思考を支配し、死にすぎない程度にドラコの人々を襲わせる。
ただ、内部で諍いが起きるのを止めたいがために。ただそれだけ、本当にそのためだけに。
それが魔人の始まりだ。
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