第32話 犯人の告白
石神くんは小学生時代、手先が器用なほうではあったものの体は小さいほうでクラスの中でも特に目立つほうではなかった。得意なことと言えば小さいことに祖母から教わったあやとりくらいだが、それも友人に自慢できるほどのことでもない。
しかしそんな彼が注目を集める、ある出来事があった。
それはクラスの友人たちと近くの山に探検に行ったときのことだ。山の側面に切り立った岩山が鎮座していたのだ。上に登れば見晴らしがよさそうで冒険心をそそり、みんなでそこに登ってみることになった。
しかしなだらかな傾斜になっているのは中腹までで、途中からは急な傾斜になっていた。同級生の少年たちは最初は何度か挑戦したものの、結局途中で断念する。
当時のクラスの中心だった体の大きい少年が諦めてこうぼやいた。
「これ無理だろ。途中まではいけそうな気がしたんだけどなあ」
「そうかなあ? 普通に登れそうだけど」と小学生のころの石神くんは呟いた。
彼には何故他のみんなが登れないのか解らなかった。彼の眼にははっきり見えたのだ。途中にあるくぼみ、わずかに突き出たでっぱり。順序良く手足を配置することで頂点まで登れるルートが感覚的に理解できていたのである。
だが他のクラスメイト達にはそれは「まだ挑戦していないから言える生意気な大口」に聞こえたらしく「じゃあやってみろよ」と彼にくってかかった。そして彼は「わかった」と応えると、彼らの見ている前でイメージした通りの動きで一気に岩山の頂上まで上りつめてみせたのだ。
普段、教室の隅でおとなしくしている彼が見せた能力にクラスメイト達は「うおおおっ」「すっげえ」と快哉の声を上げた。一緒にいた同級生の女子たちまでもが拍手をしてたたえてくれている。
今の自分は間違いなくヒーローだ。石神くんは心の中でそう思った。
しかし、彼が周囲の注目を集めたのはそれが最後だった。身軽ではあったものの、体が小さいために体力では劣っている彼は他のスポーツをやっていても今一つ活躍ができなかった。あるいはボルダリング部や体操部などがあれば話は別だったのかもしれない。しかし中学に入ってもそんな部活はなく、体育の授業でも扱わなかったのだ。
高校に入学した彼は少しでも自分の活躍できそうな分野はないかとバレーボール部に入ったが、レギュラーに入れず補欠として練習するだけの日々が続いていた。
自分が最後に人に褒められたのは一体いつだろうか。誰でもいい。誰か自分を認めてくれないだろうか。自分は特別な人間のはずだ。そんな気持ちとクラスでも部活でも立場が埋没している現実の間で彼は鬱屈とした思いが積もっていくのを感じるのだった。
そして去年の夏あたりのことだ。彼はたまたま昼休みに実習棟裏の花壇を通りかかった。
「どうしよう。早くなんとかしないと」
「昨日の雨でここまで泥が流れ込むなんて思わなかったよ」
園芸部の女子生徒たちが困り顔でそんな会話を交わしているのが目に入る。その中には同じクラスの御嶽さんもいるではないか。
「どうかしたのか?」と彼は何となく気になって声をかけた。
「あ、石神くん。うちの部の温室に行くための階段が通れなくなってしまって」
「温室? 階段?」
石神くんは彼女の目線の先を見る。そこには急な傾斜に作られた階段道らしいものがあるが、どうやら泥で埋もれて使い物にならない状態のようである。
「強い雨が降るとこうなっちゃうみたいで。上にある温室にバラの鉢植えがあるんだけど、今日はまだ水やりができてなくて……」
「つまり、上に登って水やりをすればいいんだよな」
「そうだけど」
周囲を見回すと土手の近くにケヤキが生えていることに気が付いた。これならば上に登ることができそうだ。
「それじゃあ、僕が登ってきて水やりをしてこようか」
「いいの?」
一方、周りの園芸部員たちは「本当にできるの?」と心配そうに彼を見ていた。彼はそんな目をよそにホースを腰に結んでするすると木に登り、土手の上にたどり着いて見せる。そして難なく水やりを済ませて再び花壇の前に戻ってくると、園芸部の女子部員たちの彼を見る目が輝いたものに変わっていたのだ。
「すごーい!」
「ありがとう! 一日でも水をあげなかったら、しおれちゃうし困っていたんだ」
「石神くん。ありがとう」と御嶽さんも笑みを浮かべながら頭を下げる。
彼はその言葉に胸が熱くなった。これだ。自分が欲しかったものは。
彼は自分の人生を前向きなものにするきっかけが見えた気がした。
「良いんだ。力になれることがあればいつでも言ってくれ」
また、雨が降ったら泥で埋もれて通れなくなってしまうかもしれない。その時は必ず手伝いにきてあげよう。そうしたら御嶽さんと話す機会も増える。明るい青春が自分にもめぐってくるのではないか。
彼はその時そう考えていた。
しかし、どうしたことだろう。それから何度か雨が降っても、泥で階段道が通れなくなるようなことはなかったのだ。台風が近づいたこともあったし、秋雨が降ったこともあったのになぜ前のように土砂崩れが起きないのか。
このままではまた自分は誰にも注目されない「どこにでもいる誰か」になってしまう。あれから時間は流れてもう二年生になってしまった。
そんなときふと彼の中にある考えが生まれる。「いっそ土砂崩れが起きてくれれば」と。最初は何を考えているのかと彼は自分に呆れた。
しかし、待てよ。誰かを傷つけるようなことにはならないはずだ。だって、最終的には困った園芸部員を自分が助けてあげるのだから。
でもそんなことをして、もし自分がやったとバレたら……。いや誰にも知られずにやってしまえば良い。
その発想は少しずつ彼の中に浸透して大きくなっていった。そして先日TVから流れる「来週は激しい雨が降る模様です」という天気予報のニュースの声を聴いたとき、彼は思ったのだ。これは好機だ、と。
「なるほど、そういうことか」と明彦が何とも言えない表情で頭に手を当ててため息交じりに呟いた。
「それで温室に入り込んだ時に鉢植えを壊しちゃったものだから。それを誤魔化そうとして持ち出したってわけ」
日野崎が眉を吊り上げながら、彼に迫る。御嶽さんは困惑した顔で立ち尽くし、青梅さんは考え込むような静かな顔で状況を見守っていた。
「い、いや違うんです」
「何が違うの?」
「僕が来た時に鉢植えはすでに壊れていたんですよ。それで、このままじゃダメになってしまうから、この鉢植えだけ先に持ち出して世話をしておいて、後で園芸部に返そうと思ったんです」
日野崎は彼の言葉に「やれやれ」と首を振って「そんな見え見えの嘘が通じると思っているの? 自分で壊したのを誤魔化しているんでしょう」と石神くんを厳しい目でにらみつける。
「いや、そこは信じてもよさそうだ」と僕はさすがに見かねてフォローした。
「温室に行ったときに、外側から破れたような跡があったんだ。多分雨風の影響で山林の枝がぶつかったんだろう。そこの部分だけ置き場のスペースが開いていたから、鉢植えが落ちて壊れたと考えればつじつまは合う」
「そうでしょう? だから僕は鉢植えを持ち出しただけで壊したわけじゃなかったんですよ」
「そこまではわかった。それから、どうしたんだ?」
「……あ、はい」
石神くんはその後の経緯を続けて語り始める。
豪雨が降った翌朝のことだ。人目がないうちに階段道を通れなくした石神くんは、鉢植えを抱えつつ花壇のロープを伝って戻ってくる。しかしその時本校舎のほうから人の気配が近づくのを感じた。
壊れた鉢植えを手に抱えた彼は一瞬動揺する。もしや園芸部員だろうか。
自分が温室の水やりを引き受けた後で適当なタイミングで「棚から落ちて折れかかっていたので持ってきたよ」と返すつもりだったのだが、今の時点で鉢植えを持っているのを誰かに見られたら自分が温室に出入りしていたことがわかってしまう。ひいては泥を階段道に流したことを悟られるかもしれない。
彼は大急ぎで鉢植えをその場において、素早く建物の陰に身を隠した。
そこにやってきたのは前日に書道部の部室に忘れ物をしたので取りに来た青梅さんである。
「あれ? こんなところに鉢植えがある」と彼女がバラの鉢植えに気を取られているうちに石神くんはその場を離れたのだった。
そして放課後、彼はどうなっただろうかと園芸部の様子を確認するため実習棟の裏を訪れた。時間的にはおそらく僕らが園芸部の和田さんたちと話をした後になるのだろうが、部員たちは「温室に水やりをできる人間がいない」という事実に思い至り、かなり動揺していたらしい。
特に沢井部長は嘆きながら、よよよとその場に崩れ落ちんばかりで、それを和田さんたち部員が必死になだめるありさまだったそうだ。
「ああっ。何てことなの? 先生から贈っていただいた大事なバラがこのままでは枯れてしまうわ」
「お、落ち着いてください。部長」
「部のシンボルたるバラを駄目にしたとあっては、この沢井日奈子、一生の不覚。この世には神も仏もいないというの?」
「一応、仏陀は実在の人物です。部長」
「せめて、私たちからの賞賛を目当てに木に登って土手の上の温室に代わりに水やりをしてくれるような、親切なナイスガイはいないものかしら」
「そんな都合のいい人間が都合よく見つかるわけがないじゃないですか。部長」
よしよし、頃合いだ。そう小さく呟くと石神くんはキラリと歯を光らせながら、颯爽と彼女たちの前に姿を現した。
「ちょいと待ちな。神や仏がいるかは知らないが、木に登って土手の上の温室に代わりに水やりをしてくれるような、親切なナイスガイ。石神達夫ならここにいるぜ」
その言葉に彼女たちは色めき立った。
「そはまことか?」
「救世主様じゃ。救世主様がおられる!」
「ありがたやありがたや」
園芸部員たちは彼を取り囲んで手を合わせて拝んだ。
「よしてくれ。そんな大げさな。僕はただ人から褒められるのを目当てに人助けをするという当たり前のことをしたかっただけですよ」
あくまでも自分に正直で誠実な言葉に彼女たちは感銘の声を漏らす。
「人情が紙のごとき薄い昨今、なんと感心な若人か」
「抱いて! 私のこと滅茶苦茶にして!」
よっしゃよっしゃ、狙い通りと石神くんはほくそ笑んだ。
御嶽さんも「ありがとう。石神くん」と笑顔でお礼を告げた。
いろいろあったが、これでめでたしめでたしだ。
穏やかな空気が漂う春の風の中、彼は心の中でそう呟いたのだった。
「いや、何もめでたくねえよ」
「それ、ただの畜生エピソードじゃないの」
明彦と日野崎が青筋を立てながら、石神くんに詰め寄る。御嶽さんも「あー、そういうことだったんだ……」とあきれた表情でため息をついた。
青梅さんはといえば、自分が陥った苦境の裏で起こっていた事情にどう反応すればいいのかわからず困ったような表情で沈黙していた。
僕も石神くんに向きなおって「とにかく」と口を開いた。
「それだったらちゃんと園芸部に自分のしたことを説明して、謝ってくれ」
「え? 何でですか? ……さっきまで犯人である僕にもそれなりの事情があったんだ。ここは大目に見てあげようっていう流れだったのに」
「いや、一度たりともそんな雰囲気にはなってない」
何で「僕、悪いことしてないのに謝らないといけないの」みたいな顔なんだ。
「君のせいで、青梅さんが鉢植えを壊した犯人として疑われているんだ。問題を引き起こした君は説明する義務があるだろう」
「いや、でも」
石神くんはおびえた表情でうつむく。
「そうしたら僕が自分で泥を流し込んで階段道を通れなくしたことがばれちゃうじゃあないですか。きっとあれですよ。『この人格パッケージ詐欺野郎』『三国一の卑怯者』って僕、集中砲火を食らっちゃいますよ」
話を聞いていた日野崎が「三国一ってどういう意味?」と眉をひそめる。
隣の青梅さんが「昔の言い回しで、日本・中国・インドのことだよ。中世の日本ではその三つが世界の主たる国だと思われていたから。つまり意訳すると世界一って意味」と補足した。
僕は小さくため息をついて彼をなだめすかす。
「いくら何でも、そこまでひどい言われ方はしないだろう。一応、鉢植えを壊したのは君じゃないし、去年も園芸部を助けたんだったらそのことも感謝しているはずだ」
「はあ。それじゃあ説明してみます」と石神くんは頷いた。
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