11:約束と、覚悟



さて、『剣神祭』に挑むにあたってやるがあと一つ残っている。


オーナーへの確認も終わっているし、自身に眠る才についても調べた。これから何をするのかも、どう自身の力を伸ばしていくのかも、定まっている。


残るのは、この愛しい弟子である彼女への説明のため。



「アル、大事な話をするからこっちにおいで。」


「? はい。」



この子には、まだ説明をしていなかった。普通なら一番最初にするべき存在なのに、……どうしてだろうね。やっぱり、自分が死ぬ可能性があるってのを彼女に説明することが嫌だったからだろうか。この世界に来て初めての私の弟子で、家族であり友と呼べる彼女。この子が私のことをどう思っているのかはわからないけど。やはり、"これから"のことを考え話すとなると、躊躇してしまう。あはは、なにしろ前世でも自分がこれから死ぬかもしれない、なんて話したことないからね。自分の強みを生かせなきゃここまで弱くなるんだ、私。


ずっと隠してはいられない、話すなら、準備するなら、早い方がいい。


呼ばれて寄ってきた彼女の両脇を抱え、自身の膝に座らせる。ちょうど、私の顎がアルの頭に当たるくらい。……今はまだ小さいけれど、彼女は成長期の真っただ中。いつの日かこんなこともできなくなるんだろうな、そんなことを考えながら、言葉を紡ぐ。



「アルは……、剣神祭って知ってるよね。」


「はい、剣闘士が参加できる一番大きいお祭りです。」



彼女の体温、生きてる印を感じながら、同じ方向を向く。二人とも、顔を覗くことはできない。私に、死への恐怖はある。彼女と出会うまではずっとそれで生き残ってきた。だけど、今は自分が死ぬことよりも彼女を置いて行く方は辛く感じる。



「出ることにした、私。」



『剣神祭』、剣闘士だけが出場できるお祭り。この国の頂点である皇帝が主催し、どの剣闘士が一番強いのかを決める。帝都全体で盛り上げるこのお祭りの経済効果はひどく大きい。それこそ闘技場は毎試合満席で、試合に賭けられる総額は天井知らず。普段は剣闘士の試合など見ない者や、他の都市からやってくる者もいる。生み出す金がとんでもないものになることは簡単に解るだろう。


そんな祭りを、私やオーナーがずっとこれに出ることを下策としていた理由はたった一つ。この祭りに出場して生き残る剣闘士はたった一人、ということ。皇帝も見に来るのだから下手な剣闘士を出すことはできない、それこそそれぞれのオーナーが持つ最上の剣闘士を出してくる。その剣闘士をそこまで育てるのにかかった時間、資金、物、毎日とんでもない量の剣闘士が消えていくことを考えればそのコストがどれだけ大きなものであるかは考えずともわかるだろう。


それが、一瞬にして消える。


トーナメントで行われるこの試合は、全てどちらかが死ぬまで行われる。生きるか、死ぬか。それが繰り返され、残るのはたった一人の剣闘士だけ。3度の飯より金が好きそうなあのオーナーのことだ、彼から見ればこの祭りなど金をドブに捨てる行為でしかないだろう。私も、死ぬのはイヤだった。"ビクトリア"という偶像が巨万の富を生み出していることもある、出るのは、はっきり言って愚策だ。


私はそう、アルに教えた。



「え、でも……。」


「考えが変わったわけじゃない。でも、出ることにしたの。」



私は、一刻も早くこの世界から抜け出すために。この世界で生きる人間たちが蓄積した"この世界"の知識を、私は知らない。いつ、どこで、その猛威が降りかかってくるかわからない。そして、いつ私の体の衰えが始まるか解らない。いつ、ビクトリアという偶像が砕け散るか解らない。ここには前世慣れ親しんだものがない、私はいつだって異物であり続ける。私の"知識"の大半は、役に立たない。


一歩前のことを予測して、対応を取ることはできる。でも、そこまでしかできない、もっと先は見通せない。


故に、動かないといけない。まだ私が全てを跳ねのける自身がある内に。



「死なないよ、私は。」



死なない、死ねない、死ねるわけがない。


けど、この言葉は何故か、すごく薄っぺらく感じてしまう。心のどこかで、私がそれを否定してしまっているからだろうか。


出場してくる相手達は、誰もがイレギュラー。二分の一の確立で死ぬこの世界を生き残ってきた化け物たちだ。私も、その一人ではある。だが、多くのオーナーが剣神祭に自身の切り札を出場させるために、化け物同士の試合を組むことは極端に少ない。剣神祭の優勝者という称号を得る機会を、大金をわざわざ目先のはした金のために捨てるものなどいないからだ。


つまり、私は化け物との対戦経験がほとんどないと言っていい。私の様な『スキル』で戦う奴、単純な身体能力で押し切る奴、卓越した技量ですべてを支配する奴。誰がどんな戦い方をするのか全く分からない。……もちろん、そんな化け物たちが試合に出てくることもある。それを見れば情報を集めることもできるだろう。


だが、それは表面的なものだ。


私がそうであるように、化け物たちの対戦相手は一つ格の落ちた者を当てられることが多い。持ち主であるオーナーがその剣闘士を失うことを避けるためだ。そうなると私が得ることができる情報は、格段に少なくなる。私が本来の戦い方ではなく、"ビクトリア"という魅せるための戦い方をするように、手に入れた情報は必ずしも正しいとは言えない。



「……なんで、ですか。」


「この世界から出るため、かな。」



幾ら『加速』があろうとも、ビクトリアを捨て本来の戦い方を使おうと、私が勝利を掴み続けることができるかは、はっきり言って解らない。勝ち切る自信はある、でもそれを証明する方法がない。ただ、今以外はありえないと、思っている。


奴隷である限り、私たちに最終的な決定権はない。いつアルが来てほしくない剣闘士の世界、こちら側に来てしまうのか。私は意見を言うことはできるだろうが、阻止することはできない。……それに、今のオーナーが急に死ぬこともある。そうなれば私たちの所有権は彼の商会の誰かか、後継者に継がれるだろう。次のオーナーが、私にとって都合のよい存在かどうかは解らない。


私は、多分。考えなくてもいい恐怖に怯えている。どうしようもなく、怖い。アルが、死ぬことが。早く、早くこの世界から出ないと、出ないといけない。早くただの"物"から、"人間"にならないといけない。私の中で少しずつ溜まっていたこの想いが、爆発しそうになっている。


これが弾けた時、自分が何を選んでしまうかが全くわからない。ただ、最悪の手段を選んでしまうことだけは解る。



「お、オーナー! オーナーはなんて!」


「もう、許可はもらってる。」



私たちの主人、彼には剣のことが解らない。彼が解るのは、この世界を巡る金がどう動き、どうすればより多くの額が自身の周りを回る様になるかということだけ。彼の中で私は、おそらくだけど、大きな存在になっていると思う。


自分からアイデアを出し、それに合わせた演技を行い、結果を出す。出し続ける。この世界には存在しなかったものを生み出し、新たな市場を生み出した。そして何よりも、その根幹となる剣闘士の試合で、私は勝ち続けた。不敗だった。死ななかった。……故に、彼の中で私に対する『負けない信頼』が、出来ていたのだと思う。


もう一度言うが、『剣神祭』が巻き起こす経済効果ってのは非常に莫大だ。勝てば巨額の金と名声、負ければ死。彼の頭の中で、私を失うというリスクが、私の不敗によって薄れてしまったのだろう。故に、天秤がこちら側へと傾いた。そして、彼が決めたことは、彼しか覆せない。



「……師匠。」


「大丈夫。」



負ければ、全てを失う。だが、勝てば文字通りすべてを得ることができる。


"人間"という身分も、名誉も、金も。そして、それからの未来も。


奴隷である限り、どこまでいっても私たちは"物"でしかない。だから、だからこそ、早く。


私が勝てば自分たちを買うことができる、私が勝てば人間になることができる、私が勝てばさらなる人気と名誉を得ることができる、私が勝てばそこから新たな資金を得ることができる。二人でどんなことだって、できるだろう。



「大丈夫だよ、アル。それに、私が死んでも……」



私が死ねば、これまで私が貯め込んできた金は全てオーナーのものになる。それでアルが自分を買い直すことはできない。……だから、彼女。ヘンリエッタ様にすでに頼んでいる、昔から、ずっと。もし、何か私にあったときは、彼女をお願いします、と。


彼女であれば、悪いようにはならないだろう。そう思い、頼んでいる。アルが、私の中でかけがえのない人になってから。


そう、言葉を紡ごうとした。



「言わないでください!」



口が、塞がれる。



「そんなの! 聞きたくないです!」



……あぁ、そうだよね。


私だって、聞きたくない。


それに、あなたがなく顔も、見たくない。



「や、約束してください! 絶対! 生き残るって!」


「……あぁ、もちろん。約束する。」



剣闘士は、傲慢であれ。


決して負けることを考えるな、生き残ることを、目の前の敵を殺すことを、考え続けろ。



「約束するよ、アル。」


















「……悪いことした、かな。」



溜まっていたものが決壊してしまったのか、ひとしきり彼女は泣いた後、寝てしまった。


私もそろそろ寝た方がいいのだけれど、何故か目が冴えてしまっている。


何もせず、ただ時間が過ぎることを待つ。そうすれば自然と眠くはなるだろうが、何もしていない時間がひどく嫌で。あの時のように剣を振るっている。『加速』を発動させ、ゆっくりと時間が過ぎるこの世界で。ただ、振り続ける。



「違う道も、あったのかもしれない。」



剣神祭に出場せず、このまま一人の剣闘士として金を稼ぎ続け、資金が貯まるまで待つルート。ヘンリエッタ様の元でもう一つの人生を歩むルート。考えれば考えるほど選択肢は多く生まれ、消えていく。その中には一番取るべきではないルート、私の道を遮る者すべてを切り殺していくという道もあった。


……事実、不可能ではない。どこかで必ず頓挫するだろうが、そうすれば一時の平穏を手に入れることができた。故に、魅力的に見えてしまう。それほどまでに、飢えてしまっている。"人間"という身分に。



「だけど……。」



私が狂った時に、獣に堕ちてしまった時に取ってしまう道は、必ず失敗する。自分がいつ通用しなくなるか、自分がいつ売れなくなるか、それは誰にも解らない。そして、私には何か失敗した時に助けてくれる存在が、いない。私が奴隷である限り、人間ではなく"物"。しきりにヘンリエッタ様が私に話を持ち掛けてくれる理由は、彼女の趣味のところも大きいと思うが、そういうものもある。


でも、私からすれば彼女の物になっても、結局"奴隷"という身分は変わらない。私を買うのにかかった資金が、私の首を絞めつけている。これは、今と一緒。それに彼女が死んだとき、もう私を助けてくれる人はいなくなる。彼女は高齢だ、いついなくなるか解らない。頼り切ることは、難しい。


人と人との関係性は、相手が"人間"である前提で成り立っている。奴隷じゃ、そうもいかない。だから、だからこそ。



「もう、言葉にしなくてもいいよね。」



剣神祭で、勝ち抜く。


化け物同士の殺し合いだ、どうなるかはわからないが……。残念だけど私は約束を破る女じゃない。



「できる手は、打てる手は、全部やろう。」



タクパルの手も、オーナーの手も、ヘンリエッタ様の手も。もちろんアルの手も、全部使ってすべてを真っ向から叩き潰す。子供でも解る簡単な方法だ。


"ビクトリア"として戦い抜くのは難しいだろう、"彼女"の能力は魅せるためにある。それじゃあ化け物の相手は難しい。だからこそ、今の私を、裏の世界で殺し続けた私を、そこから出てビクトリアを経験した私を、生きる理由ができた私を、見せつけてやろう。



「幸い、私が進んでいた方向性は間違ってなかった。これからは、高めるだけ。」



私が愛用する『加速』は、自身とこの世界の速度を切り離す。倍速というのはそういうものだ。だが、これは速くなるだけで体の強化とかはしてくれない。『加速』に際限はない、だが私の体に限界はある。倍率をあげれば上げるほど体は軋み、脳は警鐘を鳴らし続ける。そういう能力だ。


すぐには高めることはできない、そう思いずっと鍛錬し続けたかいがあった。……そろそろ、目の前の壁を超えれるはず。



「新しい手札を用意する必要はないし、今から始めても形になるかわからない。なら、これまで通り今の実力を上げ続けるのみ。」



そうすれば、絶対に勝てる。


これまでずっとそれで勝ち続けてきた。だから、ね。


あとは……。



「装備、かな?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る