3:うちの子はかわいい


「あの時のこと私忘れてませんからねッ!」



そう言いながらぷりぷり怒るアルを眺めながら朝の修練を進める。いやぁ、アルちゃんは可愛いですね。おくちまん丸に膨らませてぷんすか怒ってるのを見るとドロドロになった私の心が浄化されていくようで……、ほらあっちの方でのぞき見してる野郎どもを見てみなさいよ。胸の前で手を組んでお目目の中にお星さま浮かべながらキュンキュンしてるでしょ? ガチムチの野郎どもが。すっごく教育に悪い。



「もう忘れてもいいかとお師匠様は思うんだけどなぁ?」


「あんなの忘れられるわけないです!」



彼女がこんなに怒っている理由は初めて会ったときのこと。役を体に鳴らすというか、この子が可愛かったせいでちょっといじめたくなっちゃってね? アルちゃんをご主人が買ってから今生活している宿舎に帰ってくるまでずっと耳元で甘ったるい言葉をつぶやいていたのよ。こんな風にお膝にのせてさ。ず~っと茹でだこみたいな顔してたからあんまりにも面白くて辞め時忘れちゃってさぁ……。ご主人も「面白い、もっと。」って目線で訴えてたし。 



「私、ずっとあの時そういう意味で食べられるって思ってたんですからねッ!」


「あは~、おませさんだなぁ。」


「ぅもう!」



そんな感じで怒りながら彼女が振り回す木剣を軽くいなしていく。


話だけ聞いてれば楽しい楽しいガールズトークって感じだけどさっきからず~っと話しながらアルちゃんの剣を見ている。何かの技術に基づいた教えってのは私にできないから実戦形式での指導だ。



「本番だったらここで終わってるよ、っと。」



感情を乗せた上段からの振り下ろしを剣の腹で滑らせて受け流す、力を込め過ぎたせいで姿勢が崩れている。まぁ決めに来た攻撃を回避されるのって結構きついからねぇ。奇しくもこの前の試合と一緒になってる。



「決めに行くのはいいけど受け流された時、避けられた時のことも考えて動きなさぁ~い。」



さっきまでのを攻撃の訓練とするならば、次は受け流しの訓練だ。かな~り弱めに打ち込みを開始する。



「ッ!」


「見えてるんだから受け止めるんじゃなくて受け流しを意識。流しそうめんのように受け流す~。」



私が『加速』のスキルを持つように、彼女には『目の良さ』という力を持っている。かなり手加減してるけど同じくらいの年齢の子じゃ把握できないような速度で打ち込んでもアルならそれを知覚する。だけどまだそこから行動に移す、ってのは難しいみたい。


何とか剣の振られる線に自分の武器を滑り込ませるのが精一杯。受け流しができるまではまだ時間がかかりそうだ。



「流しッ、そうめん、ってッ! 何です、かッ!」


「小麦の麺を水で流して食べる奴、おいしいけどこのあたりじゃ食べれないだろうね。っと、話してる暇あるのかなぁ?」



実戦で初めて相対して死んでしまうよりは、早いとこ知ってしまって対抗策を考えておく方が何倍もいい。昔の私みたいに血反吐吐きながら無理やり戦ってスタイルを確立するよりはそっちの方がかなりマシで確実だ。あとやっぱり明らかに西洋の文化圏に似通ってるこの地域じゃそうめんはないのね。かなり残念。



「細くて白い麺なのよ、それを氷水で冷やして。大豆を発酵させたしょっぱい液体に付けて食べるのよ。あつ~い夏の代名詞とも呼べる食べ物だよねぇ。……あ、やば。和食食べたくなってきた。しにそ。」



ちょっとバテてきたアルちゃんへの打ち込みを少し弱めながら、そんなことを考える。いやこの町って言うか帝都ね? 都の中に港があるおかげで結構新鮮な魚介類が食べられるのよ。それに近くに食料供給用のおっきな農場や牧場もある。新人とか負けっぱなしのやつとかはパンとよくわからん野菜の汁ぐらいしか食えないんだけど、今の私みたいに成功すれば食卓に魚が出てくる。


それでね、そういうの食べてるとさ。どうしても醤油とか味噌とか欲しくなるのよ。


奴隷から解放されたら真っ先に大豆買い込んで試行錯誤しながら世界中を探し回る覚悟ができるくらいには。


いやほんとにね? そりゃ駆け出しのころのマジでコレ何入ってんの? というかこれただ温めた泥じゃないの? ってぐらいクソ不味いスープに固すぎてスープでふやかしながらじゃないと食べられないようなパンを食べてた頃に比べれば格段にいい食生活してるのよ。


差し入れだけど果物あるし、新鮮な野菜も食べれるし、魚は出るし。自分で金出さないといけないけど肉や卵も食べようと思ったら食べれる。それにパンだって前の世界のフワフワ白パンとかを知っている身からすればまだ固いけど普通に食べれるのよ。アルちゃんにもたくさん食べさせてあげれるし!


でもやっぱりね、故郷の味が恋しいっす。



というわけでそろそろアルちゃん限界っぽいし、剣の腹でかる~く面一本。訓練おしまい!



「あいた!」


「ハイおしまい~。」



ま、アルちゃん自体結構センスあるからこのまま頑張ろっか。ちゃんと少しずつ成長してるし安心しな。まだ10くらいだから体を作ることを重視して、そんなにキツイ練習してないでしょ? かな~り手は抜いてるけどその年で私と試合が成り立ってるだけで十分さ。あそこでこっちのこと覗いているいい年した野郎どもよりはよっぽどね。



「ということでアル。息整えたら剣しまって朝の用意頼むよ。魚は多めに貰ってきなさい。」


「は、はい! わかり、ました!」



息を整えながらなんとか返事をする彼女に軽く笑いかけ、訓練を終える。……でもまぁ彼女との打ち合いだけじゃ私の準備運動ぐらいにしかならないし、これからもどんどん稼いでいくには今の肉体の向上を目指していかないといけない。奴隷の身じゃなくて金にも余裕があったら教会とかで定期的にステータスを見てもらえるんだけどねぇ。


数値化されればもっと効率的にトレーニングできるんだけど、ま。今できることをしましょうか。



「おい! そこで覗いてる野郎ども! 相手してやるからさっさとこっちに来な!」



軽く20人くらい、ま。実力的にはこの前戦った犯罪者くんより下だし。スキルなしで全員気絶させるまでは……、三分ぐらい? 時計どころか砂時計もないからそこら辺は感覚で。



は~い、ただで実戦経験詰めるんだから大人しく私に倒されようねぇ?







 ◇◆◇◆◇






「だからあの人たち山になってたんですね……。」


「しょゆこと。」



朝飯の用意ができた、ってことで呼びに来てくれたアルちゃんが待っていたのは死屍累々の野郎たちでできた山。そしてその周りを、というか修練所の外周をぐるぐる走り回っていた私だった。



「いやわざわざ中央に集めてその周り走ってましたから、てっきりあの人たちを生贄にして何かヤバい物でも呼び出すのかと。」


「……君の頭の中の私ってどうなってんの?」


「クソ強くて優しいけどイカレてる師匠です。」



いやだって三分ぐらい持つかなぁ? と思ったら2分もいかないぐらいで全員つぶれちゃったからもう暇で暇でしょうがなかったのよ。だから普通にランニングしてたわけ、邪魔な奴らは中央に集めてね? まぁ一応アレでも少しぐらいは戦える程度の実力者なはずなんだけど、如何せん私が強すぎた。



「嫌味ですか?」


「口、悪~くてゴ・メ・ン!」



実際あれぐらいの実力だと私レベルとかそれ以上の相手との乱戦を組まれることがある。1対100とかそういうのね? まぁオーナーたちって高い実力と人気を持つ剣闘士の浪費を避ける傾向にあるから……、基本100の方が負ける。対戦相手の性格にもよるけど、真っ二つにされちゃったり、上半身と下半身が捩じられたり、だるまさんになっちゃたりする子が続出するのよ。そんな中で少しでも生存率を上げる、致命的な一撃を重傷レベルまで下げて次につなげるってのは伸び悩んでる剣闘士にとって結構必要なスキルなのよ。死んじゃったら全部終わりなわけだしさ。だからその経験を積めて彼らも感謝してるはずだよ、多分。



「……私も覚えた方がいい奴ですか?」


「うにゃ、いらん。アルちゃんは“浪費を避ける側”つまり1の方を目指してやってるんだから、ダメージを少なくするよりもダメージを無にする、受け流したり回避したりする方を覚えた方がいい。」



アルちゃんは多分だけどそっち側じゃない、私と同じ速さに重きを置いた方が大成するはずだ。


私たち、とくに人間族の女の剣闘士にとって一番重要なことは体や顔を綺麗なまま保つこと。傷になる攻撃を全て避けて、美しく魅せるような戦い方で勝つ必要がある。そうじゃなきゃ商品価値がどんどん下がっちゃって待ってるのは破滅、ご主人様にポイされるか次代の剣闘士を産むためのエロ同人ルートだ。


もちろん男の剣闘士みたいに単純な身体能力だけで魅せるから傷なんか気にしない女の剣闘士、って人もいる。人間族じゃ珍しいけど獣人族とかドワーフとかがよく当てはまるよね。でもそのタイプよりも売れるのは私たちみたいに“見た目”で売る剣闘士だ。できるだけ多くの注目を得て、できるだけ美しい魅力的な勝ち方をして、できるだけ観客たちの財布からお金を奪い取っていく。



「まぁその分求められる技量も、体や肌を維持する努力も必要だから結構めんどいんだよね。……もしアルちゃんがアイツみたいにガチムチになりたいのなら練習メニュー変えてあげるけど。」



そう言って、顔を近づけながらひそひそ声で指さすのはウチのオーナーが持つ稼ぎ頭の一人。


さっき言ってた身体能力で押し切るタイプの剣闘士だ。人間族の男で、2m以上ある筋骨隆々のマッチョ。体中にこれまで戦い抜いて来た証である傷跡がたくさん残ってる奴だ。オーナーが同じなので試合で当たったことはないが、宿舎で何度か手合わせしたことはある。典型的なパワータイプで攻撃をその体で受け止めながら、それを上回る攻撃で殺しに来る戦法を使う。……勝てるかって? まぁ速度限界まで上げていつもの様な魅せるスタイルを放棄すれば勝てるね。さすがに“ビクトリア”しながらの余裕はないと思う。


そんな彼の元に彼の弟子たちがせっせと食事を運んでいる、アルちゃんより少し年上の子たちが三人がかりで給仕してるけどそれでも彼の食事スピードには追い付かない。アルちゃんもあれぐらい食べて普段の訓練の5倍くらいの量をこなせばあぁいうのになれるけど……。



「なりたい?」


「結構です。」


「だよね~!」





「聞こえているぞ、ビクトリア。」



あら、さすがにバレてるか。



「これは失礼しました、タクパル殿?」


「何故貴様がそれで人気が出たのか俺には解らん。」



ジナ、という本名。まぁ剣闘士になった時に適当に考えた名前だけど、“ジナ”じゃなくてわざわざ役としての“ビクトリア”で呼ばれたから切り替え抑揚をつけて返してあげる。まぁいつものおふざけだ、こいつは誰でも本名じゃなくて剣闘士として登録している名前で呼ぶ。


なんか一回やらかしかけたのが理由らしいけど……、まぁ見た目ゴツいけど弄っても激昂するタイプじゃないから私好きよ? 年上だからって威張ったりすることもないし、女だからって見下すのもしないしね。



「隠れて人の悪口を言う、あまり褒められたものではないと思うが?」


「確かに、それに関しては謝るよ。今度からタクちゃんの目の前で言うね♡」


「……相変わらず性格が悪い。」



まぁそれまで殺し合いどころか大けがだって珍しい安全な世界で生きてたのに、いきなり殺し合いの世界に放り込まれればねぇ? ひねくれちゃうのも仕方ないと思うんですよ。自分で言うことじゃないんですけども。



「というわけでアルちゃんは体の成長を阻害しない程度に運動して、しっかり食べて、しっかり寝ながらぬくぬく成長しましょうね?」


「うむ、食事に睡眠。適度な鍛錬。この世界で生き残るのには必要なことだ。」


「……え? そういう話でしたっけ?」



そういう話だぞ? というわけでタンパク質取るために煮魚でしょ? もらい物の柑橘類でしょ? 後はちゃんとパンも食べましょね? アルちゃん若いんだから食べた分だけ成長に繋がるし。


ほら食べろ食べろ~!



「あ、そういえばタクちゃん。この後空いてる? よかったらちょっと相手してくれない?」


「構わんが……、いいのか?」


「大丈夫大丈夫、午後はフリーだし明日は外でお仕事だから。」


「ならばよい。」


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