第12章

第69話 旅立ち①

 メル達が奴隷船と遭遇した日から、およそ2週間後。迫害を受けし難民として認定された元奴隷達はトルンデイン領で暮らす事を正式に許可され、現在は心地よい陽射しが照らす山頂の農園で働いている。深刻な過疎化に悩まされていたのが嘘のように、リギセンの村も賑やかになった。

 ずっしりと実った果物や野菜は手に取ると重く、それらをいくつも摘み取って運び出す作業は、荒涼とした山岳地帯でも汗が吹き出る程度に大変な労働だ。それでも彼らは希望に満ちた表情で、収穫の歓びを享受していた。

 もちろん、これは強制労働などではない。救って貰った恩を返したいのでぜひ働かせて欲しいと、彼らの方から申し出があったのだ。村長夫妻はそれを快諾し、共に生きる仲間として亜人達を快く迎え入れた。近隣都市へ出荷された農作物の売り上げを給金として支払う取り決めも結ばれたので、デクシア帝国へ売られるより遥かに良い未来が待っているだろう。

 一方、人手が増えた事で少女達はリギセンの復興工事や、農園作業に従事する必要がなくなった。以前よりも自由な時間が増えたため、最近は農園を一望できる高台にあるレモティー手作りの休憩所で、午後をゆったりと過ごすのが日課だ。今もベンチに座ったメルの髪を、ココノアが丁寧にブラッシングしている最中である。


「にゃふ~♪ ココノアちゃんは髪をくのがとてもお上手ですよね。気持ち良くて思わず声が出ちゃいます!」


「こら、耳を動かさないでよ! さっきから邪魔でしょうがないんだけど!」


「えへへ、ごめんなさい♪ でも勝手に動いちゃうんですよぉ」


 ブラシの行先を邪魔するかの如く、ぴょこぴょこと揺れるピンク色の猫耳。本人に悪気がないのを理解しているココノアは、文句を言いつつも優しい笑顔で手入れを続けた。空を舞う小鳥達のさえずりと、そよ風が草木を撫でる音をBGMに、2人だけの穏やかな時間が過ぎていく。


「……こんなのんびりとした生活に慣れちゃうと、もう日本での生活には戻れない気がするわ。メルだってそうじゃない? 会社勤めのストレスとは無縁だから、髪の毛だってこんなにツヤツヤしてるわけでしょ」


 ココノアは何気なくメルの髪に指を這わせた。明るい桃色に染まったロングヘアは柔らかく、サラサラとしている。ブラシを頭頂部から背中まで一気に降ろしても、引っ掛かる事なくスムーズに動かせる程だ。ヘアコンディショナーも無いというのに随分綺麗なものだと、ココノアは感心したような表情を浮かべた。最後の仕上げとして耳付近の髪をリボンで結わえ、元のツーサイドアップに戻せばブラッシング終了である。


「ふぅ、こんなところかしら。それにしても獣人族って不思議よね。エルフ族と違って個体差が激しいっていうか、同じ種族とは思えないくらいバリエーションがあるじゃない」


「言われてみれば、確かにそうかもしれません。西大陸出身の獣人族さんには全身が毛むくじゃらの人もいましたから」


 メルはこくこくと頷いた。エルフ族は尖った長い耳を持つが、それ以外は人間族とほぼ同じ容姿である。出身地が異なってもその点に大きな差は無い。西大陸からやって来たエルフ族とココノアを並べたところで、明確な違いを見出すのは困難だ。

 片や、獣人族は同じ種族内でも個人の差が激しい。メルは人間族に猫耳と尻尾を付けたような容姿だが、西大陸出身の者はもっと獣に近かった。やや前傾気味の骨格、青色の短毛に覆われた肌、動物を思わせる尖った口吻こうふん――いずれも人間族には見られない特徴だ。エリクシル王国で見掛ける獣人と比べても差異は大きい。少し前にリギセン駐在中の冒険者ギルド職員から聞いた話を思い出しながら、ココノアは話を続けた。


「そういえば、西大陸だと異種族同士の婚姻が許されてないってケントが話してなかったっけ。王国はそんな事なくて、人間族と亜人の混血も多いみたいだから、血の濃さが見た目に影響してるのかも」


「でも、ユキちゃんは私とほぼ同じ感じでしたよ?」


「あの子だけは他の獣人族と雰囲気が違うのよね。何か特別っていうか……」


 ユキは奴隷船から救出された白狐の獣人少女である。10歳前後の子供にしか見えないメルやココノアを"お姉ちゃん"と呼ぶくらいに幼いものの、日常で見せる所作には何となく気品が感じられた。高貴な家柄の生まれなのかもしれない。

 モフモフとした大きな尻尾のみならず、ユキの真っ白な肌と銀色に輝く髪は獣人族の中でも珍しい部類に入る。他の亜人なら彼女の両親について何か知っているかもとレモティーが聞き回ったが、今のところ有益な情報は得られていない。並行して冒険者ギルドでも調査を進めて貰っているものの、まだ返事がないところをみると成果はかんばしくないようだ。


「ユキちゃんのお母さん、今頃きっと心配してますよね。早く故郷へ帰してあげたいものです……」


「西大陸のどこか、って事しか分かってない状況じゃどうしようもないわよ。オルキデウスって国に絞ってもかなり広いらしいし、今はギルドの調査結果を待つしかないでしょ」


「うーん……それはそうなんですけども、ユキちゃんが時折寂しそうな顔をしてるのを見ちゃうと、居ても立ってもいられなくて……」


「うちだってその気持ちは分かるけど、オルキデウスへの渡航は無理ってケントが言ってたじゃない」


 世界中に支部を持つ冒険者ギルドは国際情勢にも通じていた。西大陸の半分以上を占める超大国、オルキデウスに関する情報を教えてくれたのもケントだ。

 やや主観の入った彼の物言いによると、オルキデウスは自国より文明で劣る国を見下しており、強い力を持つ大国相手にしか門戸もんこを開いていないらしい。そのためエリクシル王国からオルキデウスへ渡るには、西大陸行きの定期便があるデクシア帝国を経由するのが最短経路となる。メルは無念そうに項垂れた。


「うぅ、今はデクシア帝国とエリクシル王国の関係もよくないですし、西大陸へ行く手段を確保するのも難しいなんて……」


「いっそ、うちらで船を調達してみる? でもそれだと乗組員をどうやって確保するかが問題になるわね……」


 NeCOに船舶を操縦するスキルはない。別大陸へ渡航するのなら、海をよく知る人材が必要だ。2人が難しい表情を浮かべて悩んでいると、ベンチの後方から1人の村娘が歩いてきた。長い金髪を風に靡かせながら、女性は大きく手を振る。


「やぁ2人とも、相変わらずベッタリでけちゃうね!」


 聞き慣れた声をキャッチし、ピクリと動く猫耳とエルフ耳。少女達が同時に振り返ると、麦わら製のバスケットを持ったレモティーの姿が見えた。メルは笑顔で両手を振る。


「レモティーちゃんも一緒にのんびりしませんか!」


「あはは、可愛い幼女達のお誘いとあらば断わるわけにはいかないなぁ! 実は婆ちゃんからの差し入れを預かって来たんだ」


 ベンチまでやってきたレモティーは、焼き立てのパンを籠から取り出して2人へ手渡した。ちょうど午後3時頃だったのもあり、小腹が空いていたメルは喜んでそれを受け取る。


「特上の燻製肉を使ったベーコンエピだよ。冷めない内にどうぞ!」


「わぁ、美味しそうです! いただきますね♪」


 麦穂のような形をした硬めのパンを、口いっぱいに頬張る猫耳少女。口内へ広がる香ばしい燻製肉の旨味と、パリっとしたパン生地が奏でる極上のハーモニーに、彼女は無邪気な笑顔を見せた。その様子を横目に、ココノアもベーコンエピに齧りつく。


「……へぇ、結構いけるじゃない。日本で食べたのよりおいしいかも。ところで、レモティーが朝に言ってた用事、全部終わったの? 農園の引継ぎがどうのこうの喋ってたでしょ」


「うん、ついさっき終わったところさ。みんな熱心で飲み込みも早かったから、今後の運営は安心して任せられると思うよ。あとはコイツを安定して量産する事ができれば……!」


 レモティーはおもむろにバスケットからアップルジュースが入った瓶とコップを引っ張り出した。透明なガラス瓶にはラベルが貼られており、"リギセン産リンゴ果汁100%"といううたい文句と、デフォルメタッチの長閑のどかな農園風景が描かれている。ココノアはそれに気付くと、ニヤニヤした顔でコップを手に取った。


「ほら感謝して注ぎなさいよ、レモティー。ラベル作りに関しては、うちが一番の功労者なんだから」


「ははっ、そりゃもちろん! ココノアの絵が無かったら、このラベルは出来なかったからね!」


 宴席の接待を彷彿とさせる仕草で、豊穣の乙女は黄金色の飲料をガラスコップへ注いだ。彼女が持参した瓶詰めのジュースは、リギセン地方を代表する商品として生み出された試作品である。果物そのままでは場所を取る上、冷却魔法があっても保存に苦労するが、果汁にしてしまえばそれらの問題は解消される。しかも原材料となる糖度の高いリンゴはリギセンの農園でしか収穫できないため、稀少性が非常に高い。卸先となるトルンデインのベテラン商人も、売り出せばすぐに注文が殺到するだろうと太鼓判を押した逸品だ。美味しそうにジュースを飲むココノアを眺めつつ、レモティーはメルにもコップを差し出した。


「メルもどんどん飲んでおくれよ。できれば感想をくれると嬉しいなぁ! 一応、日本でボクが愛飲してたものを参考にしてみたんだ」


「えへへ、ありがとうございます♪ では遠慮なく……むっ! これは凄いですね! 今まで飲んだどんなアップルジュースよりも美味しいかもしれません!」


 猫耳少女は口元から八重歯を覗かせて笑う。尻尾でハートマークを作るくらいには気に入ったようで、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。


「その様子だと味は合格点かな? これで村の経済が少しでも潤ってくれると良いんだけども……」


 瓶の中で揺らめく黄金の液体を見つめながら、村の将来に想いを馳せる豊穣の乙女。ユキを西大陸へ連れて行くという新たな目的が出来た彼女は、リギセンを離れるにあたり、いくつかの置き土産を残す事にしたのだ。

 異世界のポーション製法を応用した果汁の抽出技術、そして現代日本から持ち込んだ酸化させない工夫と、摺り下ろした果肉を混ぜる発想を組み合わせた知恵の結晶――果汁100%ジュースの製法は、この世界において紛れもなく新発明と誇れるものである。製造工程の大半を魔法と魔道具に頼っているため大量生産は難しいものの、魔力を多く持つエルフ族のおかげで1日に300本程度なら製造可能だ。ただ、異世界では珍しい商品だけに懸念事項も少なくない。ココノアは空になったコップから薄い唇を離すと、レモティーに質問した。


「味は文句なしだけど、こんなのすぐに類似品が出回るんじゃないの? 日本でもヒット商品が出たら、それを真似したものが大量に出てきたでしょ」


「うん、それを想定してこの特製ラベルを作ったんだ。ココノアみたいな絵を描ける人は珍しいし、古代遺跡で拾ってきた魔道具で印刷してるから、簡単には真似できないはずだよ! だからリギセン産っていう価値を先に確立してしまえば、複製品を出されても大丈夫じゃないかな」


「ふぅん、なるほどね。先にブランド化するってのは良いアイデアかも。ロリコン女にしては上出来だわ」


「ははっ、もっと褒めてくれてもいいよ! ……っと、そろそろ時間だ。ケントさんのところへ行かないと」


 唐突にベンチから腰を離した友人を、エルフ少女が不思議そうに見上げる。


「えっ、いきなり何よ。今日はギルドの仕事なんて無かったと思うけど」


「いや、大した用事じゃないんだ。ただ、ユキちゃんの件で色々とお願いしてたから、進捗を確認しておこうと思ってさ」


「あ、それなら私も行きます! ちょうどさっき、ココノアちゃんとお話してたところですから」


 食べかけのベーコンエピを一気に平らげると、メルはバスケットの片づけを始めた。ココノアもそれに続く。


「夕食前に食べすぎたし、腹ごなしに散歩するのも悪くないかもね」


「それじゃ、みんなで向かおうか」


 年恰好相応の幼い顔から一転し、冒険者の表情になる少女達。そんな2人を先導するかのように、レモティーは力強く1歩を生み出したのだった。



§



 山村の入口近くにある冒険者ギルドの出張所。外観はシンプルな丸太小屋であるものの、村の早期再建へ向けた事業を担う重要施設だ。ここで発行される資材調達や害獣駆除といった依頼任務のおかげで、復興作業はスムーズに進んでいた。

 午前中は外の掲示板に張り出される依頼票目当ての冒険者で賑わう出張所だが、夕方近くには人がいなくなり閑散かんさんとする。レモティー達が"開所中"という板が掛けられた扉を開けると、ケントが1人で書類仕事をしている最中だった。


「やあケントさん。少し時間を貰っていいかな?」


「これはこれは、レモティーさんじゃないですか! 貴女あなたのご要望とあらば、いつでも対応させていただきますよ」


 依頼票の束を雑に棚へ放り込み、3人分の椅子を準備する茶髪の青年。彼はそのまま流れるような動きで玄関口へ移動し、ドアプレートを引っくり返した。他の冒険者が入って来ないようにするためだろう。再び受付窓口へ戻ってきたケントは、熱の籠った視線でレモティーを見つめる。


「これで邪魔は入りません。なんなりとお話ください、レモティーさん!」


「あはは……仕事中に邪魔しちゃってごめんよ。ユキちゃんの両親に関する調査状況を確認しておきたいと思ってね。それを聞いたら、すぐ帰るからさ」


「あっ、ユキちゃんの件でしたか。てっきり先日にお誘いしたデートの話かと……いえ、何でもありません。ギルド本部から届いた回答がいくつかあるので、それをお伝えします」


 隠しきれてない落胆の色を顔に滲ませつつも、ケントは書類棚からいくつかの封筒を取り出した。いずれもギルド本部の正式な書簡である事を示す公印が押されている。


「まず、結論から申し上げます。ユキちゃんの両親に関する手掛かりは未だ掴めていません。ただ、王国領を侵犯した奴隷船……それがオルキデウス公国の所有物であったことは分かりました」


「国の所有物……? それはどういう意味だい?」


「オルキデウスは成り立ちが少々特殊でして、五英侯ごえいこうと呼ばれる大貴族が実質的な統治を担っています。そのうちの1人が、奴隷売買の元締めだったと判明しました。大勢の亜人を積載しながらも長期航海可能な巨大帆船が建造できたのは、国家事業として膨大な資材が投入されたからでしょう」


「え、船に乗ってた連中はチンピラみたいな男ばっかりだったわよ。あれが国の持ち物だって言われても、全然信じられないんだけど。何かの間違いじゃないの」


 ココノアが会話に割り込む。奴隷船の乗組員は荒くれ者ばかりで、ともすれば海賊にしか見えない者もいた。国家事業という説明に違和感を抱いても不思議ではない。ケントは軽く頷いて理解を示した上で、その問いに答えた。


「良いところに気付いたね。あの船は公国内の奴隷商へ貸し出されてたんだ。だから国の管轄下にありながらも、その使い方についてはができる。実際、本部の調査結果によると奴隷売買だけじゃなくて、違法な薬物や魔道具を密輸するのにも使用された実績があるらしい」


「無茶苦茶すぎるっての。それじゃ、王国領に入ってきた罪は問えないってこと? そもそも襲ってきたのはあっちだし、文句の1つくらい言ってやろうと思ってたのに」


「理解が早くて助かるよ。ただ、あちら側は違う。商品を強奪されたという理由で、奴隷商が君達を逆恨みする可能性は無きにしもあらずさ。最悪、王国に対して、容疑者を指名手配しろと言い出すかもしれない」


 壁に貼られた指名手配犯の張り紙を、意味ありげに見つめるケント。ただ、言葉とは裏腹にその顔付きは穏やかだ。


「――と言うのは冗談でね。そんな要求をエリクシル国王やトルンデイン領主が受け入れるとは到底思えない。デクシア帝国の襲撃を2度も退けてくれた英雄に対して、恩を仇で返す真似はしないはずだ」


「当然よ、うちらは間違った事なんてしてないんだから。それよりも、航路以外で西大陸へ行く手段を教えてくれない? 実は海底洞窟で繋がってるとか、そういうのあったりすると嬉しいんだけど」


「……いや、流石にそれは。太古の時代、西大陸と東大陸が1つの陸地だったって説はあるけど、洞窟があるなんて話は聞いた事もないかな。前にも言ったけど、西大陸の主要港は全てオルキデウス公国の管轄下にある。だから、定期便があるデクシア帝国経由でしか渡航する方法はないよ」


「それが無理っぽいから、別の方法を探してるんだってば。どこか他の国から入れたりしない?」

 

 ココノアの質問に、ケントは黙って首を左右に振った。どうやらデクシアへ向かう以外に道はないらしい。状況を察したエルフ少女は溜息混じりに肩をすくめる。


「はぁ……諦めて帝国の定期便とやらを使うしかないようね。流石に王国側から堂々と入ると問題になりそうだし、見つからずに港町まで行く方法を考えないといけないけど」


「帝国かぁ……正直、ボクは気が進まないな。村を焼いた連中の手を借りるなんて、真っ平御免さ。別の奴隷船を見つけ出して乗っ取る方がまだマシだよ」


「でもレモティーちゃん、また奴隷船があの海岸近くを通り掛かるとは限りません。ユキちゃんをお母さんのところへ帰してあげるなら、ココノアちゃんの言う通り帝国へ行くのが一番の近道じゃないでしょうか?」


 親友にさとされ、眉を八の字にする豊穣の乙女。しばらく悩んだ末、彼女は渋々といった様子で頷いた。


「……メルの言う通りだ。今はユキちゃんの事を一番に考えてあげるべきだったね。ケントさん、帝国にこっそり侵入するアイデアがあったら教えて欲しい」


 頭を下げて頼み込むレモティー。そんな彼女に対し、ケントは困り果てたように頭を抱えた。


「レ、レモティーさんまでそんな無茶を言わないでください! 帝国の情勢は冒険者ギルドでも掴めないくらいに不安定なんです。そんな時に密入国を試みるなんて……いや、待てよ? むしろこれを機に、閉塞状況を打開して貰うって手もあるのか……?」


 青年は意味深な表情でブツブツと呟き続ける。少女達は頭上に疑問符を浮かべて顔を見合わせた。


「さっきから1人で喋ってますね、ケントさん」


「頭の中で考えてる事が口に出るタイプなんでしょ。しばらく放置しとけばいいわよ」


 メルとココノアのやり取りからしばしの間を経て、ケントは1枚の依頼書を提示した。ギルドの公印が押された書類には、"帝都ウルズの調査依頼"という件名が書かれている。


「これは先週に本部から発行された最高難易度の任務なんだ。推奨レベルは70以上だから、実質的に筆頭冒険者専用として出された依頼だけど、規格外レベルオーバーの君達にも受注する権利がある」


 筆頭冒険者――数々の高難易度依頼を達成し、揺るぎない強さを示した冒険者をギルドではそう呼ぶ。メル達は顔も知らないが、彼らの活躍は世界中に知れ渡っており、生きる伝説として広く認知されていた。ベテラン冒険者の多くがレベル30台である事を考慮すると、レベル70以上という条件を満たせる強者は世界中を探してもごく一握りだ。冒険者が到達できる領域ではないだろう。


「推奨レベルって聞くと、NeCOのクエストを思い出すわね。ま、レベル制限なんてどうでもいいわ。これを受ければ帝国に入れるの?」


「……この難易度を見て物怖ものおじしないのは君達くらいだろうね。詳しい内容は今から説明するよ」


 ケントは依頼書を見せながら詳細を述べ始めた。事の次第は、数週間前に勃発したデクシア帝国内のクーデターに端を発する。元軍属と思しき少数精鋭の一団が帝都ウルズへ侵入し、現皇帝の暗殺を謀ったそうだ。

 これに対し、皇帝側は即座に3万人規模の討伐軍を編制。クーデターの鎮圧は時間の問題かと思われたものの、母国解放を求める属国出身の軍人が戦乱に乗じて蜂起した事もあり、三日三晩に及ぶ激戦へ発展する。

 予想外の戦況に危機感を覚えた皇帝は、エリクシル王国領との国境へ派遣した軍を含むいくつかの軍団を引き揚げた。帝都防衛に全力を注ぐためだ。しかしそんな施策も虚しく数日後に帝都は陥落、皇城からも火の手が上がったと言う。

 その際、現皇帝が討ち取られたのかは明らかになっていない。だが、帝国内の混乱状態は今なお続いている。現地のギルド支部とも一切の連絡が取れないため、ギルド本部からの"調査依頼"という形で、筆頭冒険者を現地へ派遣するに至ったのだとケントは説明した。世界秩序の維持という大役を担いつつも、内政干渉を避けなければならない立場にある冒険者ギルドの苦心が、彼の口ぶりから伝わってくる。


「……つまり、帝都まで行って様子を見てこいってことね。そんなに難しい任務じゃないと思うけど、筆頭冒険者とやらまで駆り出す必要あるのこれ? ギルドの切り札なんでしょ」


「ただの内乱なら、冒険者ギルドは関与しなかった。でも、連絡が途絶える前のウルズ支部から、と思しき強大な魔力反応を検知したっていう緊急連絡が入ってたんだ。もしそれが事実だったとすれば……間違いなく世界の危機に成り得る。出し惜しみなんてしてられないさ」


 ケントは神妙な面持ちで呟いた。辺境の出張所にすら本部の情報が共有されているあたり、相当に深刻な事態なのだろう。そもそも魔族に関する情報は、ギルド内で秘匿されてきた極秘事項だ。それを思い出したメルは、心配そうに青年の顔を見上げる。


「ふむふむ、何となく事情は分かりました。でも魔族の事を表立って話すのって禁止されてませんでしたっけ。私達にそこまで情報を開示しちゃって大丈夫ですか……?」


 少女達はトルンデインを出発する前にも、魔族と呼ばれる者達の名を聞いた事があった。ケントは苦笑を浮かべて答える。


「気遣ってくれてありがとう、メル。支部長に知られたら多分……というか確実に叱られると思う。でも、今回の件が世界の存亡に関わるのなら、僕は出来る事をやるつもりだ。それに、この依頼はユキちゃんを西大陸へ連れて行く足掛かりにもなるはずだよ」


「……あっ、冒険者ギルドの正式な依頼を受けたって事実さえあれば、堂々とデクシアに入れるわけか! それなら余計なリスクを背負う必要はなくなるね」


「ええ、そういう事ですレモティーさん。帝都のギルド支部がどうなっているのか分かりませんが、職員が健在なら西大陸への定期便も手配してくれると思います」


「よし、分かった。この依頼、ボク達も受けようじゃないか。まずは帝都へ向かって状況を把握するよ。それからギルド支部の職員達を捜索、って感じで良いかな?」


 レモティーの問い掛けに対し、メルとココノアは深く頷いた。全員の同意を確認した上で、ケントは"緊急発行"の印を押した依頼書を差し出す。


「レモティーさん達なら大丈夫だとは思いますが、帝国内は混乱の真っ只中にあります。どうかお気をつけて」


「助かるよ、ケントさん。ただ、今回はかなりの長旅になるだろうから、少し準備期間が欲しい。出発が数日後になってもいいかな?」


「はい、問題ありません。歴代最強の筆頭冒険者――"銀壁の守護者ランパート"の異名を持つレイルス氏が既に帝国へ入っているので、当面の対応は彼に任せて大丈夫でしょう。みなさんは万全を期してください」


「分かった。それじゃボク達はユキちゃんにこれからの事を話してくるよ」


 レモティーは依頼書を受け取り、椅子から立ち上がろうとした。だがそれを止めるかのようにメルが挙手する。


「あ、待ってくださいな! 出発までの間にお手伝いできる事は全部やっておきましょう。不足してる材料とかあれば集めてきますけど、何かお悩みなどはありませんか?」


「うーん、やって欲しい仕事か……いや、今のところ間に合ってるかな。ここの任務は割が良いから、トルンデインの冒険者がこぞってやってくれるんだ。ほら、あの通りさ」


 ケントが指さした先には、完了済みの印を押した依頼書の束が置かれていた。これならメル達が出る幕はなさそうだ。


「へぇ、トルンデイン支部よりも繁盛してそうね。でも、復興用任務の報酬ってどこから調達してるの? 慈善事業みたいなものだし、そんな羽振りよく払えるなんて思えないんだけど」


 今度はココノアが口を挟んだ。通常なら冒険者ギルドから支払われる報酬は、依頼主が全額を用意しなければならない。しかしデクシア軍によって家財を焼かれた村人にそれを支払えというのは酷というものである。質問の意図を理解したケントは、受付机から帳簿を引っ張り出した。


「この通り、領主様からの支援金が半分、残り半分はトルンデインにあるアイリス聖教の教会から提供されたものだよ」


「えっ……あのハゲ司祭が!?」


「驚くのも無理はないか。助けてくれた君達に言い掛かりを付けてたような人だからなぁ……でも、寄付金を受け取ったのは本当さ。これであの小娘共への借りは無しだ、なんて言ってたくらいだから、少しはメルに恩を感じてたのかもしれないね」


 意外な支援者に目を丸くする一同。トルンデイン出立の日に難癖をつけてきた性悪司祭が、ギルドに復興支援金の提供を申し出ていたとは誰も知らなかった。だがそのおかげでリギセン復興が進んでいるのは事実だ。メルのお節介がこんな形で実を結ぶなんてね、とココノアは微笑む。


「こっちの事は何も心配する必要なさそうだし、うちらは帰って旅の計画を練りましょ。こういうのはしっかり支度しておかないと、後で大変になるんだから」


「そうですね。それではお邪魔しました、ケントさん!」


 別れの挨拶を済ませると、3人は出張所を後にした。次なる目的地はデクシア帝国の心臓、帝都ウルズ。少女達の冒険譚は舞台を大国へ移し、世界の命運を左右する物語を紡いでいく。

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