第4話 樹海の探検家

「いいだろう!」


 黒灰色の猫が片手を差し出した。前足だ。

 よくわからないまま、その手を取る。何をするのだろうと握手をしたその瞬間、びりっと電流が走ったような衝撃を受けた。


「うわっ!」


 電気でしびれた時、手が離せなくなると聞いた事がある。実際にそうなったことはないが、電気にしびれたみたいに猫の手を離せなくなった。

 それでもその衝撃は一瞬で、すぐにモモの体は元に戻った。


「一体なに――」


 衝撃から立ち直ったとき、モモは自分の体を見下ろして目を丸くした。

 さっきまでのセーラー服はどこへやら。まるでジャングルの探検家のように、土色のサファリジャケットに身を包んでいた。肩からは似つかわしくない黒いマントを羽織っていた。肩掛け鞄の代わりに、腰にはポーチがついている。反対側の腰には堅いものがあった。銃だった。


「おお!? 何これ!」


 ポーチを漁ると鏡が入っていたので確認する。

 髪色は派手なピンク色になっていて、目の色もピンクだ。あっという間に現実感というものが消し飛んでしまった。体が軽い気がする。いまなら、どんな動きでも出来そうな気がした。

 鏡をしまい込むと、今度は銃に手をかけた。持ったことさえない銃も軽々とその指先にフィットした。くるくると回して、空中に投げる。落ちてきたそれを一瞬にして持って構える事さえできた。銃にしては装飾過多で、本物感は少ない。どちらかというと装飾用、もっというならゲームの中に出てくるファンタジックな架空の銃そのものだ。


「ふうん。樹海の探検家ってところだな。今回の武器は銃か――使った経験は?」

「無いよそんなの!」

「だろうな。だが、いまのおまえにはそんなもの問題ですら無い」


 どしん、どしん、と地面が揺れた。ガサガサと木々がかき分けられる。

 はっとして見ると、木々をかき分けて、ゴリラに似た魔物が現れた。おおおん、と吼えた。


「構えろ。そして当たれと思いながら撃つだけでいい。そいつは武器は武器でも、魔法の武器。ダンジョンによって姿を変える魔法の武器だ――わかるな?」


 猫は言い聞かせるようにゆっくりと言った。

 モモはしばらく目を閉じて、じっと意味を考えた。目の前で獣の咆哮がする。腕を振り上げた気配がした。


「……おっけー!」


 ずどん、と音がした。

 目をしっかりと開けて撃ち抜いたのは、ゴリラの右目だった。

 吼え声をあげながら、片腕を振り下ろす。モモの体はあまりに軽く動いて、すぐさま回避した。たった今までいたところに拳が振り下ろされる。すぐに振り返り様に六発。すべて命中した。

 おおおお、と悲鳴をあげたゴリラが一歩、二歩と下がっていく。両手を開きながら後ろ側に倒れた。木々に絡みついた蔦を道ずれに、土が小さく吹き上がった。だがそれだけだった。どおおん、という音に驚いたのか、鳥たちがばたばたと逃げていく。


「……やった!」


 銃を下ろしたモモは、ほっと安堵した。

 猫がそんな彼女を見上げて、首を傾いだ。


「筋はいいな。これなら虫のところまで行ける」

「えっ、虫?」

「そうだ。このダンジョンがどうして出来たのか、知らないか?」

「ええと……、変な虫が人に取り憑く?」

「そうだ。おまえの役目は、このダンジョンを作り上げた虫退治だ」


 ここから先は歩きながらだ、と言われたので、モモはしぶしぶ歩き出した。

 猫はモモの肩に素早く飛び乗る。重いのではないかと思ったが、猫は軽々と乗ってきた。猫は道を知っているらしく、あっちだ、とか、そこの看板を右に曲がれ、などと指示してきた。

 そう。ジャングルの中は、ただのジャングルではなかった。

 元がスーパーマーケットだからなのか、時折「5:お茶・砂糖・塩」「7:菓子」などと書かれた看板が掛かっていた。変な夢みたいだ。


「おまえたちが『ダンジョン』と呼ぶここは、虫の巣なんだ。蜘蛛の巣のようなものだ。どうして虫が――ナイトメアが人間に取り憑くか知っているか?」

「そういえば、知らない」

「取り込んだ人間のエネルギーを喰うためだ。だからひとたび取り込まれれば、悪夢の登場人物と成り果て、やがて死ぬ」

「ええ……」


 ぞっとする。

 聞いたことはあったが、こうして巻き込まれると現実感が出得てきた。


「だがそんな悪夢の中でも、まるで明晰夢のように自由に動ける奴がいる。そいつをおれ様は『夢見人』と呼んでいる」

「明晰夢って、夢の中で夢って自覚できるやつの事だよね。そんなの見たかなあ?」

「例えだ、例え」


 ふうん、とモモは首を傾いだ。


「ところで猫さんの名前は?」

「おれ様? 好きなように呼べ」

「えー。黒いからクロちゃん……はなんか地味だしなぁ」

「おれ様は黒猫ではないんだが」


 モモは樹木の一つを見た。お茶コーナーのポスターが貼ってある。本来、ジャングルには無いものだ。


「……じゃあ、ウラちゃんって呼ぼう」

「ほう、ウラか。なかなか面白いチョイスをするな」


 猫が笑いながらモモが視線を向けていた先に目をやると、「店長オススメ! 浦和園新作・ウラジロガシ茶」と書かれたポスターが掛かっていた。


「……待て。おまえ、何を見てそう名付けた?」

「な、なにって、特に意味は無いよ」

「こっちを見て言え!!」

「あーほら!! ええと、夏海ちゃんとか他の人たちってどうしたら助けられるの? どこかに走っていっちゃったんだけど……」


 モモは慌てて話題を変えた。

 ウラと名付けた猫はいまだに恨みがましい目で見ていたが、すぐに応えた。


「そんなもの一旦放っておけ。このダンジョンに取り込まれてるだけだ」

「放置して大丈夫な症状なの、それ!?」

「下手に守る対象を増やしても戦いにくいだけだ。勝手に逃げててくれるなら、それに越した事は無い」

「ふぅん……。……えっ、戦う?」

「そうだ。おまえが戦うんだよ」


 ウラは当然のように言った。

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