第2話 ダンジョンは急に現れる
二週間ほど前のこと。
「モモー! 一緒に帰ろー!」
中学校からのいつもの帰り道。
モモと呼ばれた少女は、走ってくる友人に振り向いた。
「……夏海ちゃん。何度も言ってるけど、私の名前は『トウカ』だよ」
「『桃花』って書くんだからモモちゃんでもいいじゃない」
友人――梅森夏海は悪戯っぽく笑った。
このやりとりもいつものことだ。外で呼ばれたときの「おやくそく」であって、本当に嫌がっているわけではない。
モモの名前は弓月桃花。桃花と書いてトウカと読むのだが、たいていみんなモモと呼ぶ。はじめてトウカの名前を読む人が、たいてい「モモカ」と読むからだ。最近では家に来る友人たちに影響されたのか、両親まで「モモ」と呼ぶから余計に始末が悪い。
モモはやや明るい焦げ茶色の髪をかきあげた。後ろはショートボブだが、サイドだけ長い髪。その茶色い目も典型的な日本人の色合いだ。
「それにいまさらトウカって呼ぶのもな~」
「一応言っとくけど、それが本名だよ」
二人で笑い合うと、並んで歩き出す。
「六月入ったら衣替え期間あるじゃん。なんで雨の季節に衣替え?」
「雨降ると結構寒いよねぇ」
他愛もない話をしながら帰路につく。
モモと夏海は同じ中学校に通うクラスメイトだ。中学は古い住宅街に囲まれたところにある。こちらの区画は神社や商店街が立ち並ぶ、昔ながらの区画だ。反対に、モモたちの住む区画は大通りを挟んだ向こう側で、こちらは新しいマンションが多い。
二人が大通りまで歩いてくると、サイレンを鳴らしながら青い車が走ってきた。夏海がめざとく聞きつけて指さす。
「おっ。あれ、ダンジョン探索部隊の車じゃない? 冒険者だか、探索者だかの」
「ほんとだ。この近くかな」
青い色に白のラインを引いたワゴン車には、『ダンジョン対策課認可・探索部隊』と書かれている。
ここ二年くらいですっかり定着した、ダンジョン探索資格を持つ人達の車だ。主に政府機関が使っていたが、最近は民間の『冒険者』もこの車を使っている。
冒険者だなんて、まるでゲームみたいな言い方だ――モモはそう思っていた。
だけど最近の小学生は『冒険者』に対する認識がゲームとリアルで逆転してきたらしい。侮れない。
「そういえばこの間、うちの近所のコンビニがダンジョン化したんだよね」
車を見送った後に、夏海がついでのように言う。
「えっ、それホント? どのあたり?」
「うちの近所だからモモは来たことないんじゃないかなあ」
「へえ……。じゃあ、バグがけっこう近所まで来てるのかな」
「もうそろそろ学校でも注意喚起されそうだよねえ」
「どう注意すればいいかわかんないのにね」
ダンジョン化の原因はわかっている。
だけれど、「気をつけて」と言われてもどう気をつければいいのかはわからない状態だ。
それから続けて、思い出したように言う。
「ダンジョン化の原因が虫だってわかったとき、めちゃくちゃに虫除けスプレー売れたらしいよね」
「ああ~ソレ聞いたことある~!」
そもそも、ダンジョンとはなにか――。
ダンジョン化症候群。
それは人間が「ナイトメア・バグ」と呼ばれる虫に寄生される事により、周囲がダンジョン化してしまう現象だ。寄生された人間はダンジョンの中心で核となり、悪夢に沈んで現実に影響を及ぼし続けるのである。
さいしょは、少しどころかけっこう前にさかのぼる。
具体的にはだいたい五年前くらい。
人類は、それはもう唐突に未曾有の危機に陥った。
世界で最初のダンジョン出現だ。
ダンジョンだ。ダン・ジョンでも冗談でもなく、紛れもなくダンジョン!
日本語では迷宮と呼ばれる、財宝が隠されていたり怪物が住み着いていたりするアレだ。
学校が、病院が、家が、神社仏閣が、コンビニが。
急に迷路のように入り組んで、火を噴いたり凍りついたり。質量保存とか自然現象とかの諸々の法則をガン無視した構造物が現れ、わけのわからない生物たちが跋扈し、牙を剥いてきた。
それはもう世界各地で大混乱になった。
一部の人間は頭を抱え、一部の人間は恐怖し、一部の人間はめちゃくちゃにテンションが上がった。テンションが上がりまくった結果、高速移動しすぎて足を攣って入院した奴もいた。
この唐突でイキナリな現象は、仮の名前としてダンジョン化現象と名付けられた。とうぜん調査の手が入り、ああだこうだと偉いさんが首を捻る事になった。空間がおかしくなったとか、異世界が攻めてきたとか、真面目な議論から頭のネジが四つくらい飛んだような議論まで、様々な意見が交わされた。
調査を進めるのにも難航したのは、ダンジョンの性質にあった。
下手に踏み入るとダンジョン内の「設定」に飲み込まれてしまうのだ。
炎の洞窟なら、探索しに来た冒険者に。
デパートの迷宮なら、買い物客や店員に。
宇宙船の居住区なら、なんか銀色の服を着た住民に。
ついでに服まで変わってしまうというから恐ろしい。
例え重火器を持って特攻しようとも、設定に飲み込まれたが最後、いつの間にかドレスを着て王宮で踊っていてもおかしくないのである。
まるで、夢を見ているようだった。
とはいえそれでも中を進める人間というのは居るもので、一年くらいかけてようやく明らかになったのは、要はダンジョンの核になっているものが存在する事だった。ダンジョンボスである。一部の人間にとっては容易に予測された事態であって、「やっぱボスいるじゃねーか!」という事になった。ついでにテンション上がって筋肉痛になった奴が出た。
だが更に一年くらいかけて明らかになったのは、大方の予想と違った。
ボスを倒した先に、深い眠りについた人間がいたのだ。
その人間は実在する人間で、なんかくっついてた変な虫を払って殺したらダンジョンが消滅した。
びっくりするくらい簡単に、ダンジョンが消滅したのだ!
つまるところ、この変な虫がすべての元凶だということになった。
だがその虫は取り払うとすぐ死ぬ上に砂のようになって消えてしまうので、とにかく「変な虫を取り除くとダンジョンが消える」ということしかわからなかった。
助け出された人間によると、「めっちゃ悪夢でも見ているようだった」――と語るので、悪夢の具現化ではないかとなにかの専門家が言った。なんの専門家かは誰もわからなかったが、とにかくこのダンジョンは虫の巣みたいなもんだろうということになった。めちゃくちゃな理論だったが、それほどしっちゃかめっちゃかになっていたのだった。
そうして名前が変わった。
ダンジョン化現象は「ダンジョン化症候群」に名前を変え、変な虫は暫定的に元凶として「ナイトメア・バグ」と名付けられた。
その間にダンジョンに入るための専用の装備も開発され、とりあえず危険なので許可制になった。当然のことだった。
そして――五年経って整備が終わる頃、日本ではそうしたダンジョン探索資格を持つ者のことを、のんきに『冒険者』などと呼ぶようになったのである。
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