悪夢の迷宮には猫が要る

冬野ゆな

はじまり

第1話 プロローグ、またはゴブリンの洞窟

 そこは土の洞窟だった。

 もともとあった洞窟に手が加えられたようで、壁はガタガタだがだいたい正方形になるように掘られていた。人が歩くには余裕があるが、灯りはひとつきり。歩くたびにわずかに揺れるカンテラだけが、暗い道を照らしている。

 カンテラを持つ手は、革の手袋をした少女のものだった。照らされた姿は、茶色の短パンにロングベストを着て、腰の太いベルトからはポーチが二つついている。あまりその格好には似つかわしくない黒いマントを纏っていた。年の頃は十三、四歳くらい。まだ無邪気さの残るあどけない顔立ちをしていて、緊張感はあるがはつらつとした印象だ。まっすぐに向いた目は明るいピンク色をしている。髪の毛はショートボブでサイドだけ長く、染めたようにピンク色がかっている。


「おい、来たぞ。敵だ」


 少女の上から、低い声が警戒を促すように言った。

 その通りになった。

 奥から、わらわらと一メートルほどの半裸の何かの集団がやってきた。全身緑色の体で、腰ミノ一丁。体毛は無いが、頭の線はガタガタだ。がに股で腰を低くして歩いてきて、手に棍棒を持っている。にやにやと笑って近づいてくる。


「なに、こいつら? 子供?」


 少女の高い声がたずねる。


「子供じゃない。『ゴブリン』だ。いかにもダンジョンのザコだな。これで成体だぞ」

「つまり、敵ってことだね」

「ああ。数は多いが、お前でも簡単に蹴散らせるはずだ。やれっ!」

「おっけー。ランタンよろしく!」


 少女はランタンを放り投げた。頭の上から飛び跳ねた黒い物が口で咥えて引き取る。それがすたっと地面に着くのと同時に、少女は腰の剣をすらっと抜いた。


「おりゃあっ!」


 剣を派手に振り回すまでもなく、棍棒を振り上げたゴブリンの腹を切り払う。きらきらとした粉のようなものが飛び散って、ゴブリンが後ろに吹っ飛んで倒れた。二匹目のゴブリンが殴りかかってきたのを、回し蹴りで吹き飛ばし、同時にジャンプして殴りかかろうとしてきた三匹目は刃で切り払い、ついでに四匹目もその軌道のまま剣の柄で弾き飛ばした。五匹目と六匹目と、じりじりとにらみ合う。先に闇雲に向かってきたのはゴブリンだった。少女は剣を握り直すと、一気にその二匹と入れ違いに駆け抜け、地面を蹴った。少女が地面に着地すると、その後ろでゴブリンが二匹、ばたばたと倒れた。これで全部だった。

 立ち上がり、振り返る。


「うーん。楽勝!」


 くるくると気取って剣を振り回すと、腰に収納する。

 ランタンを咥えたものがあきれ顔をしながら見つめた。灯りに照らされたそいつは、黒灰色の猫だった。ごく普通の四足歩行の猫だが、すり切れた黒いマントを羽織っている。少女のものより年季が入っている。猫はカンテラを持てと言うように、軽く突き出した。少女がカンテラを受け取ると、猫は少女の腕からまた頭の上まで素早く戻った。ついでに、その髪の毛を少しだけひっかいた。あいたっ、という少女の悲鳴を無視する。


「つまるところ、このダンジョンは――」


 黒灰色の猫から低い声がした。

 紛れもなく猫の喉の奥から発せられている声だ。


「『典型的なファンタジーのダンジョン』だ。ファンタジーというジャンルの世界で、『最初のダンジョン』と言われてだいたい誰もが想像するような、極めてレベルの低い、弱い魔物の存在するダンジョンというわけだ」

「わけわかんなくなりそう」


 ピンク髪の少女は、猫が喋る事にもまったく驚かずに聞く。


「そういうものだ。弱い魔物の概念はまちまちで、ダンジョンによってはスライムだったりするがな」

「よくわかんないな~~」

「今はわからなくてもいい。それより、さっさと進め」

「はーい」


 カンテラを手に、再び先へと進む。

 土の洞窟はまだ先へと続いていた。ときおり小さな小道のような穴や、曲がり角もあったが、少女は猫が示す方向へと足を進めた。


「本当にこっちで合ってるの?」

「合っている。こっちの方からぷんぷん匂ってくる」

「お風呂に入ってないってこと?」

「そういうことじゃねェよ小娘」


 頭の上に無情な猫パンチが飛んでくる。


「いたた! わ、わかってるよ! このダンジョンのボスがいるって事でしょ」

「そうだ、わかってんならきりきり歩け」

「どういう感じのがいそう?」

「あー……そうだな。ここはおそらく、『ゴブリンの洞窟』ってところだな。ゴブリンは集団で洞窟に住むのが定石だ。と、なると……」


 ずん、と奥で音がした。ずん、ずん、ずん……と僅かに洞窟が震えるような音だった。

 僅かに立ち止まりかけたが、またすぐに歩き出す。


「……居るぞ」

「うん」


 頷いて先へと進むと、やや広い空間が見えてきた。通路から飛び込むと、そこには巨大な緑色の背中が見えた。やはり腰ミノ一枚だが、その姿は少女よりでかい。とにかくでかかった。手に持った棍棒も太くてでかい。高さはゆうに二メートルを越えていて、ゆっくりと振り返った。牙が見える。ゴリラをものすごく間抜けにしたような顔をしている。

 だがいかにも、ボスだ。


「でっか……!」

「こいつだ」


 猫は断言した。

 でかゴブリンがこちらを見るなり、吼えた。


「うおおおおおお!!」


 びりびりと空気が揺れた。

 少女も思わず腕で顔を覆った。


「こいつがボスだ! こいつが――『虫』を守ってやがる!」

「おっけー! こいつをぶちのめして……虫退治だっ!」


 そう、このダンジョン探索の一番の目的は――虫退治である。

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