マチカドの残り香

花園眠莉

マチカドの残り香

これはマチカドでの話。

そこには幼い少女と中年の男がいた。

二人はここでよくお話をしている。

 「ねぇね、今日はしりとりしよ!」幼さが際立つ顔をパッと明るくしながら言った。

「嬢ちゃんしりとりって遊び知ってるのか?」少しからかうような意地の悪い顔で聞く。

「知ってるもん!」

「はっ、どうだか。じゃあやるか?」なんだかんだ面倒見の良い男の提案に少女は元気良く乗った。

「じゃあね、じゃあね、私から言うね。えっとり、りんご!」

「ご?あー、ゴリラ。」何が面白いのか分からないがアハハッと吹き出すように笑いだした。

「そんなに面白かったか?」

「うん!次私だね!ら、ら…ラジオ!」目の前にあったラジオを見てやっと答えることが出来た。

「折り紙。」すると、きょとんとした顔に変わってしまった。

「なあにそれ。」男は呆れたというか哀れむような目線を送った。

「…正方形の紙だよ。正方形は真四角ってことな。」手で何とか表現しようと試行錯誤しながら教えた。

「物知りなんだね!」純粋な少女の言葉に男は居心地の悪さを覚えた。

「あぁ、まあ嬢ちゃんより長く生きてるからな。」一番無難な答えを呟く。

「そっかぁそうだよね!じゃあさ沢山教えてよ!」

しりとりの続きをする様子は無く色んな事を知りたいようだった。

「良いぜ、何を知りたい?」

「えーっとね、あのお馬さんが引っ張ってるやつなあに?」遠くの方を指差しながら男に聞く。

「あれは馬車っていう乗り物だ。あんなでかいのは基本この辺りには来ないんだがな。」

「私あれ乗りたい!」男の手にしがみつきながらキャッキャッとはしゃぐ。男は嘘が上手くない為ぶっきらぼうに事実を伝える。

「無理だな、俺らには無縁だよ。お偉いさんの物だからな。」

「そっかじゃあ、あれは?」この辺りには似合わないやたらと大きな建物を指差す。ずっとそこにあったはずなのに今日初めて見つけた気がした。

「あそこか?今はもう使われてねぇ映画館だ。あ、嬢ちゃん映画って知ってるか?」折り紙を知らない少女は映画も知らないと思い聞いてみる。予想通り「知らなぁい。」とにこにこしている。

「だろうな、映画ってのは何ていえば良いんだろうな。俺には説明出来ねぇかも。…そうだ、中入ってみるか?」いざ説明しようにも上手く言葉が出てこず百聞は一見に如かずというように映画館へ連れていくことにした。

「行くー!」今日一の声を張った。


 「元気良いな。ほら、立て行くぞ。」少し重たげに腰を上げる男につられ少女も立ち手を繋ぐ。それから子供の歩幅に合わせ十分程度歩いた。見えたのは文字の剥げた看板に扉が片方割れた入口。

「嬢ちゃん硝子の破片に気を付けろよ。…いや、来い。」少女は広げた男の腕に飛び込む。男は答えるように自分の半分ぐらいの身長の少女を大事そうに抱えた。ガシャリと硝子を踏み鳴らしながら入る。絨毯が敷かれカウンターのようなものがあった跡が見える。男は少女を下ろしスクリーンの方へ向かった。少女は目を輝かせながら男に手を引かれる。重い両開き扉を押し中に入る。そこは埃まみれで暗いだけの空間になっているはずだった。実際入るとライトは付いていないものの埃がほとんど無い。


 「あれ、お客さん?」驚きを隠せないでいると不意に上から声が降ってきた。

「客じゃなく不法侵入者だよ。」男は相変わらずの皮肉を言った。

「そりゃそうでしょ、だって僕も不法侵入者だからね。っていうかあんたもしかして、ライさんかい?」この男のかつての名前を口に出した。

「今その名前言っても誰も分からねーぜ。つかその名前を知ってるってことは、お前はルイか?」お互いこんなとこに来てるとは知らずに出会ってしまったのだ。

「ピンポーン!大正解。んで、そのお嬢ちゃんは?」男は少女を無意識に引き寄せた。

「俺に懐いちまった変わり者の嬢ちゃん。」

「なーんだ娘ちゃんじゃあ無いのか。」このルイという男は大袈裟に肩を落としてみせる。

「俺なんかの娘なわけねーだろうが。」と男が言うとルイは納得したように相槌を打つ。男を慰めようと少女は身振り手振り彼の良さを伝える。

「とっても、とっても素敵な人なんだよ!分かんないこと沢山教えてくれるもん!」男の服の裾を掴んでルイを睨み付けた。

「わお、ごめん。そんな怒ると思ってないじゃん。あっ、ねぇ立ち話は何だしさ…映画観てかない?」廃れた映画館で何を言っているのかと顔をしかめる男とキラキラと目を輝かせる少女。

「ここ、電気通ってねーだろ?」その言葉を待っていました!と言うようにドヤ顔をする。

「実はね自家発電しちゃいました!凄くない?」

「あぁ、昔から器用だもんな。なぁ、嬢ちゃん。さっき言ってた映画ってのを今から見れるぜ。」少女の目線に合わせるように屈んでニカッと笑う。

「ほんと?ほんとにほんと?やったー!」全身で喜びを表す少女の姿に二人は表情を緩ませた。

「ルイ、今から何の映画見るんだよ。」内容によっては殴るぞと脅しながら聞く。

「やだ、怖。安心してよ、俺らも昔見た〈蝶が壊れるから〉だよ。」ドン引いた顔でルイを見る。

「この場所にはこの話が似合うでしょ?」

「似合いすぎて笑えねーんだわ。他はねーの?」ワガママだなぁとか言いつつ何本か探す。

「お嬢ちゃん、この中のどれが見たい?」少女はほぼ迷わず〈蝶が壊れるから〉を選んだ。

「ほらなー?」

「嬢ちゃん、本当にこれが見たいのか?本当にか?」しかめっ面で少女に問う。

「うん!本当の本当に見たいもん!」男は盛大なため息を吐きながらルイに渡す。

「じゃあ、再生するよ。ほら席に座って!」

三人だけの映画観賞を始めた。この作品は一人の少女が人として大切な物を失って、生きる意味、価値を見つける話。グロいシーンは出てこないもののそこそこ精神が成長してから見るのを強く薦めるような内容ではある。

「ねえ、死に損ないのゴミってなあに?」男二人は顔を見合わせて言い淀む。先に口を開いたのはルイだった。

「死にたかったのに死ねなかった人を悪く言う言葉だよ。お嬢ちゃんは誰にも使わないでね?」

「わかった!」世間で言う指切りを交わした。エンドロールが流れる頃には少女は夢の中に向かっていた。少女がちゃんと寝たことを確認すると男(以降ライと言う旧名で表す)が沈黙を破った。


 「お前、何でここに来たんだ?ここに来るような奴じゃねぇだろ。」ルイは一瞬ライと目を合わせすぐスクリーンに目を戻す。

「過大評価し過ぎですよ。俺、多分今見てた〈蝶が壊れるから〉の少女と同じように人間としての何かが欠損してるんです。ま、死を待つだけはつまらないのでこうやって映画館にいるんですよ。それより、あんたこそなんでここにいるんですか?」目線を落としそっと話し始めた。

「何もかも失敗したんだ。仕事も、家族も、人付き合いも。両親はもう居ないし当ても無いし、それで自分からここに来た。」ルイは驚いたような表情を浮かべて絞り出すような声で「そうだったんすね。」と呟いた。それは自分へ納得させる為であり、ライへの相槌でもあった。けれどその言葉には慰めの意味は含んで無かった。

「じゃあ、このお嬢ちゃんは?」二人の間で眠る少女に目線を落とす。

「さあな、いつの間にかいたからな。ここには日付のわかるものはねぇし、お互いの過去も干渉しないのが決まりだからな。」ライは頭の後ろで手を組む。そしてしばらくの沈黙が流れた。

「あ、次何見ます?今ね一人の時間しかなかったから浮かれているんです。」少女に選ばせた映画より何本か多く持ってきて選ぶよう催促する。ラインナップを見ながら疑問をぶつける。

「ここに来てから誰かに会ってねぇのか?」

「…会いましたよ。まぁそこそこに…けど全員迎えが来たんすよね。」ふーんと興味があるのか分からない返事をしながらルイに〈咲き終える花の鼓動〉というタイトルの映画を手渡す。

「…趣味、変わりましたね。じゃあ流してきます。」少し経つと壮大な音楽が流れ始めた。お互いスクリーンから目を離さずに話し始める。

「…ここに来てから変わったかもな。」

「何がです?」

「価値観も何もかも全部。」

「…確かに、ここに来たら変わってしまいますよね。」映画が流れているのに普通に話す。本来ならしないであろうことをしていることに気付くが気付かなかったことにする。ここには常識など無いのだ。

「そういや、今日この辺りに馬車が来た。」今日かどうか正しいかも怪しいが話す癖でつい言ってしまう。

「へぇ、珍しいですねぇ。」

「しかも、大きなやつで荷馬車付きだ。」思わず顔を見合わせる。

「お貴族さんすか。拾われた奴らも大変そうすね。」

「だな。バラされるか、死ぬほどこき使われるかだろうからな。」二人は乾いた笑いを溢す。

「そういえば、この〈咲き終える花の鼓動〉って誰の作品でしたっけ?」ため息を吐いてルイに教えてくれる。

「脚本マルドラ・シェンドラ、作曲フィン・ララバイ。アリスタ派の有名な作品の一つ。初演は二人の生まれ故郷であるユルナスのユルナス座で行われた。ユルナス川は大きくて綺麗と有名。それ以外は知らん。」スラスラとこの情報が出てくることにルイは驚愕する。で、やっと出た言葉が「いやいや、充分すぎましたけど?」の一言。話す声が大きかったのか少女はゆっくり目を開いた。


 「嬢ちゃん目覚めちまったか?」

「うわ、ごめん!うるさかったすね。」眠たそうに蕩けた目を擦る少女。

「大丈夫。…ねぇ。」ライの袖を引きながら指差す。少女は何かを指差しているようだが二人には見えなかった。

「なんだ?嬢ちゃん、何もねぇぞ?」目を凝らしたり少女と同じ目線にしても何も見えなかった。

「あるもん!蝶々いるよ!そこに!」やはり何度見てもそこには何もいない。ここで長年ここにいる二人は気が付いた。少女に迎えが来たのだと。男達は顔を見合わせ諦めたような顔を塗り替えた。

「いやぁ綺麗な蝶々すね。見えてないなんて勿体無いなぁとっても可哀想すねぇ。ね、お嬢ちゃん?」一際明るい顔を作り話す。

「うん!ねぇー本当に見えないの?」覗き込むような体制で男の袖を引きながら聞く。

「俺は目がものすごーく悪りぃんだよ。だからきっと見えねぇだけだなぁ。」大袈裟な身振り手振りに残念そうな顔を作ってみせた。

「そっか、いつか見つけられるといいね!」

「……あぁ、そうだな。」


 すぐに再び眠った少女は静かに息を引き取った。

「呆気ないっすね。」

「最期まで可哀想なやつだったな。」二人は少女の頭を優しく撫でた。

「迎えが蝶々って本当に可哀想なお嬢ちゃんすね。今まで看取ってきた奴らの迎えは誰かしらの人でしたよ。あ、でも昔飼ってた犬って奴もいましたね。」気を紛らわせるように話し続けるルイとは反対に黙り込むライ。

「どうしたんすか?」ずっと遺体の頬を撫でて俯くライに違和感を覚え話しかける。すると、さっきまでとは別人かのようなか細い声が空虚な映画館に溶ける。

「…いや、思ったよりも抉られるな。こいつは毎日毎日欠かさずに俺んとこに来たんだ。遊ぼうだとか教えてだとか。それが無くなるって考えちまうとな。どうも、悲しくなっちまった。……さて、この子をどうするかな。」


 ここは待ち角。


誰かを、何かを、死を待つ所。


戸籍も、居場所も、生死も全て捨てた人しかいない。

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