第21話 特別な思い入れ

 放課後、すっかり溜まり場と化した俺の部屋には風鈴、乾、浦野が集まっていた。


「計画は順調だね。偶然とはいえ友田君はクラスの中心的立ち位置になった。クラスメイト達からの好感度も高いよ」

「バク宙できるだけで掌返すなんてチョロ過ぎないか?」

「すごくないと思っていた人のすごいところが明らかになる。ギャップっていうのはいつの時代も好まれるものだよ」

「そういうもんかねぇ」


 平凡だと思っていた奴が実はすごい特技を持っていた。

 スポーツ漫画の主人公ではよくある設定だとは思うが、そういうのは活かせる場面があるからこそ輝くのだ。

 俺には何もない。だというのに、周囲は俺をすごい奴だと褒め称えることに違和感があったのだ。


「別に今回の一件だけじゃないでしょ」


 俺が首を傾げていると、風鈴が言い聞かせるように告げた。


「今まで主税が変わろうとした努力、それが実を結んだんだよ。バク宙はただのきっかけっしょ」

「変わろうとした努力って、俺は風鈴や浦野に言われたことをやっただけなんだけど」


 見た目や会話の改善は風鈴のアドバイス通りにやって身に着けたものだし、中間試験対策に至っては浦野に言われたことをそれっぽく話しただけだ。

 どれも俺の力でやったことじゃない。


「主税は大したことないって思ってるかもだけど、周りにとってはそうじゃない。そういうことだと思うよ」

「教室での演説。あれは確かに僕が推測した内容を伝えただけだったかもしれない。でも、あの場でクラスメイト達に説得力を持って語り掛けることができたのは、紛れもない友田君自身の力だと僕は思うよ」

「買い被り過ぎだって」


 風鈴と浦野に褒められて高揚する心を抑えつける。

 調子に乗るな。そうやって周りから褒められて調子に乗った結果、俺はいろんなものを失ったんだ。


「ねぇ、いつまで続くの。この友田君持ち上げ会」


 俺が葛藤していると、冷ややかな言葉が部屋に響き渡る。


「人はあんまり褒め過ぎると調子に乗ってコケるんだから、ほどほどにしなよ」


 乾は心底うんざりした様子で紅茶を飲んでいた。


「何それ」


 そんな乾に対して風鈴はむっとした表情を浮かべた。


「すごい人をすごいって言って何が悪いの」

「私は頑張って走ってる人の前に石ころ転がすのを注意しただけだよ」


 前までの不仲っぽい空気とは違う。

 今にも破裂しそうなほどに二人の間の空気が張り詰める。


「主税は努力して変わったんだよ。その努力を称えることが石ころを転がすことになるの?」

「変わった、ねぇ」


 乾は露骨に顔を顰めると不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「友田君は元からすごかった。それを取り戻しただけじゃない?」

「それを変わったって言うんじゃん」

「言わない。少なくとも私は認めない」


 乾は〝変わった〟という言葉に敏感に反応して風鈴を睨みつけた。


「二人共、その辺にしなよ」


 一触即発の空気の中、浦野は涼しい顔をして二人の間に割って入った。


「友田君が困っているじゃないか」


 浦野の言葉に、風鈴ははっとした表情で俺の方を向いた。


「ごめん主税、熱くなりすぎちゃった……」

「いや、いいって」


 不仲の女子のやり取りは見ていてハラハラするが、風鈴が謝ることは何もない。

 風鈴は俺のために怒ってくれたのだ。それを咎める気など毛頭なかった。


「乾もありがとな。おかげで調子に乗らずに済んだ」

「別に……私は思ったことを言っただけだから」


 乾は辛そうに表情を歪めると、立ち上がってマグカップを流しまで持っていった。


「もう帰るね」

「僕が送るよ」


 乾が荷物を持ったのと同時に浦野が立ち上がって帰り支度を始める。


「また明日」


 短くそう告げた乾の表情は見えない。

 だけど、俺にはその表情が泣いているように思えた。

 二人が帰宅して、部屋には俺と風鈴が残された。

 四人で集まり、乾と浦野が帰ると勉強会を始める。それが俺と風鈴の日課になっていた。

 風鈴の教え方がうまいこともあり、学力に不安があった俺は風鈴に勉強をできるだけ教えてくれるように頼んでいたのだ。

 カリカリとシャーペンの芯を削る音が鳴り響く中、風鈴は顔をノートから上げずに尋ねた。


「主税さー、くるみんと何かあった?」

「乾と?」

「うん、だってくるみんって教室だと優しくて清楚な女子って感じだけど、主税に対しては割と当たり強いじゃん」


 当たりが強いというより、あれは遠慮がないと言った方が正しいだろう。

「だから、何かあったのかなーって思ってさ」

「別に何もない。俺より、風鈴に対しての方が当たりは強い気がするけどな」


 風鈴は乾を嫌っているという印象はないが、乾はどこか風鈴に対して思うところがあるように見える。


「あー、何か合わないんだよね」

「あだ名で呼んでるのにか?」

「そこはノリってやつ? くるみんはあたしのこと〝ふーりん〟って呼んでくれないけど」


 乾は人をあだ名で呼ぶことはない。

 基本的に男子なら君付け、女子ならさん付けだ。


「あいつは誰にでも優しく接する代わりに、誰にでも距離作るタイプだからな」

「その割に主税にはぐいぐい行くよね」

「他の奴よりかはな」


 乾は大人しそうに見えて、案外気が強い。要するに、教室では猫を被っているのだ。


「でも、あいつが飯盛達に食って掛かるとは思わなかった」


 あのとき、乾は珍しく自分からトラブルの渦中に飛び込んでいった。

 あれだけコミュニケーション能力が高いのならば、あそこは愛想笑いを浮かべて引き下がるのが正解だとわかりそうなものだというのに。


「あたしだってイライラしたもん。気持ちはわかるけどなぁ」

「乾が俺のためにねぇ……」


 どうにもしっくりこない。乾が俺に対して遠慮がないのはどうでもいい存在と思っているからだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 そんな彼女が俺のために怒ったと言われてもいまいち実感が湧かなかったのだ。

 俺が眉に皺を寄せていると、風鈴はいつもと変わらない調子で告げた。


「そうだ、主税。もし良かったらなんだけど、あたしと付き合わない?」

「買い物か? どこでも付き合うぞ」

「そういうベタなのいいから」

「えっ、何が?」


 てっきり買い物にでも誘われたのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。

 真意がわからず首を傾げていると、風鈴は呆れたようにため息をついた。


「うわっ、マジでわかってないの? あたしの彼氏にならないかって話」


 彼氏、と言われて思考が止まる。

 一体風鈴は何を言っているのだろうか?


「えっと……もしかして俺告白されてる?」

「もしかしなくても告白でしょ……」


 風鈴は呆れたようにため息をついていた。

 俺は風鈴から告白された。それはつまり、俺と恋人になりたいということになる。


「ち、ちょっと待ってくれ! どうしていきなりそんな話になってるんだよ」

「元々あたし達は恋愛実習のペアでしょ。最初はペアとして主税にいろいろしてあげたいって気持ちだったんだけど、今はお互いに支え合える存在になりたいって思ってるんだ」


 風鈴は柔和な笑顔を浮かべると、俺の目を真っ直ぐに見据えて告げる。


「だから、あたしと付き合ってください」


 おそらく、バク宙ができたことがきっかけだったのだろう。

 俺は風鈴の言った通りに行動するし、思ったよりもスペックが高かったからステータスとして見たときの彼氏としては及第点だったのかもしれない。

 こんなに可愛くて優しいハイスペックな彼女がいるのならば、バラ色の学生時代を送ることもできる。

 しかし、俺には彼女の申し出を受けることができない理由があった。


「悪いけど、それはできない」

「……理由、聞いてもいい?」

「俺には好きな人がいる。前に言った幼馴染のことだ」


 好きな人がいるのに、自分にとって都合がいいから風鈴と付き合うのは不誠実だ。


「だから気持ちは嬉しいけど付き合えない」

「そっか……何か変なこと言っちゃってごめんね?」


 風鈴は俺の言葉に落ち込むわけでもなく、苦笑するだけだった。

 その表情は失恋したようには見えない。どうやら、俺のことが好きで告白したわけではなさそうだ。


「あっ、そうだ! じゃ、せめてあだ名呼びさせてよ」


 どこに関連性があるのかわからないが、風鈴はあだ名で呼ばせてほしいと頼んできた。


「あだ名、か」


『チー君! 遊びにきたよ!』


 脳裏に過ぎる懐かしい日々。

 もう取り戻せないそれを振り払うように頭を振る。


「主税はあだ名とかで呼ばれないタイプ?」

「そうだな。あだ名で呼んでくれたのは一人しかなかった」


 その一人が俺にとってどれだけ大きい存在だったか。

 あれから何年経っても、俺はまだ彼女への想いを引きずってしまっている。


「どんなあだ名?」

「チー君」

「まんまじゃん」

「小学校のときの話だぞ。そりゃ単純なあだ名にもなるだろ」

「そういうもんかなぁ」


 風鈴は難しい顔をして首を傾げていた。小学校のときから友達百人いそうなのに、わからないことはないだろうに。


「じゃ、あたしもチー君って呼ぼっかな」

「やめてくれ!」


 反射的に自分でも驚くほどの大声が出ていた。


「悪い……今まで通り、呼んでくれ」

「ごめん、無神経だった」


 風鈴は名前呼びを強制してきたときのように強引に出ることはなく、申し訳なさそうな表情を浮かべて引き下がる。

 情けない。昔の片想いを引きずってペアの風鈴に気を遣われるなんて情けないにもほどがある。

 気まずい空気が流れ、俺達は無言で目の前の問題集と向き合い始める。


 中間試験対策の勉強は憎たらしいほどに捗った。

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