第34話 繊維の盾

 ポケットに手を入れたまま、ロッソは雪の大地を蹴り、飛翔した。

 敵、蚯蚓ワーム型の大氷獣の体長は一キロ超。

 それ自体が雪崩か雪山を思わせる威容を持っていた。

 体温は絶対零度に近い。

 加え、体表付近の熱の動きを制御する熱操作能力。

 対震天狼バスターウルフ用の氷獣としてはそこそこよく出来ている。

 遠距離からの熱線、岩漿マグマ誘導などは通用しない。

 近接戦になれば超低温の体と熱操作で熱を奪われ、凍結に追い込まれるだろう。

 だが、鈍重に過ぎる。

 この速度では、ルフィオを捕捉してしとめることはまず不可能だろう。


 ――気に入らんな。


 この程度で勝算があると踏んだとは思えない。

 まだ手札を残しているということだろうか。


 ――まあいい。


 片付けてから考えても良いことだ。

 距離を詰めると、蚯蚓ワーム型の大氷獣は巨大な顎から青白い冷気の塊を吐き出した。

 直径十メートル超。

 かすめただけでも全てを凍てつかせ、打ち砕く、絶対零度に近い低温塊だが、ロッソには通用しない。

 前蹴り一つで雑に蹴り砕く。

 砕かれた冷気の塊は周辺の空気を凍てつかせたが、ロッソの前では無意味だ。

 赤いマントにも、憑依しているカルロの体にも、変化は一切生じない。

 観察のために大氷獣の側面に回り込むと、昆虫の気門のような穴からも冷気の塊をばらまいてきたが、これも問題外だ。


 ――つまらん。


 意外性と言えば、蚯蚓ワーム型でありながら体の側面に気門があること程度だ。


「もういい、失せろ」


 ポケットから手を出し、ロッソは指を鳴らす。

 次の瞬間、大氷獣の体内に鋭利で巨大な氷の結晶が大量に生成され、大氷獣は氷塊と成り果てる。

 輪切りになった大氷獣の断面を見て、ロッソは悟った。


 ――なるほど。


 敵の作戦が、いくらか読めた。

 そこにルフィオが空を駆けてきた。


「終わった?」


 終わったならカルロを返せと言いたいようだ。 


「まだだ」


 ロッソは鼻を鳴らして言った。


「これは撒き餌だ。おまえを呼び寄せ、葬るための」

「ほうむる? どうやって?」

「こいつの構造を見ればわかる。大型、高威力の冷気の塊を長距離投射する機能を持ち、単純な構造」

「?」


 ルフィオは首を傾げる。


「量産しやすい構造、数を用意できるように設計された存在ということだ……おまえに細かいことを言っても時間の無駄か」


 ロッソは自分の愚を悟った。


「一匹だけではない。最低でもあと五十は存在する。こちらに狙いを定めた状態でな」



 ロッソが口にした通り、氷の森は五十体の蚯蚓ワーム型の大氷獣を、イベル山から三十キロの距離に、分散して布陣させていた。

 氷の森には震天狼バスターウルフを一対一で屠るような氷獣を生み出すことはできなかった。

 ならば、数で制するという思想で生み出したのが、氷の森の持つ魔力を絶対零度の砲弾として放つ、蚯蚓ワーム型の大氷獣。

 イベル山近辺に震天狼バスターウルフを誘い寄せ、五十の大氷獣の飽和砲撃を仕掛けることで、震天狼バスターウルフを凍結、粉砕する。

 囮の大氷獣を葬ったのが震天狼バスターウルフではなく、赤いマントの魔物となったことは計算外だが、大きな問題ではない。

 震天狼バスターウルフは、攻撃圏内に入った。


 ――発射。


 氷の森は命じる。

 震天狼バスターウルフは、氷の森が想定した攻撃ポイントよりやや北方、ゴメルの西方に存在するが、この程度は誤差の範囲内だ。

 氷の森に散らばった大氷獣たちはわずかに首を動かして狙いを修正、冷気の砲弾を一斉に撃ち放った。

 曲射。

 大気に大きな弧を描いた冷気の砲弾が、震天狼バスターウルフめがけて飛翔する。

 かわされても問題は無い。直撃をさせる必要は無い。

 冷気の砲弾は、震天狼バスターウルフの存在する一帯を、すべて凍結させる。

 それで、震天狼バスターウルフも凍り付く。



「離れるぞ」

「うん」


 ロッソ、ルフィオは空中に舞い上がろうとした。


『待ってくれ』

「どうした?」

『止めないとまずい。止めないと、凍っちまうんだろ?』


 ロッソに憑依されてる状態だと、ロッソが言ってないことまでわかる。

 大氷獣の攻撃が到達すれば、近くにあるゴメルも凍結し、全滅する。

 攻撃の到達自体を止める必要がある。


「できるならやっている。あきらめろ」


 ロッソは厳しい口調で言った。

 おれは黙って、ロッソの留め金を外す。

 雪原の上に着地。


「カルロ!」


 褐色の肌の男の姿を現し、ロッソは声をあげた。

 その顔を見上げて言った。


「こいつらは、止められるって言ってる」


 マフラーの形で首に巻き付いていた三匹のバロメッツが、また黒い子羊の姿に変わる。


(そういうことだ)

(出番だてめえら)

(とっとと降りてきな)


 三匹がヌエーヌェーといななくと、高空に避難していた残りのバロメッツ達も降りてくる。

 総勢八八匹のバロメッツ。

 だが、バロメッツだけでは足りない。

 雪に埋もれている黒綿花たちに呼びかける。


「姿を見せて、出せるだけの綿と糸を出してくれ」


 その言葉に呼応するように、視界が変化する。

 純白の雪景色から、黒い綿帽子をつけた黒綿花の群生地へと。

 黒綿花は冥花。本来は冥層と呼ばれる世界の植物らしい。

 バロメッツたちと同じく、通常の物理法則は通用しない。

 雪に埋まった程度じゃどうってことはないし、出せるだけ糸と綿を出せといえば、増えられるだけ増えて増産してくるようだ。

 滅茶苦茶な植物だが、今はありがたい。

 綿帽子の数はたぶん数万。今でもデタラメな数だが、増産をしてくれているようだ。一種狂気めいた勢いで、綿花畑が広がっていくのがわかった。

 おれの眷属扱いになっている黒綿花の綿帽子は、思考で直接加工できる。

 空中に浮かびあがった綿帽子は、あっと言う間に黒い糸に変わる。そこから数秒で、一辺一キロ超の三角形の布として織り上がった。

 布の数は六枚。

 裁縫術を使い、布を空中に浮かべたまま、六本の縫い針を飛ばす。


「頼む」

(さぁ、出番だ)

(大仕事だねこりゃ)

(ゆくぞ皆の者!)

(うるせぇ)


 ヌエーヌエーと鳴きながら飛んだバロメッツたちが黒い糸となって針穴を通り、六枚の布を六角錐のドーム状に縫い上げる。


「次」


 おれについていた三匹のバロメッツに呼びかける。


(了解した。行くぞ)

(おうさ)

(合点)


 螺旋を描きながら飛んだ三匹は綱のように姿を変えて絡まり合い、一本の長大な棒の形になって硬化、傘のようにドームを支える柱になった。

 ドームの六カ所に縫い付けたループに、バロメッツが六匹ずつ取りつき、ロープ状になって伸びる。

 地上の黒綿花に巻き付く形でドームを広げ、固定する。

 氷の森に向けて、黒綿布のドームを斜めに立てた形だ。

 他のバロメッツたちがメインの柱の補強に回り、最後に残ったいつものリーダーが、おれのそばでヌエーと鳴いた。


総司令コマンダー。全騎配置につきました)

「悪いな」


 無茶をさせることになる。


(お気遣いなく)


 気合いの入った調子でヌエーと鳴くリーダー。

 ドームの支柱に手を当てる。

 魔力を通し、ドームの強度を上げていく。

 黒綿花の綿帽子がドームの支柱やロープなどにあつまり、絡まって、さらに補強していく。


「ふん」


 ロッソは鼻を鳴らし、ルフィオに目を向けた。


「ついていてやれ。いざとなれば引きずってでもここを離れろ」

「わかってる。トラッシュは?」

「弾着を見れば敵の所在が読めるはずだ。狩り潰す。傘を立てているだけでは殴られ続けるだけだ」

「ありがとう、ルフィオ、ロッソ」


 おれにできることは、所詮、ちょっとした時間稼ぎくらいでしかない。

 結局のところは、ルフィオやロッソの力を借りざるを得ない。


「勘違いをするな。少し体を慣らすだけだ」


 本音なのか照れ隠しなのかわからない調子で言ったロッソは、そのままふっと姿を消した。

 ドームの上のほうにでも移動したのだろう。

 そこに、


(おいでなすった!)


 バロメッツのリーダーの鳴き声が響き、ドームを衝撃が貫く。

 あの大氷獣がぶっ放してくるのは、直径十メートルくらいの、超低温の塊のはずだ。

 打撃力も相当のものなんだろう。


(くそ、重い!)

(泣き言はあとにしろ!)

(まだまだ来やがるぜ!)


 続けざまに衝撃が走る。

 この規模のドームの強化なんて、裁縫術でやるものじゃない。

 ルフィオからもらった魔力も瞬く間に削られていく。

 目眩が走った。

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