第13話 見ている
イベル山噴火から約三ヶ月後。
森林火災によって甚大な被害を受けた氷の森はダメージの回復、そして
対立すべきではない。
氷の森はそう判断した。
幸い、
イベル山を中心とするゴメル地方、そして一人の人間に『手を出すな』というマーキングをしていったが、それだけで立ち去っていった。
痛手であることは間違いない。
怒りや憎しみも当然ある。
だが、戦うべきではない。
生存と繁栄のために。
果たすべき使命のために。
その判断に基づき、氷の森はイベル山周辺、ゴメル地方における前進を停止、ダメージの回復に軸足を移した。
だがその選択は、人間の増長を招いたようだ。
イベル山近くに焼け残った氷霊樹が馬の蹄の音、そして男達の声を捉えていた。
氷の森は氷霊樹と氷獣群からなる群体生物であり、森全体で一つの意志を持つ。
氷霊樹は氷の森の骨肉であると同時に、森の中、森の近辺の情報を正確に把握する感覚器官でもあった。
「イベル山の噴火以前、この一帯は氷霊樹と氷獣の支配下にありました。ですが今、氷の森は沈静化し、一部で後退をはじめています」
白馬の背に乗った若い人間がそんなことを言っていた。
若い人間の身元は把握できている。
ゴメル統治官ナスカの長子ドルカス。
年齢は二十代前半で、二十歳手前のカルロより上。
少々すれた雰囲気のあるカルロとは対照的な、優男、貴公子然とした若者だった。
氷霊樹を通して収集した情報によると、ブレン王都にある魔術、錬金術教育機関、賢者学院を優秀な成績で卒業したエリートらしい。
ブレン王国における最大の課題である氷の森の北進対策、特に氷霊樹の研究において評価が高い、ということだったが、そのわりに氷の森の恐ろしさを理解していないようだ。
噴火騒ぎの少し前、三十人ほどの人間を引き連れて調査にやってきたが、氷獣たちを向かわせるとすぐに部下を捨てて逃げていった。
報復のために氷獣を集め、ドルカスの拠点であるゴメルを凍結させようとしていたところに
その結果、氷の森はドルカスらへの制裁も断念することになった。
ドルカスはそれを手前勝手な形で解釈しているようだった。
「氷の森を構成する氷霊樹は水と地の二つの属性を持ちます。それ故に火で溶けることも、斧が通ることもなく、魔法なども受け付けません。ですが、今回の噴火で、一帯の氷霊樹は根こそぎ焼け落ちました。そればかりか、直接の火災を免れた氷霊樹もまた、後退をはじめています」
ドルカスは同行の貴族たちの顔を見わたす。
大物ぶった表情だが、咎める者はいなかった。
この場にいる貴族達は全員が男爵クラスの下級貴族である。
対するドルカスの父、統治官ナスカは官僚貴族と言われる特殊な官吏だった。
元々は子爵家の四男という微妙な立ち位置だったのだが、官吏として王家や上級貴族に取り入って様々な利権を掌握、莫大な資産を築き上げた豪腕の持ち主だ。
ブレンにおける役人の腐敗、賄賂の横行などを引き起こした元凶の一人ではあるが、ブレン王国における屈指の実力者であり、富豪であった。
税収不足に喘ぐ下級貴族となると、ナスカから借金をしている家も少なくない。
今回ここに呼び集められたのは、そんな借金貴族たちである。
御曹司ドルカスには媚びるしかない立場だ。
「溶岩は、火と地の二つの属性を持つ物質です。氷霊樹は炎は受け付けませんが、火と地の力を持った溶岩の熱には耐えきれない。故に、氷の森は溶岩を恐れ、噴火が収束した後もなお、後退を続けているのです。私はそこに、我が国を救うための活路を見ました」
ドルカスは山肌の新火口から黒煙を噴き上げるイベル山を見上げる。
「噴火は終わりましたが、イベル山の火山活動はまだ続いており、火口からは溶岩の汲み上げが可能です。充分な労働力があれば、溶岩を汲み上げ、氷の森に運んでいくことで、さらに森を後退させることが可能でしょう」
「溶岩を汲み上げる?」
一人の中年貴族が声を上げた。
「そんなことが可能なのですか?」
「危険な作業ではありますが、決して不可能ではありません」
ドルカスは貴族達を見渡す。
「皆さんをここにお呼び立てしたのは、この実験、いえ、開拓事業に必要な人員を手配していただくためです。ゴメルの民は、父ナスカが国王陛下よりお預かりした臣民。試験のために使い潰すわけにはいきません。代わりに、皆様が抱えている生産性のない領民をお譲りいただきたいのです。抱えていても益のない、ろくに租税を納めることもできない者を、この事業の為に供出していただきたいのです。この事業が成功すれば、氷の森の北上を押さえ込むことができるようになります。この国の未来を、私たちの子供達の未来を守ることにもつながるでしょう」
息子ドルカスに続いて、統治官ナスカが口を開く。
「もちろん、無償ではありません。ご協力の暁には、その貢献に応じて、ご融資の返済額を何割か差し引かせていただきます。ご相談をいただければ、融資の拡大なども検討させていただきましょう」
困惑の色が強かった借金貴族達の目が、一気に熱を帯びた。
もともと貧しい領地を、借金まみれで必死で経営しているような者たちである。
ともすれば税収より徴税費用のほうが高くつくような貧民どもを差し出すだけで借金が減る。こんなうまい話はなかった。
見方を変えると人身売買の誘いなのだが、それを指摘するような者はいなかった
氷の森からすると、理解を絶する愚かしさである。
ドルカスは、氷の森が溶岩を恐れていると言ったが、特にそんなことはない。
火山噴火は確かに危険だが、人間ごときが手運びで持ってきた溶岩の熱量などたかが知れている。
運搬役である人を殺せばいいだけの話だ。
氷の森が北上を止め、一部で後退しているのは、あくまで
たかが火山一つの活動を恐れているわけではない。
まして、人間ごときの動向に左右されるものでは断じてない。
この場で氷獣たちをけしかけ、ドルカスたちを皆殺しにすることも容易い。
だが、今は手控えることにした。
この段階で氷獣を動かせば、
当座は、人間たちを泳がせる。
思い上がった人間に手を出させ、それに反撃する形式のほうが、
「是非協力させていただきます」
「私も!」
「我らが王国の未来のために!」
人間どもは、そんな声をあげはじめていた。
森に、すべて見られていることも気付かずに。
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