第11話 死と風化の魔物

「おかえり」と尻尾を振るルフィオ、冥花を咲かせているサヴォーカの二人にカルロは「ありがとうございました」と告げた。


「どういたしまして」

「よい仕事をお見せいただいたであります」

「お眼鏡にかなっていればいいんですが」

「もちろんであります」


 サヴォーカはうなずいた。


「それは良かった」


 カルロはくすぐったそうに微笑する。


「よければ、サヴォーカさんが仰っていた仕事の話というのを聞かせていただけますか?」

「よろしいのでありますか?」

「布団作りは片付きましたし、ここまで付き合っていただいて、手ぶらでお帰しするわけにはいきませんから。羊飼いの仕事もありますので、そう難しい仕事は承れませんが」

「それでは」


 頼みたいこと、作ってもらいたいものは数え切れないほどあるが、最初に相談すべきものはひとつだけだ。


「先ほどの、吸血羊の毛織物で、手袋を作っていただくことは可能でありますか?」

「サヴォーカさんがお使いになるものですか?」

「いいえ」


 サヴォーカは首を横に振る。


「カルロ殿の手に合わせたものを」

「自分の手に?」


 カルロは不可解そうな表情を見せた。


「はい」


 サヴォーカははめていた手袋を右だけ外す。


「その端布はぎれを、一枚分けていただいてもよいでありますか?」


 寝具作りに使った端布の余りを指さす。


「こちらでしょうか」


 カルロが端布を取り上げる。


「恐縮であります」


 サヴォーカは手袋をした左手で端布を受け取ると、そこに裸の右手を触れた。

 赤い端布はすぐに灰色に変色し、砂になって崩れ落ちた。


「……なにを?」


 カルロは目を丸くする。


「触れただけであります」


 サヴォーカはほろ苦く微笑んだ。


「私は死神グリムリーパー。触れたものの生命力を奪い、風化させてしまう、死と風化の魔物であります。吸血羊の毛織物のような特殊な繊維であれば耐えられるのでありますが、ほとんどの生き物や物品は、触れただけで風化し、砂になってしまうのであります」


 手袋をはめなおす。


「では、今つけている手袋や衣装は?」

「どちらも吸血羊の毛織物を使っているであります。新しいものを作れる職人がいなかったもので、父が身につけていたものをそのまま」


 黒騎士スタイル、男性用の燕尾服などという格好で行動しているのは、趣味でも思想信条でもなく、まともに身につけられる衣装が他にないためだ。

 あとは裸に黒いオーラをローブのように纏った古典的死神スタイルしか選択肢がない。


「新しい衣装を自分に作れと?」

「はい」


 サヴォーカは首肯する。


「危険な仕事でありますが、どうか、お引き受けいただきたいであります。もちろん、危険に見合った対価は用意させていただくであります」


 サヴォーカが砂にしてしまうのは、衣服だけではない。

 肌が触れれば、生き物も傷つけてしまう。

 その気になれば大災害を起こせるのが震天狼バスターウルフのルフィオなら、その気がなくても死や滅びをもたらしてしまうのが死神グリムリーパーのサヴォーカだった。


「手袋というのは、採寸用として?」

「はい」


 新しい衣装を作ってもらうには採寸が必要だ。

 裸になる必要はないにしても、首筋などに触れてしまう危険を考えると、防護用の道具を用意しておくべきだ。

 だが、死神グリムリーパーの服作りというのは、死と風化の魔物と向き合う仕事とも言える。

 普通の人間なら忌避するはずだ。

 受けてもらうにはそれなり以上の条件を提示し、信頼関係を作らなければならない。

 簡単には引き受けてもらえまい。

 最初は、断られても仕方がない。

 そう思いつつ、サヴォーカはカルロの姿を見上げた。



 サヴォーカさんは、硬めの表情でおれを見上げた。

 例の冥花は影も見えない。

 もったいぶる場面でも、もったいぶれるような身分でもないだろう。


「わかりました。手袋を作ってみましょう。ただ、自分は場末の古着屋崩れで、サヴォーカさんが身につけているような、きちんとした服の仕立てはやったことがありません。勉強しながらということになりますが、それでよろしいでしょうか?」


 やってみたいという感情、やれるだろうという自信はあるが、経験はないのが現実だ。

 自分の服は自分で作っているし、ゴメルの肉体労働者やご婦人方の作業着、子供の服などもよく縫っていたが、サヴォーカさんが身につけるような衣装となると未知の世界だ。


「よいので、ありますか?」


 即答とは思っていなかったのだろう、サヴォーカさんは少し戸惑い気味に言った。


「ええ、良い機会ですから」

「危険な仕事になるはずでありますが」

「自分の腕を見込んで、仕事を頼みたいと言ってくれたのは、サヴォーカさんが初めてです。それなら、お受けするべきだと思いまして」


 サヴォーカさんという魔物が相手だからこそ得られるチャンスだろう。

 おれみたいな場末の古着屋、それも潜伏中の人間にちゃんとした仕事を回してくれる客なんて、人間にはいないはずだ。


「制作期間は少々長めに見積もらせていただきたいとは思いますが」


 特殊な素材を使った、特殊な顧客相手の仕事だ。いままでの仕事とはいろいろ勝手が違うはずだ。


「もちろんであります。是非お願いするであります」


 うなずいたサヴォーカさんの目元は、安堵したように潤んでいた。

 消えていた冥花たちがまた現れて、はじけるように花開いていく。

 新しい服を作れない、手に入らないというのは、おれが想像したより、ずっと深刻な問題だったんだろう。

 まずは素材となる生地や糸などを受け取り、手間賃などの話を詰める。

 練習用として材料は多めにもらって、採寸不要のハンカチなどの小物もいくつか作ることになった。

 話にまじれないルフィオは退屈になったのか、ベッドに座ったおれの足に頭を乗せ、スヤピーと寝息を立て始める。


「裁縫の仕方は、どなたかに習われたのでありますか?」


 話の途中で、サヴォーカさんがおれに訊ねた。


「養父です」


 歳が六十以上離れていたので、親父というより爺さんという雰囲気だったが。


「お父様のお名前は、なんと?」

「養父の名前ですか? ホレイショと言いますが」

「やはり、そうでありましたか」


 サヴォーカさんは複雑な表情を浮かべた。

 納得したような、やや困ったような表情だった。


「養父を、ご存じなのですか?」


 おれが養父に拾われたのは十年ほど前だ。

 それ以前に養父がなにをしていたのかは、おれにもわからないが、魔物の世界に関わっていたんだろうか。

 サヴォーカさんの衣装には、普通の職人には扱えないはずの吸血羊の織物が使われている。

 普通の職人じゃなかった養父が関わっていてもおかしくない。


「直接お会いしたことはないのでありますが、両親がお世話になったと聞いているであります。魔物の国アスガルに仕立屋を開き、私たち死神グリムリーパーだけでなく、多くの魔物たちの衣装を手がけたそうであります。ですが、二十年ほど前に突然姿を消し、行方がわからなかったのであります。今回カルロ殿のところにおうかがいしたのも、ルフィオから話を聞き、ホレイショ殿に縁の方でないかと考えた部分もありまして」


 サヴォーカさんは恐縮したように言った。


「そうですか、初めて知りました」


 確かに養父なら、ルフィオの腹くらい当たり前に切っただろう。

 ある意味、ルフィオやサヴォーカさんより魔物じみた部分があった。

 ルフィオやサヴォーカさんを見ても恐怖をあまり感じないのも、養父の怪物ぶりを知っているせいかも知れない。


「ホレイショ殿は、お亡くなりに?」

「五年ほど前に。ゴメルの街に墓があります」

「そうでありましたか」


 サヴォーカさんはおれの目を見た。


「ホレイショ殿の店の建物は、アスガルに残っているであります。よければ、ご案内させていただきたいであります。すぐにとはいかないでありますが」

「ええ、是非」


 おれは首肯したが、半分は社交辞令だった。

 ルフィオやサヴォーカさんが悪い魔物だとか、企てがあるとは思わなかったが、初対面に近い二人に連れられ、魔物の国に旅立つような覚悟はまだなかった。

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