第3話 ざまぁも時と場合による

「盗品売買ってのもデタラメか」

「黙って聞けと言ったはずだ」


 オルダは威圧的な調子で言う。


「だが特別に教えてやる。人心の混乱を避けるため、氷の森の暴走スタンピードの兆候はゴメル市民には通達していない。暴走スタンピードの兆候が公表されていない以上は、暴走スタンピード対策である生贄を公然と用意するわけにはいかない。そこで統治官様がロイヤルドラグーンに指示をし、おまえを訴えさせた」

「それでごまかせるなんて思ってるのか?」


 人との対話ができない、あるいは対話をする意思がないだけで、氷の森には意思がある。

 氷の森に住まう氷獣も、やはり対話はできないものの、ものによっては人と同じか、それ以上の知能を持っている。

 統治官の息子が森を怒らせたなら、替え玉工作なんか通用しないはずだ。


「無駄だろう」


 オルダは真顔でそう言い放った。


「おまえを生贄にしても、氷の森の怒りは収まらない」

「ハ?」


 つい、育ちの悪い声が出た。

 百歩譲って生贄はいいとしても、無意味とわかってやる。意味不明にもほどがある。


「統治官様の親心だ。ドルカス様を生贄にする前に、あらゆる方策を試したいとお考えだ。その方策の一つがおまえだ。無駄とわかっていても、やる必要がある。他の全ての方法を無駄だと証明してからでないと、ドルカス様を生贄にすることができない」

「統治官にドルカスを諦めさせる材料として、替え玉の死体が欲しいってことか」

「その通りだ」


 オルダは悪びれもせず、ふんぞりかえって言った。


「おまえの死は無意味なものではない。おまえの死をきっかけに統治官様が覚悟を決めることができれば、ゴメルも王国も救われる。結果的には価値のある死ということになる。感謝し、覚悟を決めろ。なんの価値もないおまえの命が、王国を救うために役立つ」


 とてつもない上から目線だ。


『アタマん中でタンポポ栽培してんのかボンクラが』


 などと口走りたくなったが、この状態でオルダを怒らせても意味は無い。

 隠しポケットに忍ばせた裁縫セットはまだ没収されてない。

 オルダ達がこの場を立ち去れば逃げ出せる可能性は充分ある。

 この場はおとなしくしているのが上策……と、思ったんだが。

 考えが甘かったようだ。


「……あ、ぎゃ」


 そんな声がして、変な物が横から転がってきた。

 それは、凍結した人間の首。

 横に居た衛士の首だった。

 ぞっとして視線を巡らせる。

 首をもがれた死体が転がっていた。

 そのすぐそばに、氷の彫像のような、透き通った体の怪物がいた。

 体高三メートル超。太く長い手足。顔もなければ毛皮もない。

 シルエットは、大きな猿を思わせた。

 衛士の一人が悲鳴をあげる。


「ひ、氷獣だっ!」


 氷獣は声を持たない。

 咆哮することもなく、静かに立っていた猿の氷獣は右腕を繰り出し、叫び声をあげた衛士の胸板を貫いた。

 氷獣の体は超低温だ。衛士の体はあっと言う間に凍結し、ばらばらに砕け散る。

 オルダたちの目的は、おれを統治官の息子ドルカスの身代わりの生贄とすること。

 だが氷獣にしてみれば、おれも衛士たちも同じ人間、森への侵入者にすぎない。

 オルダたちはおれをここに置いたら逃げ帰る算段だったんだろうが、氷獣の動きが予想より速かったのだろう。

「ざまぁ」と笑ってやりたいところだが、おれにとっても速すぎる。

 おれをここに置いていった帰途にでも襲撃されてくれれば万々歳だったが、このタイミングで襲撃をかけられると、おれも逃げる時間がない。

 隠しポケットから裁縫セットを引っ張り出す。

 柱に縛り付けられているので、隠しポケットには手が届かない。

 手の代わりに、魔法を使う。

 魔術師なんてご立派なものじゃないが、おれは簡単な魔法を使える。

 裁縫術という工芸魔法。

 ハサミや針と言った裁縫絡みの道具を手を触れずにコントロールしたり、ハサミの切断力、糸の強度などを上げたりできる。

 養父から習ったんだが、養父が自力で編み出した我流魔法だったようで、養父以外の使い手は見たことがない。

 人差し指の先から魔力の糸を触手のように伸ばし、裁縫セットの中の糸切りばさみを巻き取る。

 裁縫セットごと隠しポケットから引き出して、宙に浮かせる。

 裁縫セットの中で糸切りばさみを暴れさせ、ケースから出した。

 その間にも、虐殺は続いている。


「ひ、ひいいいいっ!」

「て、撤退! 撤退だ!」


 オルダは顔面を蒼白にして叫んだ。

 今にも失禁しそうな表情だ。

「ざまぁねぇ」と言ってやりたいところだが、こっちもそれどころじゃない。


「た、助けて! 衛士頭……ひぎゃあっ!」


 頭と足を掴んで持ち上げられた衛士の体が凍り付き、二つにちぎれて投げ捨てられる。

 既に凍結していたらしい。

 地面に当たってばらばらに砕けた。

 助けを求められた衛士頭オルダだが、いっそすがすがしいほどの勢いで部下の衛士達を放って逃げていく。

 だが、氷の森にいる氷獣は大猿だけじゃない。

 兎やリスなどの姿をした小型氷獣たちが集まってきて、逃げるオルダの前方に回り込んでいく。

 オルダは騎士崩れで、腕はそれなりに立つ。

 素早く剣を抜き、飛びかかってきた兎の氷獣を斬り捨てた。

 その結果、破滅した。

 兎の氷獣を切り捨てたオルダの剣が、柄を握った手首ごと凍りつく。

 手首が砕け、剣がふっとぶ。


「ぁ……あああああああああああっ!」


 絶叫したオルダは、手と剣のなくなった右腕を押さえる。

 そこに、兎とリスの氷獣たちが襲いかかる。

 オルダに体当たりをした氷獣たちは粉雪で作った雪玉みたいに砕け散る。

 オルダの体からごっそりと熱を奪い、凍結させながら。


「ひっ」


 オルダの両膝が凍りつき、砕ける。


「や、やめ……助けて……凍る、凍る……嫌だ、死にたく、な」


 それが、オルダの最後の言葉になった。

 膝から下が砕けてなくなったオルダめがけて、兎とリスの氷獣たちが飛びついていく。小さな氷獣たちがオルダの体にぶつかると、やっぱり雪玉みたいに砕け、その熱を奪いながら消えていく。

 白い霜に覆われ、凍り付いたオルダは、最後は仰向けに倒れ、その衝撃でバラバラに砕け崩れた。

 さすがに笑えない。

 明日は我が身どころか、このままだとすぐに同じ運命だ。

 体、首、足首の三カ所にかかった三本の縄を、宙に浮かべた糸切りばさみで切断する。

 どうにか縄目は逃れたが、そこで時間切れだった。

 オルダを初めとする衛士たちは全員凍った肉と骨の残骸になり、残るはおれ一人だけ。

 氷獣たちはぐるりとおれを取り囲んでいる。

 打つ手がない。

 裁縫術は針やハサミを手を触れず動かせるが、あくまで手を増やして作業効率や精度を上げるための工芸魔法だ。

 動作速度も裁縫レベルでしかない。

 針と糸を矢みたいに飛ばすとか、ハサミをナイフ使いみたいに操って闘う、みたいなことはできない。

 普通の魔物や人間が相手なら、針やハサミを死角からちくちくやるくらいのことはできるが、氷獣っていうのは、命を持った吹雪みたいなものだ。

 工芸用の魔法じゃどうにもできない。

 判断が遅すぎた。

 後先なんぞ考えず、店を飛び出し、街から逃げ出すべきだった。

 それくらいなら、なんとかやれないことはなかったかもしれない。

 ぞっとするような静寂の中、猿の氷獣が、鼻を動かすような仕草をした。

 気を失っている間に、おれは見慣れない上着を着せられていた。

 例の統治官の息子の上着だろう。

 その匂いに気付いたんだろう。

 おれとしても汗臭い。

 袖から腕を抜き、脱ぎ捨ててみる。

 やはり、上着のにおいが気になっていたようだ。

 上着が草の上に落ちると、猿の氷獣は上着にまっすぐ突っ込み、一息に引き裂いた。

 それで満足してくれないかと思ったが、猿の氷獣はすぐにおれのほうに向きなおった。回りは兎やリスなどの小型氷獣にぐるりと囲まれている。

 逃げ場がない。

 どうにもできないおれ目掛け、猿の氷獣が襲いかかってくる。


 そいつはそこに、自由落下でやってきた。

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