第23話 消えたユキちゃん
先生と呼ばれた、クルシマという名前の軍医は僕を完全に無視していた。
「パルミエッラさんを早く医務室へ運んで!」
兵士たちは慌てて彼女の体に毛布をかけて(既に彼女は元の姿に戻っていた)、担架で運んでいった。僕は軍医に話しかけようとしたが、相手は僕の目を見ようともしなかった。
「あなたと話すことは何もないわ。失礼します。」
軍医は兵士たちのあとに続いて部屋を出て行った。大佐は不思議そうにしていた。
「貴殿はクルシマ先生とお知り合いですか?」
そう聞かれて僕は急に思い出した。高校時代、夏休みに来島の実家に遊びに行った時、彼には姉がいた。長らく会っていないからすぐに気づかなかったが、間違いなく軍医はその人だった。確か当時、彼女は医大を目指して勉強していたはずだった。
彼女とは後で何が何でも話さなければならないが、僕はもう一つ大切なことを思い出した。
「大佐! ミルさんがいないって本当ですが!?」
起き上がろうとする僕を大佐は制した。
「無理なさらないで下さい、レイ殿。本官の部下が城内を探しています。それにしても…。」
大佐は泣き笑いのような顔になっていた。
「本当にご無事で良かった。貴殿が連れ去られて殺されると思った時、私は…本官は心臓が潰れるかと思いました。」
「大佐、すみませんでした。だけど僕も探しに行かないと、ミルさんにもしもの事があったら大変です。」
僕は何とか起き上がり、歩こうとしたがふらついて大佐に抱きとめられてしまった。
「ほら、無理をしないでと言っているではありませんか。軍曹!」
大佐と軍曹に挟まれて、俺はヨタヨタ歩いたが我ながら情けない姿だった。
「大佐、こちらが例のお方ですかい?」
軍曹の発言に大佐の顔は急激に赤くなった。
「軍曹、それ以上言うと重営倉に入れるぞ。」
「へいへい。失礼しやした。」
軍曹はニヤニヤしながら僕に言った。
「ま、大佐の事をよろしくお願いしやす。」
「軍曹さん、あの軍医さんは?」
「おやおや、大佐の前で別の女性のお話ですかい?」
「軍曹!」
大佐がホークさんを叱責したが、彼は気にしていない感じだった。
「クルシマ先生ですか? 腕の良い医者ですぜ。見たこともない魔道具で重症も治すってんで兵士たちにも人気でさ。何年か前に赴任されやした。」
(僕の来るずっと前から彼女はこの異世界にいたんだ。元の世界に帰る方法を彼女は知っているかもしれない。)
下の階に戻ると、辺りは騒然としていた。武装した兵士の一団が慌ただしく走り抜け、警報の鐘が鳴り響き続けていた。そこに、小柄な兵士が泣きじゃくりながら走って来た。
「大佐! やっぱりユキちゃんは見つからないです! 自分の、自分のせいで、自分が目を離したばっかりに…。」
その人はユキの世話を頼まれていた兵士で、泣きながら顔を押さえてその場に崩折れてしまった。
「伍長、泣いている場合ではないぞ。気をぬくな。」
ようやく一人で立てるようになった僕は、泣いている兵士に聞いた。
「ユキさんはいつ、いなくなったのですか?」
「はい。自分はユキちゃんと一緒にお絵描きやあやとりをしていたのですが、用を足しにほんの数分外して戻るといなくなっていたのです。かくれんぼのつもりかなと思い、あたりを探したのですが見つからず、軍曹に報告した次第ですう…。」
伍長はしょげかえっており、今にもまた泣き出しそうだった。大佐は険しい表情だった。
「伍長だけの責任ではない。それにしても、いくら広いとは言えこれだけ探して見つからないとは、誰かが故意に連れ去ったとしか思えない。」
「大佐、本部内ですぜ!? いったい誰が!?」
大佐は険しい表情のまま歯を食いしばり、拳を自分の体に打ちつけた。
「あの噂は本当だったか。ユキちゃんは帰らせるべきだった。」
(噂って、ひょっとして…!?)
「大佐、それって子猫たちが次々と猫の街から姿を消しているという噂ですか?」
僕の質問に大佐は驚いた様子だった。
「レイ殿、ご存知でしたか。その通りですがもっと悪い噂です。それには我が軍が関係しているかもしれないという噂があるのです。」
(そういえば、裏路地でも子猫たちが連れ去られていた。)
大佐の告白に軍曹と伍長は目を丸くした。
「軍曹は捜索の指揮を続けてくれ。伍長はユキちゃんの親御さんに至急連絡を。本官はレイ殿を孤児院まで送り、謝罪をしてくる。」
二人は敬礼すると慌てて駆けていった。大佐は自分を責めて混乱していた。
「本官の責任だ…どう償えばいい…。」
「大佐、気を確かに。僕は残って探します。」
「いえ、おそらくもうユキちゃんはこの城にはいないでしょう。ところでレイ殿…。」
大佐は少し聞きにくそうにしていたが、意を決したかのように僕に顔を向けた。
「パルミエッラの私室では何をされていたのですか?」
僕は顔から火が出るくらいの恥ずかしさを感じ、両手を振って激しく否定した。
「なにもありませんでした! 本当です!」
大佐はホッとしたように自分の胸を押さえた。
「そうですか…。本当に今日は心臓に悪いことばかりの日です。さあ、馬車が用意できたようです、行きましょう。」
結局ユキは見つからなかった。ふたりの黒猫な城内で散々暴れまわった後、風のように逃げ去ったらしかった。
「レイさま! ご無事でしたか!」
馬車から降りるなり、ベラベッカが飛んで僕にすごい力で抱きついてきて背骨が折れそうだった。ユートがケンピッカのエプロンの紐を引っ張った。
「ベラベッカおねえちゃん、せっかくレイにいちゃんが生きて帰ってきたのに、死んじゃうニャ。」
「あ、いけない。わたくしとしましたことが、つい。」
彼女は渋々僕を放すと、その様子を見ていた大佐を、この世のものとは思えない冷たい目でにらみつけた。
「よくもここに来ることができましたね。その度胸にだけは感心いたしますわ。」
僕は彼女に囁くために近づいた。
(ベラベッカ、なんてことを言うんだ。見てたはずだよ、大佐は僕のために命を投げ出そうとしたんだよ。)
(はいはい。見てましたとも。後でゆっくり話しましょう。)
「とにかく、中へどうぞ。院長とキャリアン氏がお待ちです。」
応接室のボロボロのソファには既にアイゼと、憔悴しきった様子のキャリアン氏が座っていた。
「キャリアンさん、本当に申し訳ありません。僕がついていながら…。」
「レイさん、貴方のせいではありません。こちらこそ娘の勝手な行動で皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました。」
全員座り、ベラベッカがお茶を入れた後、気まずい沈黙になった。僕はユートに聞いてみることにした。
(レオパルトは?)
(レオおじさんはお風呂に入っているニャ。)
(こんな時にお風呂!?」
同じ部屋にアイゼ、ベラベッカ、大佐がいるとそれだけで圧巻で、僕は部屋の明るさが違うような錯覚に陥った。最初に口を開いたのは大佐だった。
「あの…、まさか院長殿がこんなに若い方だとは驚きました。この度のユキちゃんの件と、レイ殿を危険な目にあわせた件、軍を代表してお詫びにまいりました。」
アイゼはすらりとした足を組んで、またニヤニヤしはじめた。
「お詫びに来たのにてぶらなんだ。占領軍もセコイね。あ、前回のケーキはありがとね。まあ大佐さんてなかなかの感じじゃない? なるほど、レイちゃんが浮気をするわけだ。ねえ、ベラベッカ?」
このめちゃくちゃなアイゼの言動に、大佐とお茶のおかわりを淹れていたベラベッカは凍りついた。
「で、大佐さんの言い分を聞こうじゃない。この後、どうするわけ?」
何か考えがあってなのか、いつも以上に高飛車な態度のアイゼだった。気圧された感じの大佐は、挽回しようとしたのか背筋をのばした。
「はい。ここだけの話ですが、本官はユキちゃんを連れ去ったのは軍内部のものだと考えております。速やかに調査してユキちゃんを連れ戻します。」
「ふう~ん。大佐さんにそれができるの?」
大佐が険しい表情で言い返そうとしたが、
僕が割って入った。
「あの、いいかな? パルミエッラが言ってたんだけど、7日後の正午、リンデンゲルという場所で大きな取引で大儲けをするって。これは手がかりにならないか?」
アイゼは大いに興奮した様子になり、膝を打った。
「さすがベラベッカの婚約者! そう、誘拐に取引にお金。結論はひとつね。これは占領軍が絡んだ組織的な子猫の人身売買だよ。いや、猫身売買ね!」
彼女が導き出した結論にその場にいた全員が驚き、一斉にアイゼの方に注目した。
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