第11話 黒猫のとりこ
僕はまぶたにうっすらと光を感じた。
目を開けると天井がみえた。かなり古いのか、方々が黒く汚れていて傷んでいるように見えた。どのくらいの間、僕は眠っていたのか或いは気を失っていたのかわからなかった。
目が見えているということは、僕はどうやら奇跡的に生きているようだった。どうやってあの状況から生還できたのかもわからなかった。
(ここはどこだろう…?)
検討もつかないがどうやら病院ではなさそうだった。僕の体には薄い粗末な布切れがかけられていて、硬い木のベッドの上に寝かされていた。僕がゆっくりと身を起こすと体のあちこちに痛みが走り、しばらくじっとして堪えた。
自分の体を確認すると、僕の四肢の傷には丁寧に包帯が巻かれていた。不思議なことに、お腹には傷口が無いし痛みもなかった。僕は確かにお腹も斬られた記憶があり、首をひねった。
まわりを見回すと、そこは狭くはないが質素な部屋だった。板張りの床で天井と同じく所々が傷んでいた。家具も殆どなく、壁際に古そうな木製の箪笥と、窓際には机と、ベッドのすぐ真横には椅子が一つ置いてあり、窓と反対側の壁に一つだけ扉があった。
窓から差し込む光の感じから、今は朝方のような気がした。僕はベッドから降りようとしてスースーする寒さに気づき、恐る恐る布きれをめくってみた。
僕の上半身には病院の検査着のような、Tシャツの裾をひざ辺りまで長くした感じの服を着せられていた。
そして、下には何も履いていなかった。僕は顔が火照るのを感じて、布を頭から被ると深いため息をついた。
「最悪だ…。」
「何が?」
驚いて布をはねあげて横を見ると、ベッドの真横にあった椅子に、黒っぽい服の上にエプロンを着けた人物が前からいたかのように座っていた。その手には、水が入っている桶のような容器とタオルを持っていた。いったいいつの間にその人が部屋に入ってきたのか、僕には全くわからなかった。
「君は…!?」
僕はその顔を見て気がついた。彼女は昨晩、僕と戦った相手にまちがいなかった。
(と言っても、ほぼワンサイドゲームだったけど…。)
僕は恐怖に身をすくめ、防御できるはずもないのに布を顔まで引っ張り上げた。彼女はクスクス笑った。
「いまさら隠さなくてもいいじゃない。」
僕は恥ずかしさで体を熱くしたまま彼女をチラチラと見た。確かに目の前の人は僕が戦った相手と同一人物に間違いなく、その人間離れした美しさは変わらないが、昨晩とは全く違う印象だった。
あの時、彼女がまとっていた荘厳な雰囲気や尊大な態度や話し方は今は皆無でごく普通の人にしか見えなかった。
(騙されないぞ…。)
彼女の並外れた強さと容赦の無さは僕の身に染みていた。僕が警戒していると、突然彼女が動いたので僕はビクッとしてしまった。長い黒髪の彼女はかわいく頬を膨らませた。
「やだなぁ、もう。何をこわがってるの? これで体を拭いておいてね。当院のモットーは『清潔と誠実』なの。すぐに朝ごはんを持ってくるからね。」
彼女は器用にウインクをして、部屋から出て行った。相変わらず足音がしなかった。
(まるで、猫みたいだ。)
僕は呆然としてその姿を見送った。昨夜との差はなんなのだろう、どちらが本当の彼女の姿なのだろう、と僕は困惑した。
(当院? ここは病院なのか?)
だがそんな事はどうでも良かった。一刻も早くここから逃げ出さなければ、次こそ僕は殺されてしまうだろう。こんな恥ずかしい格好だが仕方がなかった。僕の荷物や装備品はどうなったのだろうと、ベッドからそっと降りて僕は部屋中を探したが全く見つからなかった。
僕は窓から逃げようと試みたが、どんなに力を入れてもなぜか窓を開けることはできなかった。僕は窓をあきらめて扉に近づいた。何の変哲も無い木の扉だが、取っ手や縁には古そうで凝った装飾が施されていた。
扉に耳を当てて音を注意深く聞くと、遠くからかすかに足音や話し声が聞こえてきた。気のせいか、子供の泣く声や食器が触れ合うような音が混じっているような気がした。
幸い、扉の近くには誰もいないようだったので僕は取っ手にそっと手をかけた。その途端、手に激しい電撃のような痛みが走り、僕は床にうずくまってしまった。何とか声は押しとどめたが、自分の手を見ると真っ赤になり火傷ができていた。
(なんなんだ、これは?)
僕が文句を言っていると、扉の向こうから二つの声が近づいてきた。どちらも聞き覚えのある声だった。
「…院長、聞いてください! 私は昨日、ついに運命のお方と出会ったのです! 確かに着ている服は独特でしたが、ユート君に自分の食べ物をほどこすような、それはそれはお優しい方で私はひと目で…」
「…ベラベッカ、後にしてくれない? 今は忙しいの。だいたい、今回で何人目の運命の人なの?…」
「…今度こそ本命です! あのお方も私に一目惚れまちがいなしです。そのお方はそれはそれはいやらしい目で私のことを舐め回すようにジロジロと見て…」
「…ベラベッカ、それはね、運命のお方じゃなくてね、ただの『ヘンタイ』って言うのよ…」
「…院長、なんてひどいことを! うえええ~ん…」
今の会話の内容には僕が関わっているような気がしたが、扉のすぐそばに黒髪の彼女が迫っていた。僕は慌ててベッドに戻ろうとしたが、すでに遅かった。
戸口にはコップや食器を載せたお盆を持った彼女が立っていて、冷たい目で僕を見下ろしていた。
「ふう~ん。逃げようとしたんだ?」
彼女は舌で自分の唇をなめて、笑みを浮かべていた。
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