第1話 襲撃の黒猫(1)
僕は夢を見ていたようだった。何の夢か思い出せなくて、もどかしくて気持ちが悪かった。
どうやら起きては落ち、また起きては落ちてを繰り返していたいたみたいだった。
振動が僕の体に伝わってきて、僕は荒っぽい運転の改造バンの後部座席にいることに気がついた。
あたりはすえた汗の臭いがしていて、髭面にスキンヘッドの何人かのいかつい人たちが座っていた。
みんな身につけている装備は同じだけど、あきらかに自分は浮いていた。
汚れた窓の外はさえない景色が延々と続いていた。灰色の廃工場群に朽ちた電柱、ひしゃげたままのガードレール、荒れたアスファルト道、うす汚い廃ビル、無数の電線。あるく人影はなかった。
(いつからこの国はこんな景色になったんだろう。)
僕がぼうっと考えていると、車体に「有害情報摘発法にご理解を!」と書かれた街宣車とすれちがった。
ぼんやりしたまま、僕は嫌なことを思いだした。
(あの噂は本当なのかな。)
さっきの夢もそれに関係していたような気がするけど、やはり思い出せなかった。体がだるくて僕はため息をついた。
足元に何かが落ちていて、それはひっくり返ったコンビニ弁当だった。どうやら僕はい眠りをして膝からそれを落としてしまっていたようだった。
僕はかがんで弁当の残骸を片づけようとしたけど、揺れてうまくいかなかった。他の席の強面にギロリと睨まれて、僕は愛想笑いを返した。
「三毛神、今ごろ昼メシか?」
からかうような声が僕の背後から聞こえてきた。同僚の来島だった。
「うん。でも食欲が無いんだ。」
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ。」
アーバンカモフラージュの迷彩服にゴーグル付きヘルメット、防弾ジャケットに煙幕手榴弾。応急キットや携帯食が入ったバックパック。
こんな装備は無駄に重いだけで、こみあげてくる気持ち悪さには何の役にも立たなかった。
「あの噂、本当かな。」
僕がつぶやくと、来島は心配そうな顔をした。
「おまえ、本当に大丈夫か? 今回は休むか? どうせソフターゲットだしな。」
こんな風に僕を心配してくれるのは来島くらいだった。僕は三毛神一族の最底辺、はぐれ者、役立たずと言われ続けて、敬遠される事には慣れていたけど、来島だけは違っていた。
それが何故なのかは聞いたこともないし、聞くつもりもなかった。
僕はポケットから携帯ゲーム機を出した。僕が自由になれる唯一の場所、それはファンタジー系のオンラインゲームの中だった。
地下迷宮で怪物を討伐し、英雄になれるし、恋愛もできる。僕の現実生活には到底あり得ないものだった。
僕はゲーム機を手放せなくなり、安い給料を課金に費やす始末だった。来島はあきれたようにため息をついた。
「お前、摘発監督の前では寝たふりしてろよ。班長の俺がうまく言っとくからさ。」
僕は無言でうなずいたけど、ゲーム機を持つ手は震えていた。来島はそれを見かねたようだった。
「もうすぐ着くな。そうだ、忘れるところだった。これをやるよ。」
来島は手のひらサイズの銀色の円盤を僕に差し出して、声をひそめた。
「まだ試作品だけどな、お守りに持っとけよ。空間歪曲手榴弾だ。」
「これが!?」
僕は思わず大声をだしてしまい、また他の乗員たちにギロリとにらまれた。
僕は半笑いで会釈すると、来島に向きなおった。
「いったいどうやって手に入れたの? どうして僕に?」
僕が驚きながら聞くと、来島は得意げになった。
「まあ、ちょっとしたコネがあってな。」
コミュ力抜群の彼は、僕と違って顔が広そうだった。来島はヘルメットの上から頭をかいた。
「あんな噂はデマだと思うぞ。上層部は否定しているしな。だが念のために持っておけよ。」
「企業幹部の言うことなんか、嘘ばっかりだ。」
僕は思わず吐き捨てるように言ってしまった。
「おいおい、俺たちはその企業所属の摘発員だぜ? 誰もいないとこで言えよ。」
来島は笑いながら僕の肩を叩き、付け加えた。
「いざとなったらそれを使えば良い。普通の手榴弾で自爆なら相撃ちだが、それなら命だけは助かるはずだ。そんな時はこないだろうけどな。」
来島は、僕があの噂に怯えていると気づいていたみたいだった。
「ありがとう、来島。」
「ああ、どんな時でも生きなきゃな。」
来島の生への積極性が僕は羨ましかった。それは僕には無いものだったからだ。
ブレーキ音がして、車が急停車した。
僕たちは現場に到着したのだった。企業に逆らう悪者をこらしめる正義の摘発員のお出ましだ、と僕は皮肉たっぷりに考えた。
現場は郊外の廃工場だった。汚くすすけた建物のある広大な敷地は、わけのわからない機械やプラスチックの廃棄物だらけだった。
片すみの構内柱から光ケーブルが建物に引き込まれているのが見えた。
どこの誰だか知らないけど、こんな廃工場の中で光回線を使っているようだった。AIオペレーターの指示によると、今回の目標はここにいるらしかった。
毎日毎日、情報摘発センターではAIオペレーターがせっせとインターネット上の膨大な情報を分析し、摘発対象者の居場所を割り出していた。
摘発対象者とは…。
SNSやネット掲示板へ社会秩序を乱す書き込みをした者、
企業への誹謗中傷や批判をした者、
反体制的キーワードを検索した者、
などなど。
AIオペレーターは摘発監督に出動指示を出し、摘発対象者の居場所を伝えて、指示を受けた摘発監督は摘発員と共に対象者がいる現場に拘束に向かうしくみだった。
班長の来島と乗員たちが次々と降車していった。彼らは座席に座ったままの僕に何も言わず、完全に無視していた。
僕がゲーム機から顔をあげて窓の外を見ると、前方席から降りた摘発監督の前にダラダラと整列する来島たちが見えた。
摘発監督は高そうなスーツにネクタイの中年で、明らかに摘発員たちを蔑んだ目つきで見ていた。来島が何かを言い、中年男が興味なさそうにうなずくのが見えた。
これから始まる茶番は、配慮してくれた来島には悪いけど僕にはどうでもいい事だった。
摘発監督がかたちだけの摘発令状を読みあげるのと同時に、大型の銃を構えた摘発員たちが次々と廃工場の中に消え、最後に摘発監督が悠々と入っていった。
摘発員の銃は暴徒鎮圧用のゴム弾だけど至近距離からならそれなりに威力があるはずだった。
どこからかき集めたのか知らないけど、あのあらくれ者たちはきっと、かわいそうな今回のターゲットを撃ちまくるのだろうなと僕は思った。
たかだかネットに書き込みをしたか、NGワードを検索したくらいで半殺しの目に遭ったり、運が悪いと殺されるかもしれず、気の毒だけど僕にはどうしようもなかった。
なぜなら、この摘発活動は法律に基づいているからだった。
度重なる不祥事に失言に人材不足。
外交能力の欠如。
侵食される領土と領海。
一向に進まないデジタル化。
破綻する財政。
汚職に賄賂に癒着。
政府はとっくに行政能力をうしなって、今や国家の運営は実質、超巨大情報通信企業にまる投げで委託されていて、その企業の中枢は創業者である三毛神一族に牛耳られていた。
政府が企業に変わったってデジタルデバイドはあいかわらず深刻だったし、SNSや掲示板での誹謗中傷に差別、フェイクニュース、偽レビュー、偽動画に偽写真などなど、ネットの無秩序はひどくなる一方だった。
僕の時代には、世の中にネットは不要と唱えるアンチネット派市民が現れて端末打ちこわし一揆が勃発したり、企業支配に抵抗する巨大ハッカー組織「ラブクラフト」によるネットへの大規模なサイバー攻撃が頻繁に起こるようになっていた。
社会は反抗と取締のイタチごっこに陥った。
そしてある日、後に「暗黒の一日」と呼ばれる、サイバー攻撃による大規模な停電が発生し都心部は大混乱に陥った。
ラブクラフトによる犯行声明を重く受け止めた企業は政府を動かして、秩序の回復を名目に「有害情報摘発法」を成立させ、同時に「情報摘発センター」が発足した。
(その本部は建物のかたちから、通称オクタゴンと呼ばれていた。)
馬鹿みたいな話だけど、無理やり放り込まれた有名私学をなんとか卒業したものの、子供の頃から運動も勉強も成績が悪くて三毛神一族失格の烙印を押された僕は、与えられた摘発員の仕事で食ベて行くしかなかった。
(おかしいな。)
ゲームに夢中で気がつくのが遅れたけど、みんなが戻るのが異様に遅かった。
僕は車の窓に顔を近づけて見たけど、廃工場に異変は見当たらなかった。
でも、なにかが変だった。
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