背中の恋

朝吹

背中の恋 前篇

 

 ネットの掲示板が賑々しいらしい。それも裏掲示板。わたしは読んでいないが、「そこで知った」という話は客からたびたび教えてもらう。わたしには決まった源氏名がないのだが、すぐに特定されて客が列をなす。べつに不思議なことではない。その店でそのプレイを担当する嬢は、わたししかいない。


 >電車の中で痴漢ができるイメクラ希望

 >イメクラ専門店ではないんだが車窓風景が壁に流れてるぞ。電車の音つき

 >はだしで足首は固定。つり革に両手を吊り下げられてる。ブラウスとミニスカートは脱がすの禁止な

 >女の子の顔は分からない。頭に金属ネットの籠がすっぽり被さっていて、首輪と繋がっている上に鍵があって取り外せないようになっている。あと口枷も嵌められてるから会話もできない

 >ということは

 >基盤……

 >基盤しても、誰か分からないから女の子には訴えることが出来ない?


 趣向は電車の中の痴漢プレイだ。実際には脚がほぼ閉じているので基盤は不可能だし、たとえもう少し脚が開いたとしてもまず無理だろう。上げた腕を手錠で繋いであるつり革は伸びないし体位も変えられない。わたしは頭にヘルメットみたいな網ネットをすぽんとかぶり、発語に少し難があるのを隠すために口枷を嵌めた状態で壁際ぎりぎりに立っている。つり革と繋がれた両手首だけでなく、足首も昔の晒し刑に使われた形状の道具で閉ざされ、器具が床に留められているためにこちらもほとんど動かせない。車窓風景が流れている壁に向かって、客に背中を見せて立っているだけなのだ。

 数分で数千円。わたしの手取りはそこから六割。短時間で次々とお客が入れ替わる安価な電車プレイ。

 その後、男たちはその日に予約しておいた嬢の待っている個室に向かう。わたしはいわば前菜みたいな位置づけだ。

 店がイメクラを模して遊び的なオプションを配置してみたところ意外にも客うけがよく、知れ渡るにつれて人気になってしまったのだ。

 壁に向かって立っているわたしの身体を数千円と引き換えに男たちが弄り回して過ぎてゆく。がたん、がたん。個室に流れる車窓風景と電車の音。ネットを透かして見えるのは視線の少し上にあるパネル映像の色合いだけだ。

 たとえ手淫だけでも輪姦されているような気になるのだが、行為そのものは背後からお尻にがつんがつんと当たってくることがたまにあるだけで今のところすべて未遂で済んでいる。なお基盤というのは、本番⇒木番⇒基盤と隠語が変化していったもの。


>基盤やれるとか嘘つくな。行ったことのない奴は書き込むな

>こじ入れるのも無理?

>股のあいだに手は入るよ。壁と近いけど前にも手を廻せる。密着してスカートの中に手を入れて指責めしてると本当に痴漢をしてる気分になれるから超おすすめ

>口開けに行ったら下着はつけてたぞ

>両脇を紐で結ぶ水着みたいなやつな

>そういえば床に落ちてたわ

>背後から抱いてショーツやブラの隙間から触るのが電車プレイの醍醐味。外すんなら後の連中の愉しみのために修復しとけよ


 すれ違う電車の音。夕焼け空。ゆらゆら、ゆらゆら。つり革に両手でぶらさがって身体を揺すられていると海の中の海藻になった気分。

 タタタン、タタタン。線路を走る。あれは学校だ。校庭に立っている一人の男の子。

 ご乗車ありがとうございます。

 

>洗浄は嬢がやるんじゃねえの?

>回転が早いから、いちいち拘束解いてセッティングしてる時間がない。見た目不潔そうな客が前にいた時にはおしぼりだけじゃ気持ち悪いからもう少し洗ってからinしてる。冷たいだろうからサーバーからぬるま湯を入れたコップも持参

>気遣いウケるわ

>奥がいい手前がいい? 乳首がたってるよ。こうされたいから電車に乗ってるの?

>ぬるま湯洗浄の優しさからの言葉責め鬼畜w

>優しくしてるぞ? ほとんどの時間はかわいいなぁと想って撫ぜてるだけだし

>ずっと脚を舐めてる

>顔が見れんのはつまらんな。理想は前に鏡をおいて喘ぐ顔を見ながらだな

>今日予約入れてるんだがみんなの書き込みを参考にせいぜい楽しむわ

>穴兄弟ようこそ



 終了予告のベルが鳴る。ご丁寧にも駅で聴くものと同じ音だ。スカートのポケットに客がチップを入れてくれる。折りたたんだお札。たいていは千円札。たまに競馬にでも勝ったのか万札を入れてくれることもある。誰が幾ら入れてくれたかは分からない。

 なかには後から来て盗む人もいる。一度わたしの服を探ってぜんぶ外に取り出してから戻してくるから、何枚か抜き取られたことが分かるのだ。

「ありがとう」

 二の腕にキスしたサラリーマン風の客から「ポケットに一万円を入れたから」と囁かれたのに後でみると入っていない。一万円が嘘だったのかもしれないが。


 >大当たり、嬢のポケットに万札。お礼に揉みまくってやった。俺に全額盗まれたとも知らず無料ご奉仕哀れよのう。基本料金を引いても収入プラスになったわ、お前らのお蔭

 >通報

 >さもしすぎて流石にひく


 誰かが店に云ってくれたらしい。それからは個室の内側にポストが据えられて、投げ銭はそこに入れられるようになった。

 帰り際に数字のダイヤルを回して金属の函を開けると、ぱらぱらとお札が落ちてくる。千円に混じって五千円や一万円札。今日の総額はかなりの額だ。

「何か書かれたのかな」わたしは呟く。

 店の女の子たちが云っていたが、掲示板に酷い書き込みがあった直後ははたらく女の子への応援の気持ちでチップが高くなるものらしい。

 夜の女に群がる狐や狸たちが木の葉をお札に変えて壁のポストに入れていく。

 手紙が入っていることもある。すべてにあるのが携帯番号。お前は公衆便器だと云っているわりにはみんな外で逢いたがる。『ホテルで続きをやりましょう』『あなたと手を繋いで電車に乗って旅行に行きたいです』『食事でもどうですか』

 誰が書き残したのか分からない。その日の客のうちの誰かだ。全てまとめてゴミ箱へ。



「キモい、臭い、ねちこい、ド下手」

「せめて清潔。それもない」

 容赦ない言葉が飛び交っている待機室でお茶だけ呑んでそっと出ようとした。衝立の後ろで壁のほうを向いてお茶を呑むわたしの背中を女の子たちがチラ見する。

 仕事中に金属の網ネットをかぶっているのは客の乱暴な手から顔を護るためだ。もし網を外されることがあったとしても、それだけではわたしの顔は分からない。その下に、眼の部分だけがあいたスキー用のバラクラバをつけているからだ。一年中ずっと。

「フェザータッチのつもりなんだろうねえ」

「九割が下手。痛いからそっと触ってねと云ったら、今度はくすぐってくる」

 給料日前で少し暇だった。お茶をひいている女の子たちは待機しながら髪を整え化粧を直していた。

「さっき久しぶりに『ごらん客』にあたったわウザ」

「ぜひ供養に聴かせてよ、ウケるから」

 欲しいって云ってごらん。挿れてって云ってごらん。イクって云ってごらん。

 『ごらん客』は嬢たちにとっていい肴だ。腹を抱えてみんな笑い転げた。

「キモブサ男が何者になってるつもりなんだろう。キャラが違いすぎる。ごらんなんて普段使わない」

「あれを云ってもいいのはモテ男だけよ」

 客の使う顰蹙ワード集には『ごらん』だけでなく、『いいんだよ』もある。

 気持ちいいならもっと腰を振ってもいいんだよ。ぼくのことを好きになってもいいんだよ。

「絶対に好きにならないから! やってる最中に噴き出すから止めて」

「あーおかしい」

「男って昂奮すると頭に蟲でも沸くんだろうか。あ、ちょっと待って」

 笑い過ぎて眼に涙を浮かべている嬢から未開封のお菓子を渡された。なかなか手に入らない高級菓子だ。

「よかったら持って帰って。上客さんからなんだけどお寿司もとってもらったから今日はもうお腹いっぱいなの」

 無言で頭をさげて受け取った。わたしに注目が集まると途端に女の子たちがしんとする。それでもわたしは待機室に立ち寄ることが止められない。家に帰る前の慣らしのようなものかもしれない。プレイと独り暮らしの家とのあいだに待機室を挟んでから帰りたい。そうでないと闇の底に墜ちていきそうだ。

 通路に出ると整形費用という声が背後から聴こえた。


 

 面接した時、何度も云われた。

 あっちに行ったほうが稼げるよ。身体はきれいなんだから。顔を隠したままで、ためしに体入してみたら。

 誘われたが断った。独りで生きていく以上、身体へのリスクは減らしたい。

 事業主はわたしの事情を汲み取って、とても親切だった。

 分かってるだろうけど、とてもきついよ。受付で本当に危なそうな客ははねるし、注意事項を伝えるけれど、ローションの使用すら守らない人はいるからね。

 感染するし炎症を起こすし、縛られていると咄嗟に逃げることも拒むことも出来ないんだよ。硬い男の手で続けてされるとすぐに切れてひりつくからジェルを忘れずに塗っておくようにね。


 季節は冬が好き。待ち遠しくて仕方ない。スヌードで顔を隠し、帽子をうんと目深にかぶる。大きめの色付き眼鏡をかけると、それでわたしは隠れてしまう。

 わたしの趣味はスキーとスノボー。上手ではないけれど、バラクラバとゴーグルをつけてしまえばゲレンデにいる他の人とまったく同じ。真っ白な新雪に映る薄紫の人影は、わたしを人間の仲間にしてくれる。

 PCを使って家の中でも出来る仕事で細々と生活し、夜職で得るお金はすべて貯金。身体が若い今のうちに稼いでおきたいのだ。誰にも迷惑をかけずに死ぬために。



 >なんであんなに自己満の下手くそばかりなの?

 >店に来る男に何を期待してんだパパ活にもエントリ出来ないブスどもが。見下してるキモブサ客をしゃぶってる気分どう?

 >業務用笑顔を向けられるだけで舞い上がるイタい客多すぎ。良客ほどお金を惜しまずさらっと遊んで、そして常連にはなってくれない涙

 >その不細工な男の一人だが。俺はいつも感謝してるよ。客としては遊園地みたいなものなんだよ。やわらかい女の身体に触れて楽しめて、その時間だけ恋人を演じてくれたら十分満足です

 >上の人は良客。結論からいうと女の子たちの笑顔も台詞もすべて営業だから


 掲示板で名があがって叩かれている嬢は今日も予約完売だ。文句を書き込んでいる客も実際にいるのだが、嬢を好きになってしまった男が他の男に抱かせたくなくてわざと中傷を書くことがあるからなのだそうだ。

「茶をひかせておいて慰めに現われて、あわよくば結婚というのが見え透いているのよね。姑息」

「電車の子、発声に難があるといっても覆面ごしだからなのかなって程度だし、テクを覚えてマスクをつけたままでこっちに入ることは出来ないのかな」

「短時間で回す系か。休憩を挟んでるけどあれはキツいよ」


 >おもちゃ使った奴いる?

 >脚が開かないから無理では

 >ローション塗りたくる。小さいのなら入る

 >はーい力を抜いてー

 >嬢も大変だな

 >するっと入ったよ濡れてていい子だねー

 >駅で押し込んで次の駅まで

 >予約時間に入ったら泣きじゃくってたのはそのせいか……

 >全キャンセルのお知らせ。お前らみたいなAVを本気にする素人童貞に無理やりやられて出血したって

 >しばらくお休みになりますね。労わってあげましょう

 >オキニの子が欠勤でむしゃくしゃしてたし悲鳴を上げてたけど無視してガシガシ擦ったけど何か

 >通報

 >通報

 >通報

 >胸クソ。傷害案件になって警察に引っ張られてこいボケ。身動き出来ない相手になにしてくれてんの? 内臓なんだから少しは考えろやカス

 >店のサイト見ろ、今日から復活してる

 >半月ぶりか。しばらくは後ろから抱っこしてさすさすよしよし撫でるだけにしとけよ

 >最終がいいんだよ。「もうすぐ終点だね。降りる前にお掃除しないとね」俺の番になる頃にはもう脱力してぼーっとなってるんだが優しくお清め。

 >どうなるん?

 >直後の俺らと同じ

 >拷問やん

 >最後の客だし意識が飛んでも支障ない

 >ただ今帰宅しました。電車プレイ、口コミどおりでした



 神さま願いを叶えて。

 もう生まれたくない。

 二度と生まれてきたくない。

 受粉もしない何かに生まれ変わらせて。



 病院通いが続いたせいで買い物し損ね災害備蓄用のレトルト食品しか家になかった。食べ終わった後はフローリングの冷たい床に転がり、眼を閉じて音楽を聴く。土曜日の朝。音楽が好きなわけではない。外から自転車のチェーンの音や男の人の声が聴こえてくると気分が悪くなるからだ。

 昨日の夜、帰り際にダイヤルを回して投げ銭の函を開けると封筒が入っていた。茶封筒の中には万札が五枚。

 わたしは首をひねった。これでもう三度目だ。いくら何でも多すぎる。誰が入れてくれたのだろう。


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