【掌編】祟り

Imazuma Ramone

【掌編】祟り

 春の冷たい雨の中、後ろが気になり何度も振り返りながら家路を急ぐ。いまだに背中を走るゾクリとした悪寒が治まらない。

 稲荷神社から家まで僅か八百メートルの距離、その道のりが途方もなく長く感じる。

「あれは祟りだ」

 年配の氏子たちが言ってたように、神社を移転しようなんて考えちゃいけなかったんだ。宮司も、市長と一緒になって金儲けなんて考えなければよかったのに。

 上越新幹線の新駅設置が決まり、駅周辺の区画整理が市の計画として発表された矢先だった。

 道路を拡張するのに神社が邪魔になるから移転させようなんて、罰当たりなことを考えるからこんなことになったとしか思えない。宮司も市長も、過去に神社で起こったことを知ってたんだから……。

 氏子総会での恐怖の出来事。人知の及ばない力に倒され痙攣する奴の姿。頭に焼き付き、思い出したくなくとも何度も再生されてしまう。

 神社が区画整理に引っかかるため本社と分社を統合するか、市長と市役所担当者を交えての臨時総会。

 親父が仕事で出席できず、その日休みだった俺が代わりに出席することになった。

 小雨が降る夕方、傘を差して神社へ行くと、もう多くの氏子が集まっている。

 靴を脱いで部屋に入り、幼馴染の父親に挨拶して席に座ると、どこからともなく「キィ、キィ」という錆びた蝶番が聞こえるのだ。

 不審に思い、隣に座っている年寄りに聞いてみた。

「なんの音ですかねぇ」

「俺が来たときから聞こえてるんだ。古いドアが開閉するみたいな音だよな」

 そんな話をしながら総会が始まるのを待っていると、やがて宮司が市長と市役所の職員を伴い現れた。

 市長はこの地区の出身だ。氏子の中に幼馴染や知り合いが多く、近くの人に何か話しながら笑顔で椅子に腰かける。

 市長は挨拶もそこそこに市役所職員に区画整理の概要を説明させるが、年配の氏子を中心に反対者が多く、誰も関心を示さない。それどころか、市長や宮司が喋る度に悪態をつく人までいた。

「お前だって知ってるだろう。昔この神社で何があったかを」

「そうだ。子供の頃、みんな話を聞いてるはずだ」

 年配の氏子から飛び出てくる罵声。神社で何があったのか、再び隣に座っている老人に聞いてみた。

「昔なにかあったんですか?」

「若い者は知らんだろうが、明治の頃にも神社の統合計画があったんだよ」

 ――老人の話はこうだった。

 明治末期、桑畑を広げるために、県知事から本社と分社を統合するよう指示が出た。

 養蚕が盛んだった地方だし、隣の県には富岡製糸工場もある。市内に開設された「競進社模範蚕室」で飼育法や新蚕種開発を行い、採れた糸を富岡まで運んでいた。

 絹の増産のため桑畑を広げることになったが、開墾するには神社が邪魔になる。

 大した社格の神社ではないからと、国に成果を認めてもらいたい県知事は本社を移転して分社と統合するよう命令を出した。

 まだ日露戦争が終わったばかりの頃、県知事の権力は絶大な時代だ。

 この神社は平安時代、当地を治めていた児玉党が勧進した神社で、児玉党は源平合戦で源範頼に従い、一ノ谷の戦いで平朝昌を打ち取り、平重衡を生け捕りにする武功を立てた。

 南北朝時代には南朝方として新田義貞に従い、戦いに敗れ落ち延びてきた新田一族を多く匿い室町幕府と闘い続けるも、児玉党の勢力は衰退していく。

 氏子には児玉党と新田一族の末裔が多く、皆が神社を大切にしていた。

 当時の宮司と氏子が話し合い、畏れ多いからと、基礎から持ち上げて曳家で分社の横に移設することになったが、途中に川があったりと難航してしまう。

 工事が始まり三ヶ月、運搬を担う算段師が高熱を出し、九日後に死んだ。

 工事は事故が多発。算段師が死んだ後に大工が事故で二人死んだ。その後も新しい算段師が材木の下敷きになり死んでしまった。

 その直後から、今度は宮司の具合が悪くなり日々痩せ細っていく。

 心配した氏子総代が宮司を見舞った。

「どうしたんだい、風邪じゃあなさそうだけど」

 見舞いに来た総代に、宮司は布団の中で上半身を起こし青ざめた顔で喋りはじめた。

「大きな狐の夢を見るんだ……狼を二頭連れた白い狐の夢を……」

「狐の夢?」

「あぁ……その狐が夢の中で、我を戻せ、我を戻せって言うんだ……」

 氏子総代は宮司の話に仰天し、不安になって工事中の現場へ向かうと、そこは大騒ぎになっていた。

「大変だ! 三人が川に落ちたまま浮かんでこねえ!」

 これは神の祟りだ……。

 呆然とする総代は工事の中止を命じ、県に直訴した。神の祟りに違いないと。

 県は最初、総代の話を無視していたが、噂が広がり国に知れることとなる。そして、明治から大正に変わってすぐ、宮内省を通じ「これは神の祟りであるから元に戻すように」と勅命が下されたのだ。

 こうして本社は元に戻され、宮司も狐の夢を見なくなる。七人死んだ工事も怪我人すら出ず、神社は驚くほど速く復旧したのだった。

 そこで話は終わったが、いつの間にか全員が老人の話を聞いていた。しんと静まり返る中で、聞こえてくるのは「キィ、キィ」という錆びた蝶番の音だけである。

「やっぱり俺たちは反対だ。神社を動かすなんて冗談じゃねえ」

「むかし七人も死んでるんだ。賛成する奴なんていねえよ」

「七人じゃねえ、九人だ。あの後、総代と娘が気がふれて自殺しちまったんだから」

 反対する氏子たちを宥めるように、市長が立ち上がって大声をあげる。

「まあまあ、みんな市の発展も考えてくれよ。宮司も賛成してるんだからさ」

 市長が宮司に話しかけたとき、宮司は青ざめた顔で虚ろな目をして震えながら喋りはじめた。

「ここ最近、俺も狐の夢を見るんだ……」

 宮司の言葉に大きなざわめきが起こったときだった。

 突然「ギイィィ……」という錆びた鉄の扉が開くような大きな音が聞こえ、その場が凍りついたのである。

「なんだ……? 今の音……」

 顔を見合わせながら、全員が会場内や外周りなどを確認するが、どこにも大きな音がするようなものはない。

 すると、騒然とする会場に、外から女の悲鳴が聞こえてきたのだ。何事かと外に出ると、神社の横にある宮司の家から誰か走ってくる。

「お父さん!」

 宮司の奥さんの声だった。泣き叫ぶような声をあげ、神社に向かって走ってきた。

「和義が! 和義が!」

 宮司の一人息子、和義に異変が起こったらしい。家に向かう宮司夫妻を追いかけ、全員、慌てて走る。

 家に入ると、和義はリビングで倒れていた。体を痙攣させて白目を剥き、口から泡を吹きだして……。

「だから言ったじゃねえかぁ!」

 叫んだのは俺の隣に座っていた老人だった。

 誰かが呼んだ救急車に、和義が担架に乗せられて運ばれていく。呆然として座り込む宮司と、泣き叫びながら救急車に乗る和義の母。

 騒然とする宮司の家で、氏子たちが市長に向かって口々に声をあげた。

「冗談じゃねえ! 神社を動かしたら祟られちまう!」

「とにかく俺たちは反対だ! お前だって祟られたくねえだろ!」

 これは祟りなんだ。幽霊なんかじゃなく、もっと怖ろしい神様の祟り……。

 宮司と市長が神社を移転するなんて言い出すから、和義が祟られたのだ。むかし神社を統合しようとしたときのように。

 神社の移転に氏子は全員反対。それを市長に伝え、総会は解散となった。神の怒りを知った俺たちは、恐怖で身を竦ませながら帰路に就くこととなったのだ。

 市は神社の移転を断念し、道路拡張計画は頓挫。和義は生死の境をさまよい、一命を取り留めたものの半身不随となってしまった。

 今でも稲荷神社は、周りに何もない場所に寂しく建っている。頑なに、その場から動くことを拒むように……。


《了》


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