第35話 おかしな姉弟

「おなか減ったでしょう?遅くなってしまったけど、夕食を取りましょう!」


 30分程二人で話していたら、美耶が楓子たちのいる寝室に戻ってきた。雅琉も美耶の後ろに控えるようにして立っている。この二人はどこに行くにしても一緒に行動しなければならないのか。仲良し姉弟というよりも、主人と執事のように見えた。


 そんなことを考えていた楓子だが、美耶に指摘されて初めて、自分たちが夕食を取っていないことに気づく。気づいてしまえば、空腹が脳を支配する。それでも、楓子は美耶に聞いておきたいことがあった。


「紅葉には仕事に行ってもいいと言っていたけど、本当に私たちは仕事に戻ってもいいの?」


 美耶の機嫌を損ねたくはないがそこが気になった。


「仕事って……。楓子も紅葉君も仕事に固執しすぎだよ。仕事より、もっと考えるべきことがあるでしょう?」


「仕事は大事だと思いますよ。とはいえ、この状況で仕事の心配するのはさすがですけど」


 後ろに控えていた雅琉が苦笑している。社会人が仕事の心配をして何がおかしい。紅葉と楓子は顔を見合わせて首をかしげる。


「仕事については、明日は休みと連絡を入れておいたから問題ないわ。そうそう、2人が仕事に行っている間に準備していたものがあるの。夕食のことで頭がいっぱいで忘れていたわ!」


 美耶は渡したいものがあると、一度部屋を出ていった。


「役所に提出するには楓子さんたちのサインが必要でしたので、まだ出していません。まあ、ねえさんなら、楓子さんたちのサインを偽造できますが」


 雅琉の説明では美耶が何を用意していたのか、いまいち要領がつかめない。しかし、なんとなく楓子たちにとってあまりよくないものだと感じた。楓子はわからなかったが、紅葉には雅琉の説明で理解できたようだ。顔が青くなり、ガタガタと震えだした。


「それは、まだのはずじゃ」


「そんな悠長なことを言っていたら、あなたたちが誰かのモノになってしまうでしょ。それは嫌なの」


「美耶?」


 楓子たちのいる寝室から近い場所に準備したものがあったのだろう。すぐに戻ってきた美耶は面白そうに眼を細めて笑っていた。



「こ、これは」

「見たことない?」


 美耶が見せてくれたのは二通の婚姻届けだった。それぞれ美耶と雅琉の名前が記載されていて、その隣は空欄となっていた。


「この家に住むのにもいろいろ手続きが居るでしょう?役所に提出しないのに一緒に住み始めるのはどうかと思って。物語じゃないんだから、勝手に他人と一緒に生活するわけには行かないでしょ。一緒に住むのに、これ以上最適な理由はないし」


「じゃあ、その空白には」


 二通の婚姻届けの空欄。そこに入る名前を考えたくはない。とはいえ、考えざるを得ない状況だった。


「楓子たちの名前を書いてちょうだい。これなら、世間体も気にすることなく一緒に住めるでしょ。我ながら良いアイデアだと思うの」


 現在の法律では同性同士の婚姻は認められていない。だとすると、二通の婚姻届けの空欄には。


「本来なら、僕が楓子さんに触れることは許されませんが、ねえさんがそうしろというのなら、そうするまでです」


「雅琉が血のつながった兄とか弟とかだったら、楓子と雅琉の子供は私と血のつながりがある子供になるんだけどね。残念ながら、私は一人っ子で雅琉とは姉弟になったけど、血のつながりはない」


 何か恐ろしいことを親友は言っている。しかし、脳が理解することを拒んでいた。


(実際に私は、美耶の事をどう思っているのだろう)


 親友だというのに、ひどい扱いを受けていることはわかる。結局、美耶は弟を選んだ。性別が邪魔をしているとはいえ、これはあんまりの仕打ちではないか。


「なんだか、拗ねた顔をしているわね。仕方ないでしょ。どう頑張っても、私と楓子は女性で、私たち女性だけでは子供は作れないんだから」


「それはそうだけど!」


 そんなことは当の昔にわかっている。どんなに頑張ったところでその事実を覆すことはできない。だからと言って、この結果に満足できるはずがない。


「俺は納得できない!」


 声をあげたのは紅葉だった。紅葉は美耶に近寄って胸倉をつかんだ。紅葉と楓子の身長は同じくらいで、美耶を見下ろす形になる。


「先輩は姉ちゃんのことが好きなんだろう?なのに、なんで雅琉さんに渡してるんだよ!」


「さっきも言ったでしょう?私と楓子だけじゃあ、子供を作ることはできない」


「子供……」


 美耶が子供好きだとは思えなかった。子供に固執する理由はいったい何なのか。


「だって、子供がいれば楓子は私に責任を感じて、私から離れることはないでしょう?それに、純粋に私は楓子と私の愛の結晶が欲しいの。私たちが愛しあったという証拠が」


 美耶の言っていることは矛盾している。「女性同士では子供を作ることができない」と言った口で、愛しあった証拠が欲しいと言っている。


「俺は姉ちゃんの代わりじゃない!」


「当たり前でしょう?同じだったら、この家に呼んでいないわ。紅葉君が男だから、楓子の弟だから、一緒に住もうと言っているの」


 美耶の四人で生活するという決意は何を言っても覆すことが出来ない。そして、楓子と紅葉はすでに美耶を説得できないと悟った。雅琉もまた、美耶の言うことには反対することはないだろう。


(紅葉は美耶との結婚を認めていた。それなのに私と雅琉のことは認められない、と)


 美耶に詰め寄って叫んでいる紅葉の姿に、楓子は心の中で溜息を吐く。おかしいのは美耶や雅琉だけではないのかもしれない。弟もまた、姉に執着するシスコンだった。


「とりあえず、この話は後にしましょう。紅葉君は空腹でイライラしているのね。実は出前を取ってあるから、食べてからゆっくりと話し合いましょう」


 婚姻届けについてはいったん、保留となった。美耶の提案により、楓子たち四人は寝室を出て、リビングで夕食に取ったという寿司を食べるのだった。


 壁に掛けられた時計はすでに夜の9時を回っていた。


(私たちの荷物も寝室にあったのだろうか)


 夕食後、美耶に風呂に入るよう勧められた楓子は脱衣所で服を脱いでいた。脱いだスラックスから飛び出たスマホが床に落ちる。慌ててスマホを拾ったものの、通知を確認することなく近くのラックにおいて風呂に入る。いつの間にか、楓子は美耶から逃げるという選択肢が頭からなくなっていた。

  

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