第3話 卒業式当日

 結局、弟は彼女が出来たと言っていたが、それ以上の情報を楓子に教えてくれなかった。彼女の素性、彼女といつどこで会ったのか、いつから付き合い始めたのか。告白はどちらからしたのか。いろいろ聞きたいことはあったが、なかなか聞くタイミングがなかった。


「ねえ、彼女のことだけど」

「ああ、近いうちに姉ちゃんにも紹介するよ」


 卒業旅行の帰りに玄関前で話していた時はとてもうれしそうだったのに、なぜかその後、楓子が彼女のことについて尋ねると、弟は少し暗い表情になっていた。


 引っ越しの準備に追われているうちに卒業式の日がやってきた。当日は朝の7時30分には大学近くの美容院についていなければならず、楓子は家を6時には出る必要があった。


「眠い……」


 目覚ましの音で目が覚めた楓子はカーテンを開けようとベッドから下りる。しかし、まだ外は薄暗くカーテンを開けるほどでもなかった。


 楓子は目覚ましを5時にセットしていたため、一階のリビングはまだ明かりがついておらず、誰もいなかった。明かりをつけて朝食の準備をしていたが、一人のリビングは静かだった。


(来年から、こんな静けさの中で生活していくのか)


 独り暮らしをするのなら、生活音は自分一人の音しかない。今までのワイワイしたにぎやかな生活から離れるのが少し寂しくなった。


「おはよう」


 無事に集合時間についた楓子は美容院で声を掛けられる。すでに準備を始めていた親友は髪が袴に合うようにセットされていた。親友は大学生になっても染めることなく黒髪のままだったが、最後に派手に染めたらしい。卒業旅行の時には黒髪のセミロングだったはずが、今の彼女の髪の色は真っ赤だった。赤色に牡丹柄の二尺袖に紺色の袴を着る予定の彼女だったが、その髪の色だと袴の色も相まってかなり派手に見えるだろう。


 楓子も親友と色の系統を同じにした白地に赤の矢絣模様の入った二尺袖に緑の袴をきる予定だった。


「髪色、思い切って変えてみたんだけど、似合うかな?」

「ま、まあ。すごい色にしたね。仕事は大丈夫なの?」


「大丈夫だよ。私が勤める会社は服装とか自由が利く仕事だから」


 そういえば、親友の就職先を詳しく聞いていないことに楓子は今更気づく。しかし、卒業式のこのタイミングで聞くのはなんだか気が引けた。話しているうちに美容師さんがやってきて、楓子も髪をセットすることになった。


「楓子、かわいいね」

「美耶(みや)も似合ってるよ」


 互いの髪や化粧、着付けのセットが終わり、姿の前に立つ。そこにはいつもと違って着飾った様子の二人の様子が映し出されている。ほかにもたくさんの袴を着た学生がいたが、楓子も親友も互いの姿しか目に映っていなかった。


「楽しみだね、卒業式」

「うん」


 二人は大学まで歩いて向かうことにした。卒業式は大学の講堂で行われることになっていた。外は雲一つない快晴で、卒業式日和の良い天気だった。



「卒業、おめでとうございます」


 卒業式は予定通りに進み、何事もなく終わりを迎えた。式が終わると、卒業生たちは大学の中庭に集まり、記念撮影を始めた。楓子と美耶もほかの卒業生と同じように中庭に向かった。


「楓子、卒業おめでとう」

「ありがとう、お母さん」


「姉ちゃん、無事に卒業できてよかった……。えええ!どうして姉ちゃんと美耶先輩が一緒にいるの?」


 中庭で楓子は母親と弟の紅葉(もみじ)と合流した。弟が来るのは意外だったが、新しくできた彼女が楓子と同い年で同じ大学の先輩らしいと事前に聞いていた。彼女の卒業式を見届けるため、こうして大学に駆け付けたようだ。


「こんにちは。紅葉君」


「いったい、どういうこと?」


 どうして、弟は美耶のことを知っているのだろうか。確かに家で美耶のことを話題に上げたことはあるが、基本的に親友の名前を出して話すことはなかった。それなのに、今、弟と親友は明らかに知り合いという感じの声の掛け合いをした。思わず疑問が口に出た楓子に答えたのは親友の方だった。


「ええと、楓子の弟の紅葉君と実はお付き合いしているの。私から話せばよかったんだけど、恥ずかしくて、楓子に言えなかったの。紅葉君を責めないであげて」


「そうだよ。まさか、姉ちゃんの友達が俺の彼女だと、ふつうは思わないだろ」


「まあまあ、おめでたいことは続くのねえ。とりあえず、写真だけ撮るから、そこに立ちなさい」


 まさか、自分の弟と親友が付き合うとは思わなかった。しかも、弟は美耶が楓子の友達だとは知らないと言っている。しかし、美耶の方は確信犯だ。楓子は美耶に家族旅行の写真を見せたことがあり、そこに紅葉が写っているのを見ているはずだ。


(どうして、そんな大事なことを話してくれなかったの?どうして、弟と付き合えるの?どうして、私に告白したくせになんで弟と付き合えるの?どうして、自分は同性愛者と言っていたのに。どうしてどうしてどうして……)


 頭にたくさんの疑問が浮かぶが、楓子がそれを口にすることはなかった。こんな晴れの日に親友を質問攻めにするのは良くない気がしたからだ。それに今は親友と弟以外に母親や卒業生、卒業生の家族や知り合いが大勢いる。そんな人目がある中で話すような内容ではない。


 突然、弟と親友が付き合っている事実を知った楓子は、卒業式だというのに暗い気分になり、写真を写る時だけはなんとか笑顔を作り、その場をやり過ごした。


 天気は朝から変わることなく雲一つない快晴で、太陽がまぶしく大学の中庭を照らし、ぽかぽかとした温かい陽気だった。



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