第57話シルル:アルフレッドがいなくなって……

 ——◆◇◆◇——

 ・シルル


「久しぶり、というわけでもないか?」


 あの方がいなくなってからもう二週間が経過したある日、オルドスお兄様からのお誘いでお茶をすることとなりました。

 お兄様は以前より……あの方がいた頃よりも疲労の色が濃く見えるようになっている気がしますが、それはきっと気のせいではないのでしょう。


「そうですね。お兄様は最近お忙しくされていましたからこのように落ち着いて会話する時間はありませんでしたが、顔自体は毎日合わせていますもの」

「そうだな。こうしてゆっくりできるのは久しぶりだ」

「その久しぶりの時間を、私なんかと使ってもよろしいのですか?」

「他に使う相手がいないからな。残念なことに、気を許せる相手とは少ないのだ。外にも、内にもな」


 今までお兄様は、ゆっくりできる時はあの方を呼んで少し話をしたり、どこかへと出掛けていたりしていましたが、今ではそれらの行為はありません。

 お兄様は王族です。友人知人は数多くいらっしゃるでしょう。しかしながら、本当に気を許せる相手という存在は、王族にとっては珍しく、貴重な存在なのです。

 ですがそんな人がいなくなってしまった。

 そのため、その影響が出てきているということでしょう。


「それで本題だ。多分だが、お前のところにも手紙は届いているだろう?」

「手紙とは、あの方からのですか? 手紙だけではなく髪飾りも共に贈られてきましたが」


 あの方は、自身が大変な状況であるというのに、こちらに義理を通すために手紙と贈り物を残されていきました。お兄様はそれのことを言っているのでしょう。


 その手紙を受け取った時は無力感と申し訳なさが込み上げ、同時に憤りも感じました。

 なぜこんなことになったのか。なぜ出ていかなければならないのか。なぜ姉は助けないのか。なぜ私は何もできないのか。


 そう言った諸々の〝なぜ〟が頭の中を埋め尽くし、今でも燻り続けています。


「別にこの部屋では名前を伏せずとも構わないが、そうだ。俺の場合は指輪だったがな」


 お兄様は懐から手紙を取り出し、ひらひらと見せましたが、その右手には以前までは見たことがない指輪が付けられていましたおそらくはそれがあの方から贈られたものなのでしょう。


 私の髪飾りも、お兄様の指輪も、どちらもが魔法の道具です。おそらくはお姉様にも贈られていることでしょうけれど、それも同じく魔法の道具だと思います。

 効果は、ドラゴンの攻撃にすら耐える守りの魔法を自動で発動するお守りですが、これほどの品を用意するなど、自身が大変だというときに何をしているのだと問い詰めたくなりました。


「あの馬鹿め。こんな手紙だけで別れを告げるとは、王族に対する礼儀がなっていないのではないか? よもやあの贈り物で機嫌をとったつもりか?」

「仕方ないでしょう。そもそも、私達王族は、礼を向けられるほどのことをして差し上げられなかったのですから」

「……はあ。それを言われると、なんとも言い返せないな」


 あの方は、本来であればミリオラお姉様の婚約者でした。

 ですが、自分はみんなから愛されているのだ、などという『お姫様気分』があるせいで、お姉様はその婚約者に不義理を働いていました。ありていに言えば、不倫や不義といったものです。

 不義と言っても、実際に相手の男と交わったわけではないでしょう。

 ですが、婚約者の決まっている王族の娘が、婚約者を蔑ろにして他の男と共に行動しているのですから、実際にいたしたのかどうかなど些細なことです。


 あの方のことを見ず、常に批判してばかりの愚かなお姉様。そんなお姉様の状況を知りつつも、誰も何も改善しようとはしなかった。婚約者であるあの方が構わないと言っていたから、などというのは、言い訳にはなりません。

 思い込みで婚約者を蔑ろにして不義を働いた王女と、それを放置した王族に、果たして礼を尽くしたいと思うものでしょうか?


「それにしても……はあ。お姉様がまさかあれほど愚かでしたとは……」

「それは俺もそう思ってるよ。いや、ミリオラ以外の全王族が思っているだろうな」


 お兄様は私の言葉に同意するように言いましたが、その言葉に私は首を傾げざるを得ません。


「お父様もですか? すでにアルフレッド様のことは切り捨てたご様子でしたが」

「父上は国王だ。これが国に関することならばともかく、公爵家内部の決定には手を出すことなどできないさ。特に、家督云々といった話に手を出せば、どうしたって面倒なことになる。であれば、いなくなった者をどうにか取り戻すことを考えるよりも、次の代役をどう使うかを考えるべきだ」


 確かに、国王であるお父様ならば、個人の感情やたかが一人の人物のことを気にして動く、ということはできないものでしょう。

 であれば仕方ないと思わなくもありませんがそれでももっと違う方法がなかったのかと、思わずにはいられません。


「それで、シルルはこれからどうするつもりだ?」

「どう、とは? あの方はお姉様の婚約者であったのですから、どうなろうと私の今後には関係ないのではないでしょう?

「ミリオラの婚約者だったときならば、確かにそうだろうな。だが、すでに婚約者ではないのだ。好きにしてもいいとは思わないか?」


 この様子ではお兄様は……いえ、とっくに分かっていたのでしょうけれど、私はアルフレッド様に好意を寄せていました。それも、恩愛も友愛でもなく、情愛として。

 姉の婚約者であったアルフレッド様にその想いを伝えることはないのだと、今までは胸の奥にしまっていました。

 ですが、お兄様の言った通り、すでにアルフレッド様はお姉様の婚約者ではありません。であれば、そこに障害となるものは何もない……?


「それは……ですが、私は王女です。いかにあの方が色々な方から評価を受けているとしても、立場というものがあります」

「立場か……。平民と王族では問題がある、という話だろう? それなら、気にする必要はないと思うけどな」

「どう、いう意味でしょうか?」

「わからないか? この国には、いや、この大陸には、か。とにかく、立場や身分なんてものを無視して、欲しいものを手に入れることができる制度があるじゃないか」


 初めはお兄様が何を言っているのか理解できませんでした。ですが、その言葉の意味はすぐに理解することができ、私は驚きに目を見開きました。


「……? ……っ! まさか、お兄様は私に『天武百景』に出ろと、そう申すのですか?」

「お前の魔法の才能はかなりのものだ。なかなかいい線行くだろうけど……」

「不可能です。確かに魔法の才に関してはそれなりのものだと自負していますがそれだけで勝ち残れるほど甘い大会ではないでしょう」

「ああ、そうだな。だから、お前に出ろと言っているわけじゃない」

「? では、どういう……」

「一人、いるじゃないか。天武百景だろうと優勝することができそうで、かつ、その願いをお前との婚姻に使ってくれそうな人物が」


 私に手を貸してくれそうで、かつ天武百景にて優勝を狙えそうな人物となると……六武でしょうか? 彼らは少々特殊な立場ではありますが、王国に仕えているので王女である私が頼めば可能性はある……いえ、ないわけではない、と言ったところでしょうか。

 しかし、その考えはおそらく不可能です。


「……六武の誰かを、ということでしたら、不可能でしょう。彼らとて、かつては優勝、準優勝した実力者、あるいはその後継ですが、今回もその結果になるとは限りません。もしここで一回戦敗退などとなれば、その名に傷がつきます。そうなれば今享受している権利を失うこととなるかもしれないのですから、たかが私如きの願いを聞くものはいないでしょう」

「まあ、彼らはそうだろうな。だが違う。いるだろ、もっと適任が」

「……?」

「わからないか? そんなの、本人に頼めばいいと言っているんだ」

「本人とは……まさか、アルフレッド様にですか!?」


 その言葉に、私は驚くしかありませんでした。


「そうさ。あいつだって、あんな理不尽に追い出されて納得できているはずがない。『安心しろ』『自分は大丈夫だ』。なんて手紙をよこしてきたが、それが本心だと思うか?」


 それは……違うでしょう。まず間違いなく思い悩んだはずですし、出ていってしまった今だってそのことが解決したとも思えません。それは、アルフレッド様の努力を知っているものであれば誰だってそう思うでしょう。あれだけの努力の果てがこんな結果だなんて、そうそう受け入れることなどできるはずがないのですから。

 けれど、それを外に出そうとはせずに一人で抱え込み、心配させまいと手紙を出した。

 だから、実際にはまだ悩んでいるはずですし、落ち込んでいるはずです。


 しかし、だからといって私達がアルフレッド様にお願い事をするだなんて、あまりにも図々しすぎます。


「つまり、私がアルフレッド様に天武百景での優勝を頼み、その願いを使って私と婚姻を結んでもらう、と? ……それは、あまりにも身勝手なことではないでしょうか? 実際に問題があったのは私でもお兄様でも、国王陛下でもありません。ですが、それでも原因は王族側にあるのです。事故の後も、婚約者である王族が本気で庇えば、どうとでもできたはずです。それなのに、追い出した後になってそのような無茶を頼むとは……」

「だが、それが最も確実で、問題のない方法だ」


 私の言葉に被せるように話すお兄様ですが、私もその方法が最も適しているとは思います。過去には王女を娶った平民もいるのです。元貴族であるアルフレッド様であれば、問題なく進むでしょう。ですがそれでも、まるであの方の想いを利用するようで気が進みません。


「そもそも、現在あの方がどこにいるのか把握できていないのでしょう? 探すために人を使うのも、今の状況では難しいと思いますが?」


 アルフレッド様は、公爵に家を追われてからすぐにこの街から姿を消しました。私達に手紙で知らせるのも、自身が街から離れてから数日経った後だったため、追いかけることはできませんでした。

 そのため、現在あの方がどこにいるのか、私達にはようとして行方を知ることができていません。


「いや、どうせあいつのことだ。この国を見て回ると言っていたが、どこかしらで何かの騒ぎを起こすだろう。それを元に、どこにいるのか調べればいい」


 ですが、お兄様はあの方が何か起こすだろうと思っているようです。

 私よりもお兄様の方がアルフレッド様との付き合いが長いのですから、こういった場面での判断に違いが出てくるくることは理解しています。ですが、そうと理解していながらも、なんだか悔しい気分になるのです。


「あいつが優勝さえすれば、トライデンの当主にすげ替えることも、別の公爵家を興すこともできる。平民とはいえ、元は貴族なのだから血筋に関しては文句を言ってくるものはいないだろう。文句をいうものがいるとすれば、現トライデン公だが、天武百景の願いとあればどのみち邪魔をすることもできない」


 それはそうでしょう。流石に公爵といえど、天武百景の優勝者をどうにかするほどの力はありません。武力の面でも、権力の面でもです。もし何かしようものなら、国王陛下から処罰を受けることになるでしょう。

 何せ、天武百景の優勝者の動向は各国が気にしているのです。そんな中で不当に扱われれば、国の評判に関わります。最悪の場合、優勝者に逃げ出され、他国へと渡られることもあり得るのです。そうなれば、恥どころの騒ぎではありません。

 ですので、優勝さえしてしまえばその後何があろうと、公爵にも手を出すことはできなくなるのです。

 貴族となった後に公爵家と政治的に対立することになったとしても、国王陛下は優勝者の方を味方するでしょう。


「なんだったら、本当にお前が大会に出て優勝してもかまわない。王族が優勝の願いを使うのだ。それこそ、邪魔をできるものなど誰もいないさ」


 お兄様は肩を竦め、冗談めかしながらそう言うと、残っていたお茶を一気に飲み干して立ち上がりました。


「まあ冗談はさておき、アルフレッドについては考えておけ。お前の好意があいつに向けられていることくらいは知っている。以前とは状況が違うのだ。自分が退かなければ、などと考える必要などないぞ。欲しいのであれば、自分から動け。でなければ、今回のように逃げられることになるぞ」

「……」

「あのバカを見つけ次第、また時間を作る」


 そう言い残し、お兄様は去っていきました。


「……後一年」


 実際には一年と数ヶ月と行ったところですが、私が行動し始めるとすれば、まともに使うことができる時間は一年程度でしょう。いえ、一年すら使えれば運がいい方でしょうか。

 その短い時間の間に、なんとかしなければなりません。


「なら、今度は……」


 動かなければ、逃げられる……。であれば、今度こそ逃がさないように、私は……

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