第40話海辺の街に到着
——◆◇◆◇——
「わっはー! うっみー!」
村を出てから二日。俺達は海沿いの街へと辿りついたのだが、視線の先に海が見えるなりスティアは両手を上げながら叫びを上げた。
「これが海か……」
「なあに? あんた初めて見たの?」
「……いや。以前に、だいぶ昔のことになるが、見たことはある。もっとも、場所はここではないがな」
そう。だいぶ昔の話だ。この街ではないどころか、この世界ではない海。あれも三十代の頃に見たのが最後だったか。あとはずっと海のない県から出ることなく死んでいったからな。
だから、こうして海を見るのがすごく懐かしい。
アルフレッドとしては初めての海なので、初めて海を見たという感覚もある。
真面目てでありながら懐かしいと思えるこの感覚は、他の誰にもわかってもらえるものでもないだろう。
「ほえー。そーなんだー」
そんな感傷に浸っての言葉ではあったが、スティアはどうでもいいと言わんばかりの態度で返事をした。実際どうでもいいのだろうけど、自分から聞いておいてそれはどうなんだ?
「と・こ・ろ・でー。どこ泊まる? 私としてはなんかご飯が美味しいところで、かつベッドのいい感じの場所がいいんだけど、どっかない?」
「この街には来たことがないのだから知るわけがなかろう。時間も……まだ夕食時には少し早いが、速すぎると言うこともないだろう。その辺りで腹ごしらえついでに聞けばいいのではないか?」
「よーし。じゃあそうしましょっか! たのもー!」
「阿呆。お前は道場破りでもするつもりか?」
どこかの店で食べることに決まった途端、スティアは周囲にあった店へと視線を走らせ、気に入ったところがあったのだろう。一直線にその店に向かって歩き出し、威勢よく扉を開けた。
そんな様子に呆れつつも俺も後を追って店の中へと入っていったのだが、店の中はまだ夕食時には少し早い時間であるにも関わらず、それなりに人がいた。
こんな時間でも人がいると言うことは、大外れということはないだろう。もし外れなのであれば、これほど人が集まることはないだろうからな。
「……?」
今、一瞬客の一人がこちらを睨みつけたような気がしたが……なんだ?
「どったのー?」
「いや……なんでもない」
感じた視線を訝しんでいるとスティアに声をかけられ、気を逸らした後にはもう視線を感じなかった。
今のがなんなのかわからないが、気にしていても仕方がないなと考え、適当な席につくことにした。
「メニューは……やはり魚を使ったものが多いな」
「まあ海の前だもんねー。……う〜」
「どうした? 腹でも下したか?」
「ちっがーう! なんで最初に出てくるのがそれなわけ!? あんたの中の私のイメージどうなってるの!」
こいつに対するイメージ? それは……まあ、そういう感じのものだ。
「……まあ、落ち着け。何をそんなに悩んでいたのか言ってみろ」
「あ、うん。うんとね。私って、ほら。お姫様でしょ?」
「そうだな」
一応事実ではあるので、頷きを返す。姫という感じは全くしないがな。
「そうそう。それで、お城にいたときはお城に請求させれば好きに食べられたんだけど……」
話の途中で言葉を濁した様子を見て、その理由を察することができた。
「ああ。つまり金がないのだな。普段から金を持っているわけもなく、攫われたのだから尚更か」
「そうなのよ……。で、あの、ね? そこでちょこーっとお願いがあるんだけどぉ……聞いてくれる?」
スティアは両手を胸の前で組んで少し上半身を乗り出し、上目でこちらの顔を覗き込んでくるようにしながら通常よりも甘えるような声音で話しかけてきた。
その話している最中、何を考えての行動なのか、目をパチパチと何度も瞬かせている。
だが、そんなことをせずともこいつの言いたいことはわかっている。
「そんな間抜け面を晒さずとも、食事を奢るくらいはするさ」
そもそも、初めからそのつもりだ。ここまで来て……まあ勝手についてこられたわけだが、この状態で奢らないという選択肢はない。それくらいの金は持っているしな。
「間抜け面!? ひどくない? かわいいでしょ!」
「見目がいいことは認めるがな。そんなパチパチと何度も瞬きをしていればアホらしいと思うものだろ。やるならもっと自然にやれ」
自身の見た目を利用して相手に媚びるのなら、もっと自然にやらなければ意味がないだろう。
「そしたらお願い事聞いてくれる?」
「そんなことをしなくても奢ってやると言っているのだから、さっさと注文を決めろ」
「わーい! じゃあこれとこれとこれとこ——」
「待て。奢るとは言ったが、加減を知らないのか?」
奢ってやるとは決めたが、その注文の量に思わず止めてしまった。こいつ、人に奢ってもらう状況で遠慮するという考えはないのか? ……ないのだろうな。むしろ、奢ってくれるのだから相手の心意気を無駄にしないためにも全力で食べなければ失礼、とさえ考えているかもしれない。
「そもそも、それだけの量を食べることができるのか?」
「平気平気! 全部食べられなかったら土下座からの三点倒立を華麗に見せてあげるわ!」
「そんなものを見せられても困るのだが……まあいい。食べ切れると言うのなら、頼め」
どうせ、今は奢るが、後で使節団に請求するからこちらの懐は痛まない。
「お待たせしました。こちら新鮮盛り十人前とペラのせんべいとカルルの漬物になります。残りはもうしばらくお待ちください」
注文をしてからしばらく経って品物が運ばれてきたが、ここは海が目の前にある街だからだろう。魚の盛り合わせ十人前とは、それなりの量になっている。普通ならばこれだけで夕食に事足りるだろう量だ。
魚を焼いたせんべいも一枚ではなく何枚かが重なっており、漬物も小鉢ではなくそれなりの量が出てきた。
この後更に追加が来るというのだから、本当に食べ切れるのか心配になる。
「流石に、十人前は多いのではないか?」
「え、そう? これくらいウチでは普通だったけど?」
「獣人はよく食べると聞いたが、それほどか」
「お姉ちゃんだってこれくらい余裕で食べるから、多分私なんて普通よ、普通」
そう言いながらスティアは臆すことなく料理を口に運んで行ったが、もしこれだけの量を全員が食べるのであれば、獣人の国というのは随分と食費がかかるだろうな。
「ふい〜。お腹いっぱい」
出された料理を見事食べ切ったスティアだったが、やはり食べ過ぎではないだろうか。腹の見える服装であるため、腹が膨れているのが丸わかりだ。
「お前は自身の身分を考えた方がいいと思うが? 今は、まあお忍びと言える状態だが、それでも相応しい振る舞いはすべきだろ」
「それ言ったらあんたもじゃない? 貴族なんでしょ?」
「……今は違う。それに、俺は相応の振る舞いをしているつもりだ」
「うーん。まあ、おいおいねー」
そうは言っているが、どうせ振る舞いを変えるつもりなんてないのだろうことは、この短い付き合いでも理解できた。
もっとも、それで俺がなんらかの被害を受けるわけでもないのだから、無理に矯正するつもりはないが。
「さて、そろそろ出ましょうか!」
「その前にやるべきことがあるだろ」
夕食をとって腹一杯元気一杯といった様子のスティアだが、このまま店を出て行くことはできない。
「? なんかあったっけ?」
「なんのためにここに入ったと思っているのだ」
「ご飯食べるため?」
この阿呆、本気で言っているな?
「間違いではないが……宿を聞くためだ」
「ああ! そういえばそうだったわね! じゃあこの私にまっかせなさい!」
スティアはそう言うと近くにいた店員を呼びつけた。だが、その振る舞いがな……両手を上げて大声でと言うのは……いや、何も言うまい。
「あ、ねえねえ。ちょっと!」
「はい、どうかされましたか?」
「この辺に貴族が泊まる用の宿ってあるかしら?」
「貴族ですか……えっと、貴族用かはわからないですけど、高そうな宿ならここから海側に進んだ広場の近くにいくつかあったと思います。……あ。あとは海に面してるところは高かったはずです」
「そ。じゃあそこに行ってみましょうか。ありがとね。ご飯美味しかったわ!」
「ありがとうございます」
店員から話を聞き終えたスティアはこちらに向き直り、自慢するかのような表情を向けてきた。
「と、言うわけよ。なんか海の方に行っておけばいい感じだって」
「まあこの地の売りは海だからな。高級宿にしようと思ったら、必然的に海の近くになるか」
この街の利点といえば、やはり海だ。海の見えない街中の宿では他の街でも泊まることができるが、海の見える宿となればここでしか泊まれない。となれば客は必然的に海の見える宿に泊まりたがるだろうし、客が来るとわかっているのならそこにはいいものを用意するに決まっている。
「それでは行くぞ。——金はここに置いていく。釣りはいらぬ」
そう言って銀貨を数枚テーブルの上に置き、立ち上がって店の外へと向かって歩き出した。
「釣りはいらない、ってかっこいいわね! 私も今度やろうかな?」
「あれはかっこつけたわけではなく、貴族としての癖だ」
貴族とは侮られないために色々なことをしているが、金の払い方一つとっても作法がある。端数を数えて出すようなことをしてはならず、釣り銭を受け取ることをしてもならない。
それがかっこつけだと言われれば、それまでだが。
今は節約したほうがいいというのに、無駄な癖というものは抜けないものだな。
「そもそもお前は自分の金を持っていないだろ。城に帰ってもツケで買っているのだろう?」
「あー、そうだったわ……。お金ください!」
持っておかないと不便だし、渡すこと自体は構わないか。
「後でな」
今渡してもいいのだが、宿に着く前に与えると無駄に寄り道をしそうなのでな。それに、無制限に渡すわけでもないのだから与える前に話をしておく必要がある。そのためにはやはりゆっくり落ち着ける状態になってからの方がいいだろう。
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