12 鬼の復活 

 八月、うだるような暑さがアスファルトに陽炎を燃え立たせるとき。

 それは地獄極楽の亡者が地上に帰るときでもあった。


 その夜の月は血の滴るような紅い月だった。

 地の底からも多くの亡者が次々と地上へ吐き出されていく。


 山々に続く森の奥に、ひとりの亡者が降り立った。

 邪まな想いから悪行に手を染め、最期は鬼の姿で成敗された男だった。


 邪まな想いを向けた女の剣が、男を奈落の底へ突き落とした。

 地獄の業火は男の激しい嫉妬、怒り、恨みを焼き尽くしていた。

 

 降り立つとすぐ前方に木々の間からもれる光を目にした。

 ふらふらと進み出るとそこには池。中天の月に照らされた美しい池があった。


 何やら池の向こうから懐かしい匂いがしてくる。

 遠い昔、共に暮らし共に夢を見、共に闘った仲間の匂いにも似た。


 目を凝らすと小さなふたつの影があった。

 それだけではなかった。もっと先、森が途切れる辺りからも。


 そして亡者の男は悟った。だからこそ、ここだったのだ。

 地獄の業火に焼き尽くされたはずの怨念はくすぶっていたのだ。


 ここはかつての仲間にゆかりの里だった。遠い日々が、懐かしいあの頃が甦る。



 鬼はかつてオオタケと呼ばれていた。

 オオタケはある日仲間と、峠で行き倒れていた母娘をみつけた。

 

 都風の衣装は汗と泥にまみれてはいたが、ふたりはいかにも高貴な風貌だった。

 仲間と、息も絶え絶えなふたりを里の長アテルイの家へ運んでやることにした。


 オオタケは小さな娘を背負ってやった。

 まるで大切な宝物のようにそっと運んでいた。


 それ以来この娘からオオタケは目が離せなくなっていた。

 寝ても覚めても娘のことばかり想っていた。


 瀕死の母はその枕元で、大切に抱えていた荷物を娘に託してこういった。

「タカコ、これからはこの里の方々にお仕えするのです」


 タカコと呼ばれた娘は成長して「タテエボシ」と名乗り、戦の舞の中でその吉凶を占うことになる。

 と同時に、生まれついての剣の遣い手であることが成長するにつれて明らかになっていった。


 里の長であるアテルイの家では、この娘をこの里の守り巫女として育てた。

 大切な娘として誰にも指一本触れさせずに育てたのだ。


 高嶺の花の娘であったが、オオタケはどうにかして自分のものにしたかった。

 しかしどうにもならない。もどかしい日々が募っていた。


 

 あの激しい嫉妬、怒り、恨み、狂おしいほどの想いが甦ってくる。

 草をかき分け池の端に立ったとき、亡者の男は再び鬼の姿になっていた。

 百年前のとある夏の夜のことだった。


 そして、その夜、ふたりの小さな兄弟が、爺さん婆さんの家を抜け出し、迷い込んだ森の中の池で鬼に遭遇したのだ。


 鬼は兄弟のうちの弟の魂を手に入れた。

 わずかではあったが、それは思いがけない力を手にすることになった。


 地獄の釜が閉まるまでに亡者たちは戻らねばならない。

 鬼もまた元の姿に戻ることになる。


 そうして、鬼は夏がくるたび姿を変え、地上で純粋無垢な魂を集め始めた。

 ある時は人型の影で、ある時はどろりと液状の塊に姿形を変化させて。

 

 幼い子どもたちの間を巡って、完全な鬼に復活する時を密かに企んでいた。

 誤算だったのは、池は百年ごとの月あかりの下に現れること。

 時が満ちるのを待たなければ、あの山里の森へは降り立てない。

 

 次の百年はもう間近だった。




 


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