5 そして、山へ 

「樹木葬」はまだわかる。パンフレットを見せてくれたから。

 でも、「別のものとして蘇る」って、なに?

 そしてまた口を開いたおばあちゃんに、わたしは更に困惑した。

 ちらりとわたしを見てからこういったのだ。


「これからお話しすることは、簡単に信じられることではないです。

 信じてもらえなくても仕方ないでしょう。

 私もいまだに何だったのかわかりません。

 ただ夢を見ていただけなのかもしれません。


 先日、私、死にかけました。

 それは、この世とあの世の狭間、黄泉の国へ、高橋さんと行くことになったからです。

 あの日の夜、亡くなったはずの高橋さんが、ふいにここに現れました。

 高橋さんは、あることのために、そこへ行かなければならないというのです。


 そこには人でなければ行けず、半分もう人ではなくなっている自分には行けない。

 だが人の同伴者があれば別。私に一緒に行ってくれとそういうのです。 

 必ずこの世に戻ってくる。ただ、ある方に教えを請いに行くだけだからと。

 

 私は最初お断りしましたよ。

 もしかしたらそのまま、私も死んでしまうかもしれないと思ったからです。

 でも、高橋さんは何度も、これは亡くなった父の望みを叶えるためだ。必ずこの世に帰ってくるとおっしゃるのです。

 それが、いったいどんな望みなのか私には知る由もありません。

 それを、果たすための『別のものとして蘇る』ということなのでしょう。

 そして、そのための黄泉の国だったと。

 

 私は、高橋さんが、ただ叶わなかった願いに固執して、囚われているだけなのだと思いました。それがあの世へ旅立つ障りになっていると思いました。

 だから、心残りを少しでも解消し、安らかに旅立てるのであれば、

 少しでもお役に立てるのであればと、承知しました。

 そして本当にちゃんとこの世に帰ってきました。


 どういう仕組みだったのか、私なんぞにはわかりません。

 結局お父さんの望みが何だったのか、誰に会いに行ったのかもわかりません。

 それに今お話ししたことが、現実のことだったのか、どうなのか・・・

 

 でもね、意識が戻る前に、一瞬だけ高橋さんが、田中さん、あなたを見せてくれましたよ。

 今日お会いして、本当に田中さんだったのだと驚きました。」

 そこで初めておばあちゃんは笑顔を見せた。


 わたしは、話がよく飲み込めなくて不安になってきた。

 会ったこともないその高橋さんが、やっぱり何かにとり憑かれて暴走した人、だったのではないか。

 何かに固執したまま亡くなると、人はそこから抜け出せなくなるのだろう。

 おばあちゃんは高橋さんに同情するあまり、その妄想に一緒に囚われているのではないかと。

 いや、それでもわたしが目にしたあれはいったいなんだろう。あの、白いもの。あれは現実に出会ったものだ。

 あれこれ考えていると、田中さんが口を開いた。


「以前いただいた手紙にはあちこちの山々を巡って、鬼の研究をしているようなことがありましたが、それと関係のあることなのでしょうか。」

 おばあちゃんの話しが荒唐無稽すぎて戸惑っているようでもあった。 


「はい、なんでも、おおたけなんとか、という鬼を最後は探しておられました。

 ここから近いですからね。その伝説の場所は。

 でもいくらあの山々を巡っても、いくら山伏修行をなさっても、伝えられているその後がつかめないとおっしゃっていました。」


 田中さんは驚いたように顔を上げた。

「待ってください。高橋さんは山伏修行もされていたのですか?」

「ええ、ここにその装束が、」

「やまぶししゅぎょう?」またわたしに消化できない言葉が出てきた。


 おばあちゃんは箱を開けて、底にたたまれていた着物のようなものを取り出した。

 田中さんが息を吞む。

「探していたというのは、大嶽丸のことだったのですか。それに修行まで。

 でも何のために、」

「さあ、それは、・・・」

 そこまでくると田中さんは、おばあちゃんの話しを単なる夢、幻と片付けられなくなったのかもしれない。食い入るように着物を見ていた。


 外の風は止む気配もなく、振り出していた雨も急に激しくなった。雷も鳴ってきて本格的な嵐の様相だ。

 しばらく沈黙が漂ったそのとき、近付いていた雷の音がひと際大きく響いた。

「どおおおーん」。びりりと、家の壁や窓ガラスを震わせた。近所に落ちたのだ。


 わたしたちは声も出せず固まった。

 一瞬のうちに現実に戻され、その後、別の騒ぎに気付いた。

 雨の中を走りまわる人の物音や、何やら口々に叫ぶ声。

 

「火事だー!」「むこうから火が見えるぞー」

「えっ、火事?」「火事って、」

 話もそこそこに「僕、見てきます。」「わたしも、」

 飛び出した表で真っ先に目に入ったのは、遠巻きに見ている人々。

 その先、路地の向こうに火の手が上がっている。

 あの空家の方だ。すかさず走り出すわたしの後を田中さんも追ってきた。


 わたしたちの後ろにようやく追いついてきたおばあちゃんは、呆然として立ち尽くした。

「あの家に雷が落ちて、そこから火が出たらしい。」「消防にはもう連絡したから、すぐに来るだろう。」

 路肩に止めた乗用車から降りて話している人たちがいた。


 雨は止みかけていた。でも、さっきまで激しく降っていたそんな中に、火柱が上がっているなんてことが信じられなかった。

「なんてこと、暮らしていた、この家まで、・・・

 もう本当に、すべてを消してしまう、つもりなんですね。」

 おばあちゃんは思わずそうつぶやいていた。そのつぶやきをわたしも田中さんも聞いていた。

  

 もうすでに亡くなっている人が、こんな自然現象を操って事故のようなものを起こすことができるのだろうか。

 わたしは足元がぐらつき眩暈がした。信じていた世界が崩れていく、そんな感覚がした。

 それは三度目の、あの、白いものを見たからかもしれない。わたしだけに見えているあれ。誰も他に気付いたものはいなかった。

 

 焼けた家を隠すように立ち並んでいた杉林のてっぺんに、ふわりと浮かんで見下ろしている。わたしに気付き目が合った。あなたが、高橋さん、なの?

 ここに来た時から気付いていた。幾分大きくなっていたそれは、すぐに消えた。

 

 雨は止んだが、風は相変わらず吹き荒れていた。林の周辺はほかに人家はなく、素早く横づけされた消防車の消火活動はすぐに始まり、あっという間に終わった。

 古くて小さな家だったし、激しい火の勢いだったから瞬く間に焼き尽くされていたのだ。くすぶる煙が風向きが変わってこちらへ流れてきた。

 

 辺りが暗くなり人影がまばらになるまで、わたしたちは立ち尽くしていた。

 身体がやけに重い。それはわたしだけじゃなく、おばあちゃんも田中さんもだったのだろう。俯いたまま話す言葉もなく、帰る足取りも重かった。


 居間に戻ったおばあちゃんは、何か思いつめたように、あの箱をきれいに元通りにして、そして、

「田中さん、これあなたに、お渡しします。」といった。

「でも、これは処分してくれと、いわれていたのでしょう。」

「ええ、高橋さんの遺言を守るつもりでしたが、

 こんなに何もかも消えてなくなるなんて、あまりにも悲しすぎる。

 私には、火事も偶然とは思えません。

 どこかに高橋さんの遺志がはたらいているとしか・・・。


 この書付の中身はまったくわかりません。何が書かれているのか私は知りません。

 きっとご研究に関係したものでしょう。

 ひとりの人間が、残りの人生をかけてやろうとしていたこと、それが何であろうと、意義のあることだと思うんです。

  

 だから、田中さん、高橋さんのこれを、どうぞ引き継いでください。

 お仕事にはかかわりのないことでしょうが。

 なぜって、高橋さんが唯一近況を知って欲しかったのは、田中さん、

 あなただけだったのではないかと、そう思うからです。

 きっと、高橋さんもそう望んでいるはずです。

 これで安らかに眠ってくれると思います。」


 ほっとしたようなふたりだったが、わたしは思わず

「高橋さんは、高橋さんは安らかに眠るなんて、望んでいない、と思う。」

 そういっていた。いわずにはいられなかったのだ。

 

 そして、わたしはこの後、田中さんと山へ入ることになるのだ。

 


 






 

 

 

 

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