片足立ちの日々

月井 忠

第1話

 早めに設定したアラームが時間を告げる。

 機材を入れたバッグを掴み、玄関に向かう。


 今日は撮れるだろうか。


 玄関のドアを開けると冬の寒風が迎えた。

 ダウンジャケットのチャックを首元まで上げて、寒さを締め出す。


 日は傾き始めていた。


 自宅脇に停めた自転車に乗って、山中湖を左に眺めながら目的地までの道を進む。

 風があるようで、湖面にはさざなみが立ち、富士山は映っていない。


 目的地には、すでに人がいた。

 時間はまだあるはずだが、彼らも目的は同じだろう。


 僕はバッグから三脚を取り出し、立てる。

 カメラをその上に取り付け、富士山の山頂がファインダーに入っているか確認した。


 すると、ちょうど風が止んだようでファインダーから覗く山中湖に逆さ富士が映る。

 このまま日没を迎えれば、ダイヤモンド富士が反射して見事な写真を撮れるだろう。


 どうしても、今年のうちに撮っておきたい。


 君が今でも健在なら、今年はダイヤモンド婚となるはずだった。


 僕はその時のために、こうしてカメラを始め、富士山を撮ってきたというのに。


 君が病床の身となっていた際、結婚をして六十年を迎える夫婦のことをダイヤモンド婚と言うらしいよと伝えたら、君は笑って言ったね。


「私の指には重すぎますよ」と。


 だから、僕は代わりになる物を探したんだ。


 君がいなくなってずいぶん経つ気がするけど、まだ三年も経っていない。


 君がいない生活は片足立ちのような日々だったよ。


 家事を全くやってこなかった僕にとって、日常生活はとても大変なものだった。


 やっぱり、君の言っていた通りに家事を教えてもらえば良かったね。


 僕はというと「僕の方が先に逝くから」などと言って、まったく学ぶ姿勢がなかったよね。


 そのおかげで今はとても後悔しているよ。


 君の作ってくれたお味噌汁が恋しくて仕方ない。


 何度も挑戦しているけど、君の味には近づけないんだ。


 きっと隠し味があるんだろうね。


 僕が生きている間に探し出せるかな。


 辺りから歓声が上がる。


 眼前には見事なダイヤモンド富士があり、その姿が山中湖に映って、これ以上ない景色だ。


 僕はシャッターに伸ばす手を一度、止めた。


 しばらく、指を宙に漂わせた後、ためらいながらもシャッターを切る。


 この景色を写真におさめてしまったら、これから先、何を目的に生きればいいのだろう。


 君なら、こんなことを考える僕を叱るかい?


 安心していいよ。


 しばらくはこちらにいるつもりだから。


 君のいない片足立ちの生活にも、やっと慣れてきたんだ。


 そちらに逝くには、まだ少し時間がかかるかもしれない。


 でも、そう長く待たせるつもりもない。


 だから、もうしばらく待っていてくれないか。


 どうしても、また君に会いたいから。

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