ドカの女

 ここは二階の船尾にあるオープンデッキの椅子席。出航風景を見送ろうぐらい。電車もそうだけどフェリーも乗っている間は退屈なところがあるのよね。観光旅行なら風景を楽しめるけどビジネス、たとえば東京までの電車になるとウンザリする時はある。


「そやからパソコン持ち込んで仕事してるやつが多いわ」


 出来るアピールの人もいるかもしれないけど、良く言えば時間の有効活用、悪く言えばヒマ潰しのとこもあるのよね。他にも本を読んでたり、雑誌を買い込んで読んでたりもあるし、


「スマホゲームが多いやん」


 その中で昔からポピュラーで今でも多いのが寝るなのよね。わたしたちも寝たって良いのだけどまだ起きたばかりだし、旅への高揚感があるからコトリとダベってる。これは二人旅だから出来る楽しい時間。


「ドカがおったな」


 ドカとはドカッティのこと。ドカッティもバイク乗りの憧れのバイク。クルマで無理やり例えればフェラーリとかランボルギーニかな。日本でも見かける事さえ少ないから存在するだけでバイク乗りなら目を引かれちゃう。


 ドカッテイと言えばパニガーレみたいなスーパースポーツが思い浮かぶと思う。フルカウルのガチガチのレーサータイプ。色も派手めな感じ。だけどフェリーで見かけたのを一目見てドカッテイと気づけたら、ちょっとした通かな。


「スクランブラーやもんな」


 スクランブラーはクラシックなヨーロピアン・スタイルで良いと思う。コンセプトとしてはカフェ・レーサーだ。


「スクランブラーかって、アーバン・モタードみたいな派手なカラーリングもあるけどナイトシフトやんか」


 都会の夜に溶け込むのがコンセプトだったかな。だからカラーもグレーが基調になった渋いもの。だから車体に書いてあるDUCATIの文字を読むまでどこのメーカーなのかわからなかった人も少なくなかったはず。


「あんなもん滅多に見いひんからな」


 わたしも実際に走っているのを見るのは初めてだもの。スペック的には800CCの七十三馬力だからムチャクチャ速いわけじゃない。これも誤解を招くな。ドカのイメージ的にスーパースポーツだから、それに比べたら程度のもの。普通には余裕で速いよ。


「速度を競うモデルやあらへんからな」


 ゆったりと言うより悠然と走るモデルかな。だから日本ではあまり見かけないのかもしれない。そういう需要はあるけど、ドカなら速く走れないと意味がないがあるぐらいかも。ブランドのイメージってあるものね。


「それもあるけど高いわ」


 百四十万円ぐらいだったかな。百四十万円は素直に高いけど、それでも普通の軽自動車程度とも言えないことも無い。だけどね、バイクにしたら高すぎる感覚があるものね。


「この辺はバイクの特徴や。セカンドカーになるわけやないからな」


 軽自動車ならセカンドカーとして使用用途は広いのよね。だけど大型バイクはとにかく日常ユースに使いにくい。どれだけ大きくとも二人乗りだし、荷物だって乗らないし、天候の影響はモロ。


「趣味としてバイクを走らせたい人に存在してるようなもんや」


 だからフェラーリとかランボルギーニの例えが出ちゃうのよね。だから走っているだけで注目されるし、持ってる人にバイク乗りが憧れのまなざしを向けてしまうのは確実にある。


「ベルスタッフやな」


 これはドカに乗ってる女のライディング・ウェア。一九二四年創業のイギリスの老舗ブランド。あのドカに良く合ってた。歳の頃は、そうだね、


「どやろ四十ぐらいちゃうか」


 四十歳とコトリは言ったけどおばさんではない。スタイルに崩れたところなんてないし、身のこなしもスマートだ。肌だって、


「ああ、あれは相当に手を入れとるわ。それだけやのうてあのメイクは素人には見えん」


 女なら誰でも化粧はするけど、その巧拙は確実にある。とくに玄人の化粧は違うのよね。玄人と言ってもあれこれいるけど、


「モデルとか女優のメイクの感じがするわ。夜の蝶ならもっと濃いやろ」


 女なら四十ぐらいって気づくけど、男からならもっと若く見えるはず。いわゆる美魔女って感じで良いかな。


「綺麗かどうかはわからんけどな」


 まず大きなレイバンのサングラスをしている。それだけじゃなく、スカーフで口許を覆ってるから顔が見えないのよ。バイク乗りがそういう格好をしているのはおかしくはないのだけど、あれじゃ美人かどうかは確認出来ないのはコトリの言う通り。


「あれって日焼け対策だけやない気がする」


 そんな感じはあった。さてだけど、これから向かう隠岐だけど歴史はそれこそで古い。だってだよ応神天皇の時に、天八現津彦命の後裔が意岐国造に任命されて始まったとなっている。


「応神天皇は神功皇后の息子やもんな。そやけど隠岐まで国造を派遣するほど勢力範囲が広かったかは疑問や」


 これは播磨風土記になるけど、応神天皇の足跡は加古川の東部に留まる感じのとこもあるのよね。それを言いだしたら神功皇后の三韓征伐なんてどうやって行ったかになるのだけど、


「古代でも寄子寄親関係やったんちゃうか。あれは古代ローマからあるやんか」


 パトローネスとクリエンティスね。神功皇后の時代は大親分みたいに君臨してたけど、応神天皇はそこまでなかったか、代替わりの混乱を修復して回っていたのか。そんなもの確かめようもないものね。


「天八現津彦命もはっきりせんとこがあるやんか」


 つうかわたしは知らないもの。通説では大国主命の一族とされてるけど、


「一説では建御名方神の一族つうのもある」


 建御名方神も大国主命の息子ないし孫って説があるぐらいだから出雲系で良いでしょ。もうこの辺になると完全に神話の世界で定かではないぐらいにしか言えないよ。


「そやけど隠岐最古の古墳は四世紀まで遡るし、四百基以上あるとされとるで」


 卑弥呼が三世紀の人だから、その百年後には古墳を作るぐらいの文化と勢力が隠岐にはあったことになる。


「そうとも言えるけど、古墳時代にはヤマト文化圏に入っとったも言えるで」


 だからだと思うけど令制国として最初からあるし、延々と明治維新まで続いてるものね。


「あれやろな半島や大陸から出雲に渡るのに中継点として使われたんやろな」


 半島からなら対馬、壱岐から北九州だろうけど、もし北九州を避けたいと思えば隠岐経由のルートがあったはずだもの。隠岐は小さいけど水は豊富だし、少ないながら平地もあって、


「江戸時代には一万三千石や」


 今だって二万人ぐらいは住んでるのよ。地理的には絶海の孤島だけど、見ようによっては、


「隠岐で自活は可能や」


 この辺は想像の世界だけど日本列島を目指していた渡来人が隠岐で定着してしまったのが始まりかもしれないね。この辺は船が壊れたりもあったと思うよ。


「そやから文化も高かったんやろ」


 律令政府との関係もしっかりあって、延喜式にも隠岐の鮑は何度も書かれ、当時の最高級品として扱われているのがわかるのよ。


「貢納品として鮑の量は律令時代は全国一となっとるぐらいや」


 もちろん鮑だけが貢納品じゃないけど、当時の貴族は鮑と言えば隠岐みたいなブランド品だった気がする。


「長崎の俵物にもされたからな」


 俵物とは出島での輸出品。隠岐からは干鮑、煎海鼠、干イカがかき集められて送られてるものね。今でも鮑は、


「もちろん取れるで。そやけど昔みたいなプレミアはあらへんかな」


 この辺は輸送が発達して隠岐の海産物が不利になったぐらいかもしれない。鮑も生から調理をするのが主流だから、大消費地から隠岐は遠いのよね。それでも古代貴族が愛した鮑を食べるのは楽しみだな。


「コトリもや。味は変わらんはずやからな」


 まだ見ぬ隠岐で何に出会えるだろう。

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