誰にでも優しい幼馴染は俺にだけ厳しい。
雨屋二号
第1話 幼馴染と隣の席①
高校生活が始まって、早くも一週間。
中学までは小学校と変わらない顔ぶれではあったが、高校にもなると知らない顔も多少は増えていた。
そんな新しいクラスで、俺は窓際一番後ろの席に着くことになる。
それは少しは喜ぶべきことなのだろうけど、このクラスにおいて、俺にはその席があまり落ち着かない理由があった。
「
「もう、あまり触り過ぎるとお金取りますよ?」
「月額460円で頼むー、むしろ払わせてー」
「冗談ですから本気にしないで下さいよ!」
教室に入ってまず目に入るのは、一番後ろの席で楽しく談笑する女子二人。
茶色の髪の少し小柄な女の子──
そんな二人の後ろを、俺は静かに通り過ぎて、自分の席に着くことにする。
その時だった。
ちらりと、背後の駒鯉を見た姫榊と目が合ったような気がした。
透き通った飴玉のような、青色の瞳に見つめられた気がしたが、俺は目を逸らして自分の席に向かう。
この窓際一番後ろの席が落ち着かない理由は、まさにこの隣に座る姫榊琴歌という少女が原因だった。
腰まで届く程の綺麗な長い髪、大きな青い瞳。
絵に書いたような品行方正、成績優秀。
例え同級生相手でも敬語で丁寧に喋り、笑う時は手を当てて、上品に笑う。
その可憐で清楚たる美しい容姿は、この教室だけではなく、この学校全体を含めても一番の美少女ともいえる。
正しく男子の理想を描いたような美少女が、あろうことか俺の隣の席に座っている。
恐らく羨ましがる男子も少なくないだろう。
それだけならまだしも。
俺と姫榊は所謂幼馴染という関係だ。
それも家が隣同士という、まるでラブコメのような関係である。
が、今こうして目を逸らしたように、姫榊との関係はあまり良いとは言えない。
だからといって悪いとも言えない。
ただ、小学校の時は一緒にいることが多かったが、中学校の時は殆ど話したことがない。
俺が部活をやっていて、朝は早く夜も遅く、三年間違うクラスだったり、そうして距離が空いたまま精神的にも大人になると、異性同士で絡むこともなくなっていった。
まあ俺との思い出なんて、今となっては黒歴史かもしれないしな……。
金髪青目は元からだが、昔はあんなに髪を伸ばしていなかったし、敬語で喋ってなんていなかった。大人っぽくなった。といえば、そうなのだろう。
ちらりと、頬杖を付きながら姫榊の方に目配せをする。
その時、またしても目が合ってしまい、誤魔化すように、教室の隅に掛けられた時計の方に目を逸らす。
……俺そんなに見てたか?
なんだか目が合う頻度が多い気がする。
逸し続けるのも失礼だろうが、だからといって何を話すか。
俺みたいななんの取り柄もないような男子が、姫榊みたいな美少女と堂々と教室で話せる訳もない。
とりあえず、机に突っ伏して寝たフリを決めることにした。
幼馴染とはいえ、もうしばらく話すこともなかった間柄。高校でもどうせ関わることなく過ごすのだろう。
少なくともこの時の俺はそう思っていたのだが──。
「依河くん、ちょっといいですか?」
昼休みが終わって五限目の授業の直前に、不意に姫榊から声を掛けられる。
一瞬、『え?』と言いそうになるくらいには驚いて、目を見開いたものの、すぐに冷静さを保って返答する。
「どうしたの、姫榊さん?」
久しぶりに話すこともあり、なんだか気を遣ってしまう。
「…………実は頼みたいことがあって」
「頼みたいこと?」
今、少し間があったような?
「次の授業で使う教科書を忘れて来てしまって……よかったら見せて頂けないかと」
「それは……」
「先生には前もって言ってありますから」
それは俺ではなく、反対側の隣の席にいる女子では駄目なのだろうか?
教科書を見せるということは、机をくっつけることになる。
そうなれば姫榊と俺の距離はほぼゼロになり、一番後ろの席とはいえ、なかなかに目立つことになる。
俺はちらりと、姫榊の背後を覗く。
反対側の隣の女子は、何事か。と、こちらの様子を伺っているようで────
「駄目、でしょうか?」
そこで姫榊は心配そうな顔を傾け、更には身体も少し傾けて俺の顔を覗きこむ。
そうすることによって、彼女の長い髪が、一本一本サラサラと落ちてきて、暗幕のように俺の視線を遮った。
……何か作為的にも見えたが気の所為だろう。
「え? ああ、別にいいよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
姫榊は青い瞳が閉じる程の笑顔で喜ぶ。
一部ではその容姿から、
ただ、今日の俺にはそれが少し怖く見えた。
「じゃあ机をくっつけさせて頂きますね」
そう言って姫榊が自分の机を動かす。
俺も少し近づけて────ガツン。と、二人の机が少々力強くぶつかった。
「……ごめん」
「いいえ、私の方こそ急いでしまいました」
「いや……ごめん」
今、ぶつけられたような……。
咄嗟に謝罪の言葉が出たのは、机が思ったよりも強くぶつかったから……ではなく、ぶつけられたように感じたから。それも何か俺に対しての怒りのようなものを感じたからで……。
「すみません。お騒がせしてしまって」
ハッと我に返ると、周りから少し注目を浴びていた。
姫榊は教室のみんなに向けて、申し訳無さそうに頭を軽く下げる。
俺が席に座ると姫榊も席に座り、思っていたよりも距離が近くて落ち着かない。
程なくして、次の授業を受け持つ先生が教室に入ってくると、そのタイミングでチャイムが鳴った。
先生は一度こちらを見たあとに、教室全体を眺めて、生徒全員揃っているかを確認する。
「よし、じゃあ始めるか」
先生がそう言うと、日直の気の抜けた号令で授業が始まる。
「よろしくお願いしますね」
小さな声で、姫榊がそう囁いた。
顔が近いせいか、整った長い睫毛がよく見えて、彼女の美少女っぷりを余計に意識してしまう。
落ち着かないのは、多分そういうことだろう。
俺はあまり姫榊の方を見ないように努めて、繋がった机の上に教科書を開いた。
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