第26話 口笛を吹くと蛇が出る

「しかし、ぜんざいさんは本当にキレイになったなー」


 暗くなった帰り道。

 丈二はキレイになったぜんざいを見る。

 ごわごわしていた毛は滑らかになった。

 前は野性的な野良犬のようだったが、現在は品の良い飼い犬のようだ。


 その背中には寝息を立てているおはぎが乗っていた。

 ぜんざいを洗ってもらったあとも、おはぎはぶんぶくと遊んでいた。

 すっかり疲れきったのだろう。


 空には月が出ていた。

 ニヤリと不気味に笑うように三日月が輝いている。


「……なんか、音が聞こえないか?」


 春だというのに、うすら寒い風が吹いた。

 それに乗って甲高い音が届く。

 

 口笛だろうか。

 少し不気味な雰囲気だ。

 童謡のような子気味の良さ。

 それとぞわぞわと背中を走るような気味の悪さが同居している。


 ふと、子供のころを思い出す。

 夜中に口笛を吹くと蛇がでる。

 そう父に注意されたことがある。


 いまにして思えば、近所迷惑になるから吹かないようにするための躾だった。

 だが不思議なことに、今でも口笛には忌避感がある。


 少し嫌なものを感じながらも、丈二は家へと歩みを進めた。

 家の前には人影があった。

 すでに牛巻は帰っているはずだ。

 いったい誰だろう。

 丈二は目を凝らす。


 ピタリと口笛が止んだ。


牧瀬丈二まきせじょうじ様ですね?」


 男だった。

 スラリとした体形。

 高そうなスーツに身を包んでいる。

 片手には頑丈そうなアタッシュケースを持っている。


 アイドルが順調に年を取ったような整った顔立ち。

 にこにこと余裕がある笑みを浮かべている。


 年齢は丈二よりも少し年上だろう。

 大人の色気のようなものが出ている。

 

 彼は不気味なほどに足音を鳴らさずに、丈二へと近づいてきた

 そして被っていた中折れ帽を外して頭を下げた。


「初めまして。わたくし、酸漿かがち商事の『加賀かが千昭ちあき』と申します」


 加賀はアタッシュケースを置くと、キレイな動作で名刺を差し出してきた。

 丈二は癖で名刺を受け取る。


 丈二も名刺を差し出そうと思った。

 だが、まだ新しい名刺を準備していない。


「あ、すいません。まだ名刺は準備できてなくて……」

「こちらこそ申し訳ありません。いきなり押し掛けてしまって」


 丈二と加賀は互いに頭を下げる。

 

 たしかに、いきなりすぎる訪問だ。

 もう夜の七時。

 時間的にも遅い。


 そもそも、なぜ丈二の家を知っているのか。

 丈二は住所を公開しているわけでもない。

 

 怪しすぎる。

 丈二は疑いの目を加賀に向ける。

 加賀はその目線に気づいたのだろうか。


「牧瀬様の住所に関しては、噂やSNSの情報を元に調査いたしました。どうしても、急ぎのお話がありましたので」


 急ぎの話。

 また案件だろうか。

 とりあえず詳しい話を聞いてみよう。

 丈二は加賀を家に招くことにした。


「ひとまず、中でお話をうかがいます」

「ありがとうございます」


 丈二たちは家の中へと入る。

 加賀を居間に座らせる。加賀の前にお茶を出した。

 丈二が対面に座る。


 隣にはぜんざいが居る。

 鋭い目を加賀に向けていた。

 警戒しているのだろうか。


 そしてぜんざいの足元にはおはぎ。

 眠そうな目をまばたかせている。

 おはぎを隠すように、ぜんざいのもふもふとした尻尾が、おはぎを包んでいた。


「……それで、どういったご用件でしょうか?」

「いきなりの話で心苦しいのですが、牧瀬様が飼育しているドラゴンと狼を譲って頂けないでしょうか?」


 話とは、おはぎとぜんざいを譲って欲しいというものだった。


 丈二は心のなかでため息をつく。

 この手の話は他にもたくさん来ている。

 公開しているメールアドレスなどに送られてくるのだ。

 大金を払うから譲って欲しいとの連絡が。


「無理です。この子達は私の家族ですから、いくら積まれても渡しません」


 丈二はキッパリと言いきった。

 下手にぼやかして答えても、面倒になるだけだ。

 加賀にはサッサと諦めてもらおう。


 だが、加賀は表情を変えなかった。


「むしろ、家族のことを考えるからこそ、譲って頂きたいのです」

「え?」

 

 丈二は困惑する。

 なにを考えているのかと加賀の目を見る。

 なぜか、その目に吸い込まれるような錯覚が起きる。


「牧瀬様はドラゴンを飼育することを甘く考えているのではないでしょうか?」


 加賀の声が頭に響く。


「ドラゴンが大きくなれば、もっと大きな住居が必要です。餌代だって膨れ上がるでしょう」


 それは分かっている。

 だが、現状ではおはぎたちの配信活動で十分な利益が出ている。


「その金銭的負担をまかなうために配信活動を行っているのでしょうが、配信活動の収入は不安定です。常に上手くいくとは言えません」


 否定できなかった。

 配信活動なんて不安定な仕事だ。

 わずかに道を間違えれば、一気に転げ落ちるかもしれない。


「病気の問題もあります。ドラゴンは頑丈な生き物だと言われていますが、飼育しているのは牧瀬様が初めてです。未知の病気にかかる可能性もあります」


 なぜだろうか。

 丈二の頭がクラクラする。

 加賀が、ずっと遠くに居るように感じる。

 だが耳元で喋られているように、その声だけが異様に響く。


「これは牧瀬様が悪いわけではありません。そもそも個人でドラゴンを飼育するのが無理なのです」


 そうなのかもしれない。

 丈二の中から不安があふれてくる。

 おはぎを育てていくことに自信がなくなってくる。


「私に任せていただければ、ドラゴンを無事に飼育できる環境が整えられます。実は私は仲介役で、複数の企業が共同出資をしてドラゴンの飼育と研究をおこなう話が出ているのです。ドラゴンもより幸せに生活できるはずですよ」


 加賀はアタッシュケースを持ち上げると、丈二の前に置いた。

 ドンっと重い音が響く。

 加賀はそのケースを開ける


 丈二は中身を見て、目を見開いた。

 中には大量の札束が詰められていた。

 一億円くらいあるんじゃないだろうか。


「こちらは信用して頂くための前金です。さらにドラゴンは五千億、狼は千億、合計六千億円をお支払いします」


 六千億円。

 一生かかっても稼げないような金額だ。


 それだけのお金を貰って、さらにおはぎたちは今より幸せな生活を手に入れるのだ。

 もうそれで良いんじゃないかと、丈二の中でがささやく。


 それでも、おはぎたちと離れたくないと丈二の心が叫ぶ。

 たとえ困難な道だとしても、丈二がどれだけ苦労しても一緒に居たいと。


 反する思考が、丈二の頭の中で暴れる。

 頭がくらくらとする。意識が朦朧もうろうとする。

 その時だった。


「バウ!!」


 ぜんざいの鳴き声が響いた。

 その瞬間、丈二の意識はパッと明るくなった。

 『しっかりしろ!』ぜんざいに鼻で肩を小突かれる。


「ぐるぅぅ」


 おはぎが寂しそうに鳴いた。

 床に置かれた丈二の手に、必死にすがり付いている。


 いったい何を考えていたのか。

 一時とはいえ、お金でおはぎたちを売ろうとするなんて。

 丈二は自分の思考を恥じる。


「ガルルルル!!」


 ぜんざいがけたたましい唸り声をあげた。

 歯をむき出しにしながら、加賀を睨みつける。


「……どうやらは決裂のようですね。狼のほうを侮っていましたか」

 

 加賀はそう呟いて――ダッと走り出した。

 ぜんざいが飛び掛かる。


 だが、加賀の体をぜんざいがすり抜けた。

 幻影だ。

 わずかに自分の体からずれた位置に幻影を出していたのだろう。


 バリン!!

 加賀は縁側のガラスを割って、庭に飛び出した。

 そして暗闇に溶けるように、その体は消えていった。


「な、なんなんだアイツ!?」


 丈二は急いで庭に顔を出したが、すでに加賀の姿は見えない。

 ぜんざいなら臭いで追いかけられるだろうか。

 丈二はぜんざいを見るが、ゆっくりと首を振られた。

 無理らしい。


「……とりあえず、警察に連絡するしかないか」


 加賀と名乗った男は何者なのか。

 ただの詐欺師などであれば、マシなのだが……。

 丈二は背中にうすら寒いものを感じていた。

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