第2話

「嘘だろ」


 その数年後の春、赴任先の男子校で、思いがけない出会いをした。


 いたのだ、が。


 高校時代にほんの数度、その美麗なる剣技を拝見しただけだ。ほぼ防具姿で面も被っていたから、そのご尊顔を拝めたのだって、確か一回か……二回くらいだったはずだ。すれ違いざまに挨拶くらいはした気もするが、その程度だ。


 天は二物を与えねぇんじゃねぇのかよ、と神様に文句を言ってやりたくなるようなイケメンだったことは覚えているが、それも高校生の時の話だ。あれから月日は経ち、俺も彼もアラサーだ。一つ上だから、今年二十九か。高校の同窓会なんかに行けば、当時イケててモテまくってたやつほど、ぷっくり腹の出ただらしねぇおっさんになっていたりする。俺はまぁ、職業が職業だから、腹が出るなんてことはないし、普段から若い学生を相手にしているからか、実年齢より若く見られたりする。


 だからまぁ、若いやつに囲まれて刺激を受けている、と考えれば、養護教諭とて同じであるわけで。

 

 その、何だ。

 

 数年ぶりに見る、その男――門別大祐は、年相応の色気こそ身につけてはいたものの、あの頃と同じ、凛とした佇まいで、けれどあの時よりも柔らかい空気を纏ってそこにいた。


 同姓同名の可能性も捨てていなかったわけじゃない。

 門別という名字は、北海道沙流さる郡に実在した門別町(現・日高町)に由来する。その辺りに住む道民からしてみれば字面そのものはそこまで珍しくもないが、名字として考えると決してメジャーなやつではない。けれど、沙流郡の方には結構いたりするのだ。それに、『大祐だいすけ』という名前はその辺にごろごろ――は言い過ぎか――いるだろうし、ならば、『門別大祐』という組み合わせだって、あるかも……しれないし、うん。


 だから、たまたま、そういう雰囲気の、涼やかな美男の、そんでもってあの『門別大祐』と同姓同名の養護教諭なのかもしれない。そう思った。思い込むことにしたのだ。かつて憧れた人と同僚になるなんて、ちょっとでも気を抜けば奇声を上げて校舎の端から端までうさぎ跳びでもしかねないミラクルだ。赴任早々そんな奇行で注目を浴びることは避けたい。


「初めまして! 寿都すっつ太一です。体育の授業で保健室に行く生徒を出さないように、頑張ります!」


 これが精一杯だった。

 不用意に近づいてはいけない。直感でそう思った。同じ人間として認識しているはずなのに、それでもまだ俺の中では、どこか『神が作りたもうた完璧な芸術作品』感が拭えなかったのかもしれない。それほど彼は美しかった。


「初めまして。いざというときに養護教諭がいますから、無理しないでくださいね。保健室に行かなかった生徒が、症状を悪化させたら大変です」


 予想外の軽い返しに拍子抜けしつつ、けれど、やはり『初めまして』と返って来たことにほんの少し落胆した。『寿都』なんて、『門別』よりも数倍マイナーな名字なのに、わずかにも引っ掛からねぇか、と。

 

 その後もしばらくは、年齢が近いからとか、出身が同じ北海道であるとか、そんな薄い接点で馴れ馴れしく話しかけたりは出来なかった。彼以外になら、お堅い学年主任とも、何なら校長や教頭とも若さとキャラを武器にそれなりの砕けた態度で接することが出来るのに。


 同僚だぞ。

 何をそんなに緊張しているんだ。

 

 そう思わないでもなかった。


 軽い挨拶を交わす程度から始まって、すれ違えば一言二言会話をするくらいの間柄になっても、まだ何となく遠慮する気持ちはあった。門別大祐と対等に会話するなんて、と毎回妙に緊張していた。


 けれどそれも、数ヶ月もすればだんだんと慣れて来る。保健体育の授業の相談やら、授業で怪我をした生徒を見舞ったりなどで、ちょいちょいと保健室を覗く機会も増えた。何となく世間話もするくらいになった。気づけば目の前にコーヒーまで出されるまでになった。養護教諭ってそんな暇なんですか? とは口が裂けても聞けなかったが。


 俺達の関係が決定的に変わったのはバレンタインだ。


 違う。

 別に俺があいつにチョコをくれてやったとか、そういう甘酸っぱいやつじゃない。俺は男に興味はない。


 が、向こうの方は違ったらしい。

 生徒が作ったらしい、何やら怪しい薬入りのチョコを俺に食わせ――って、たまたまそれを選んだのは俺なんだけど、とにかくそれを食っちまって、あれよあれよと俺も食われた、と。いや、笑うところじゃねぇんだわ。


 不可抗力……ではある、うん。

 ただ、厳密には、だ。

 全然抗うことは出来た。

 いくらおかしな薬つったって、高校生が手に入れられる程度のやつだ。経口摂取後数分で、効果は切れる。が、そうしなかったのは俺だ。初めて知るその感触に溶かされた。いや、それ以上に、目の前の絶景に、抵抗する気も失せてしまったのだ。


「ゴム越しでも、気持ちいいですか? 私の中」


 そんなことを聞かれても、はい気持ちいいです、なんて、言えるわけがない。


 ベッドを囲む白いカーテンを背にした門別の身体は、それに負けじと白く、淡く光っているようにさえ見えた。あの日、あの会場にいた者すべてを魅了した、鬼のように強く、柳のようにしなやかな男が、妖艶な笑みを浮かべて俺を見下ろしている。俺だけを見て、身をくねらせて、息を弾ませ、甘い吐息を漏らしている。その事実に、目が眩む。夢と現実の境目があやふやになるような感覚だった。

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