青春を謳歌するために

澄風一成

青春を謳歌するために

 元カノは死んだ。

 この「死んだ」というのは、心の中から消えたとか、未練はなくなった、とかではない。本来の意味通り、心肺機能が止まり、脳も機能しなくなり、体温がなくなり、生物学的に二度と動き出すことがなくなった。そういう意味での「死んだ」である。でも、元カノが死んでも、涙は出なかった。一度愛した女性が死に、二度と言葉を交わせなくなったのに、それでも涙一つ流せないなんて人の心がないと野次られても仕方がない。それでも、泣けないのには理由がある。


「晴日は物静かな子でしたね。でも、お淑やかとか儚げとか、そういうわけではなく、ただただ口数の少ないという意味での物静かさでした。それに、口を開いたところで声も小さく、雑踏の中だと、僕が晴日の口元まで耳を近づけなくては言葉が聞き取れない程でしたよ。


 そういえば、晴日との馴れ初めをまだ話していませんでしたね。とはいえ、話すほどのものではないかもしれません。だって、あまりにありふれた話で全く面白みがないからですよ。それでも、まあ、今回はすべてを語ると決めたのですから、晴日との馴れ初めから話すべきでしょう。


 晴日とは大学で出会いました。確か彼女と初めて会ったのは大学一年生の後期必修科目である英語の授業だったと思います。大学と言えば大教室で大人数で授業を受けるというイメージが強いですが、英語の授業、というか語学の授業は少人数制でした。多分、三十名程度のクラスだったと思います。そして、初回の授業で四から五人程度に班分けがなされました。そこで、同じ班になったのが晴日でした。まあ、とにかく彼女は静かな子でした。『Discuss in your group.(班の中で話し合ってください)』と言われても、彼女が口を開くことはほとんどありませんでした。時には先生に叱られ、問い詰められ、それでもなお口を開かない彼女には先生もあきれていたものです。しかし、私はそれでも良いと思っていました。そんなことより、早く授業が終わって欲しい。そればかり考えていたのです。なぜかって、授業が終われば彼女と帰ることができるからですよ。前期から代り映えせず、退屈な日々を送っていた私にとって、彼女と帰るということが唯一といってよいほどの楽しみになっていたのです。しかし、彼女と帰ることが楽しみだった理由がもう一つあります。それは、彼女と言葉を交わせるということでした。彼女は寡黙で、授業中に発言を求められても黙り込んでしまう人でした。そんな彼女と言葉を交わせる唯一の異性であるように思え嬉しかったのです。


 それから、彼女を好きになるのには時間を要しませんでした。最初に彼女を遊びに誘ったのは大学一年の十月中旬だったと思います。それから何度か二人で出かけ、遂に彼女に告白をしました。


『私でよければ』


 そう言った時の彼女の火照った顔と言えば! 今でも忘れることはありません。改めて、彼女が大好きだ、大切にしようと心の底から思ったものです。それから彼女は少しずつ口数が増え、いろいろと話してくれるようになりました。『私、お姉ちゃんがいるの』と語った彼女は生き生きとしており、家族思いの子なんだなと感心したことを覚えています。それから、いつだったか、彼女が絶対口にしないであろう言葉をメールで送ってきたことがあります。


『好きだよ』


 私はうれしくて、『僕も大好きだよ』と返しました。返した後になって、『好き』に対し、『大好き』と返したことが恥ずかしくなったんですけどね。まるでこちらだけ愛があふれ出ているようだったから。でも、寡黙な彼女が『好き』いう言葉を私に伝えたのは、後にも先にもこの時だけでした。


 別れてから思い返してみれば、付き合い始めた当初から、彼女は恋愛的な意味で私を好いていたのではないと思います。多分、『友達として好き』というのが正解だったのだと思います。でも彼女は、今まで恋愛経験どころか人を好きになったことが無かったんです。だから私への感情も恋愛感情ではなかったのでしょう。案の定、すぐ別れることになりました。だって、恋愛感情ではないのですから。それから私は再び以前の退屈な生活に戻ってしまいました。これが私と晴日との全てです。勿論、まだまだ話し切れていなことはたくさんあります。交際中に様々なところにでかけましたし、お互いぎこちないながらも手をつないだこともありました。交際期間が短かったこともあってか、体を交わったことはありませんでした。


 ちなみに、その後、私は智彩という女性と付き合い始めました。ちょうど半年ほど前なので、三年の夏ごろですね。智彩は晴日とは真逆の性格でした。おしゃべりが好きで、いつも笑っており、愛情表現も多い子でした。しかし、玉に瑕なことに、少し嫉妬深いところがありました。だから、元カノである晴日についてよく訊かれましたよ。『もう繋がってないか』『どんな子だったのか』『付き合ってるときどんなことをしたのか』って。いつだったか、智彩は晴日にすごく怒っていたことがありましたね。あ、本人に直接怒っていたわけではないですよ。


『晴日は僕のことを恋愛的な意味で好きではなかったんだよ』


 と話したら、


『そんな不誠実な子に振り回されるなんておかしいよ。そんな奴にあなたを奪われていたなんて! 付き合ってなければ私がもっと早くあなたに会えていたかもしれないのに! 一発殴ってやりたいわ』って。


 あの時の智彩は今にも殺しにかかりそうな勢いでしたよ。でも私にはそのくらいがちょうどいいのです。いわゆる、『追うより追われたい』と言うやつです。私は、今の彼女を心から愛しているし、手放したくない。大学内だって手をつないで歩きたいくらいですよ」




「そうか。でもな、今の彼女の話はどうでもいい。なぜ、あんたは晴日さんを殺したんだ?」




「だって、同じ学校ですよ、刑事さん。今の彼女と歩いてるときに鉢合わせたら気まずいじゃないですか。僕はせめて最後の一年くらい、何のしがらみのない大学生活を謳歌したかったんです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春を謳歌するために 澄風一成 @y-motizuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ