番外:ダンジョンの異変

ズルリ、ズルリと這う音が響き渡る。

肉を引き摺る音、だが死体を引き摺る様な音ではなく言うならば巨漢が己の体を地面や壁を引き摺る様な現象に似た、生きた生物が自分の意思で引き摺っている音が光が薄いその空間の中に響き渡る。


『グルゥオオオオオォォォォ!!!!!』


咆哮

狼が放つ遠吠えではない、強大な敵対者に向けて放つ他者を威圧させる咆哮が響き渡る。

今正しくこの瞬間、狼が強大な敵に挑もうとした時。


『縺願?遨コ縺?◆縲√#鬟ッ縲√#鬟ッ縲∝ッ?カ翫○』


聴覚を狂わせる様な重音が世界に広がる。

どうしようもないまでに重く、そして何よりも悍ましいその音は全ての生物の動きを支配する。


ぐちゃり


残酷な、肉を潰す様な音がする。

ぼりぼり、淡々と骨ごと噛み砕き続ける音がする。

ごくん、大きく飲み込む様な音がする。

それからゆっくりと肉が引き摺られる音が響き渡る。



『繧ゅ▲縺ィ鬟溘∋縺溘>』


肉が引き摺られる音の場所に向かえば、そこには悍ましくそして醜悪な怪物が自身の体を引き摺って地面を、壁を傷つけながら徘徊していた。

そのだぼっと垂れた腹部は乾いた血が染み付き、その正気を感じさせないその頭からは鮮血が滴り、その口から発される音は生物を狂わせる様な重音だった。

言葉にならず、だがそれでも何らかの意思が伝わる様なその重音は、その怪物が徘徊する空間で生まれた自我なき生物を恐慌させて、異変を引き起こした。


ウサギが、狼が、猿が、ゴブリンが、オークが、蝙蝠が、蛇が、蜘蛛が、獅子が、あらゆる生物が理性を失い本能で自害、あるいは怪物への特攻を始める。

その怪物が徘徊した後は鮮血が広がり、地面を壁を真っ赤に染めていた。



『縺ゅ?√≠縲∵眠縺励>縺秘」ッ縲りヲ九▽縺代◆縲?」溘∋繧九??」溘∋繧九?』


ゆっくり体を引き摺っていた怪物が目を異常なまでに大きく見開き、壁を巻き込みながら駆け出す。

その異様さしか感じない巨体からは想像も出来ないほどの異常とも言える速度で駆けて行く。

途中で硬直した生物を轢き潰し、それらに一切の興味を示すことが無いまま止まることなく走る。


「え“!? な、何だあれ!?」

「ひっ!!」

「逃げるぞ!! あんなの相手にしてられん!!!」


怪物が駆け出して行った先にいたのは三人の人間。

恐怖しながら、それでも逃走の一手を打とうとしたその冷静さは並の生物と比べ物にならないほど優秀であったが、悲しきかな運命は変わらない。

人間を見つけた時点でその口を大きく開けて、食い散らかした後の肉片と絶えず湧き出る唾液を撒き散らしながら人間たちに向かっている。


ぐちゃり、ぼり、ぼり


残酷な運命を告げる悍ましき音が鳴り響く。

異常に伸びる腕部を伸ばして逃げる人間の足を降り、逃げられなくなった人間を一人ずつ掴み取って怪物は口の中に放り込んでいく。

恐慌し必死に逃げようとする人間を嘲笑うかの様にゆっくりと掴み取り、一息に貪り尽くしていく。



あっさりと食い尽くした。満たされない。

それは当然の理だった、怪物の巨体から考えれば人間三人など腹の足しにもならない。だがそんな事実を飢えに飢えた怪物は理解出来ない、認めることができない。だから、嘆きと怒りを込めて音を響かせる。


『繧ゅ▲縺ィ縲√b縺」縺ィ縲?」溘o縺帙m縺』


赤子が泣き喚くかの様に大きく、だが赤子の泣き声の様に命の育みを示す音ではない、残酷にそして醜悪に己の欲望が満たされない事への怒りの泣き声である。

あまりにも悍ましく、あまりにも醜悪である。

満たされることが決して無い欲望を必死に満たそうと踠き続け、醜く歪み切った己自身を理解しようともせずにいる怪物の、なんと憐れな事か。


だがなによりも憐れなのは、常なる物では決して怪物を殺せない事実だろう。

人間を食らうために地面を壁を傷つけながら走ったその体は出血をしていたはずだったが、その肉体はドロドロとした血が滴っている以外に傷はない。

嘆き怒り暴れる怪物がその手足を千切れるまで振り回すが千切れた先からその手足は即座に元通りになる。


一時間か一日か一週間か

経過した時間は定かでは無いが、怪物は暴れるのを止めて再び徘徊を再開する。己の嗅覚を刺激する、人間の匂いが沢山する上に向かって、ズルリズルリと巨体を引き摺りながら。



────────────────────────



地上にある地下へと続く大穴の横に建てられた冒険者ギルドの防音性の会議室。

そこに六人の人間が集まり、話し合っていた。

それぞれの手元に置かれた紙に書かれているのは、ダンジョンの異変に関する調査報告。


「……スタンピードではないようだが、それ以上にやばい状況の様だな」


スキンヘッドの大男が静かに紙を眺めながらそう声を出す。その視線の先に書いてある内容は

【ダンジョン内のモンスターの数が激減。更に発見したモンスターは全員恐慌状態に陥っており、一切の身動きを取らない。下層に向かったBランク冒険者の消息が完全に途絶えた。残骸の発見も出来ず】

そう書き纏められていた。


「…取り敢えず、上層の冒険者は全員撤退させませんか?」

「いや、中層以下に潜っている奴らも撤退させるべきであろう。最初の異変報告が深層入り口であったのに対し、Bランクが屠られたのは下層だ」

「む? すまない見落としていた様だ。

そうなると、異変の正体は上がって来ているのか?」

「認めたくはないが、そうらしい」


スキンヘッドに続く様に全身白の鎧と黒の甲冑が話し始める。会議の場で何故フルアーマーでいるのかは分からないが、至極真面目に対応策を話している。

特に深層から上に向けて上がって来ているという事実を理解して、声色は少しばかしではあるが強張り始めている。


「私は取り敢えずババ様に連絡を入れるし、警邏隊にも連絡を入れておいた方がいいんじゃないの?」

「いや、それは止めておこう。市民を混乱させてはまずいし、最悪人が密集して十全に戦えなくなる可能性が出てくる」

「え? そんな事起こる?」

「起こるぞ。少なくとも俺は竜を殺す時に、一度市民が集まりすぎて戦い難かった」

「うへぇ、人気者は可哀想ですねぇ」

「変わってくれても、良いんだぞ?」

「結構でーす」


大きなトンガリ帽子の少女と槍を片手に担いだ傷だらけの男がそんな会話を進めていく。

和気藹々とでも言うべきか、少なくとも真面目な雰囲気に染まっているこの空間に相応しいとは言えない話し方ではあるが、両者の意識は報告者に向き続け何かを考えているであろう事が分かる。

凝り固まりかけた雰囲気を解す役割を担っているのだろう、明るい調子の彼らを見るにそう考えられる。


「スタラ、お前はどう考える?」


各々が話し合っていく中、スキンヘッドの男は沈黙を維持して報告書を読み続けていた男にそう話す。

話しかけられた男は、静かな報告書を机の上に置きながら言葉を紡いでいく。


「地上で迎え撃つのが最良だろう。

未知数の敵を相手に視界が狭く、移動も制限されるダンジョンで相手にするのは間違いなく愚策だ」

「ほう、それで?」

「Bランクでサポート、Aランクで戦闘補助、Sランクで主戦闘。この形式がおそらく、一番被害が少ないと思う...いや、二番目に被害が少ないな」

「ふむ、ちなみに一番の方法は?」


言外にSランクでは被害が発生すると言ったスタラと呼ばれた男に対して、スキンヘッドは淡々と一番被害が少ない方法を聞き出す。それまで話し合っていた他の四名も静かに視線をスタラに向けている。

それを感じ取りながら、静かに話し始める。


「ロスプロブ商会の賓客、黒い翼を持った竜人族に似た男にこの異変を解決してもらう。あの男ならば、おそらく半日も掛けずにこの異変の正体を殺して、ダンジョンを元通りの環境に戻せるだろう」


まぁ、その男が望む対価を用意出来る訳がないが。

そう締めて、スタラは椅子の背もたれに全身を預けていく。その話を聞いた五人のうち三人は疑問に思っている様だが残った二人、スキンヘッドと白の鎧は納得がいった様に頷いている。

抑えてくれていたのだろうが、それでも抑えきれない理外に実力を晒していたあの男ならば、確かに容易であろうなと。


「取り敢えず、ダンジョン内を立ち入り禁止にして即座に動ける様に準備をする。これは特務案件として通しておくからお前達も準備しておいてくれ。

スタラ、その男に連絡は出来るか?」

「無理だ。現在ロスプロブ商会にいるのは把握しているが、流石にあの商会を敵に回したくない。それにあの男の機嫌を損ねれば、おそらくダンジョンから何かが飛び出てくるよりも先にこの街が終わる」

「そうか、ならばスタラの二番目の策を実行しようと思うが、異論はあるか? ないならば外に出て準備を始めてくれ」


そうスキンヘッドが言い終えれば誰も異論がない様で静かに会議室の外に向かって歩いていく。

全員が退室し、一人になったスキンヘッドは背もたれに全身を預けながら大きく息を吐いて天井を見る。

大仕事が始まる、その前のちょっとした休憩を取るためにゆっくりと目を閉じていく。

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