元凶
森の中の泉、その中心で女は笑い。
下らない命の結末を笑い、下らない戦士の誇りを咲い、下らない文化を嗤う。
空中に複数の光景を浮かべながらわらい続ける。
そして自らが座る水面を強く叩きつける。
怒りを込めて、憎しみを込めて叩きつける。
水面にヒビが入り、ゆっくりと直っていく中で女は一つの映し出された光景を睨みつける。
そこに映し出されたのは赤い目の男。
魔法を介していても感じ取れる、この世界の全てを重ねても足りない呪いの塊の化身。
ドラコー・ウルティム・スペー。
手を出せば殺される、過度に干渉すれば汚染される、ガラクタの様に簡単に潰される。
見るまでも無く理解出来るその存在を、ただただ女は魔法を通じて睨みつける事しかできない。
女の名はフロイリヒ、フロイリヒ・ファウダー。
純粋にして純潔な翡翠の泉にて繁栄の神の力が宿った霊石を管理する水の精霊。
加虐心に目覚めてしまった欠陥の精霊。神が世界に干渉出来ないという事実を利用して、自分が享楽を見出した命を弄ぶ事を楽しむ異常精霊。
ゴブリンたちがトロルに襲撃され、喰い殺されたその全ての原因を作り出した怪物。
『はぁー、あんなカスみたいな醜悪生物なんて助けなくていいのに。それどころか傘下に加えて? 鍛錬まで付けてるとか馬鹿じゃねぇの?
あぁー、ほんっとうに下らねぇ。碌に挑戦者が来ないから丁度いい暇つぶしだったのに、何で態々この森に立ち入ってんだよ、クソかよ』
フロイリヒは手元に抱えた翡翠の鉱石を握り潰しながらそう吐き捨てる。
空中に浮かび上がらせていた光景は三つを残してそれ以外は消し去り、その内一つのドラコーとゴブリンたちが映った光景には目も暮れず残り二つに目を向けて、魔法を通じて干渉している。
『声帯は潰しておいてっと、ついでにもうちょっと思考の方も愚図にしておくか。何でも噛みついて喰らう様に指向性を持たせておいて、動きは少しだけ機敏になる様に変化させておいてっと。
こっちの愚図共はこんなものでいいか』
目を向けている内の片方、水の檻に拘束されたトロルたちに赤や緑色に光る魔法での干渉をし、それからトロルたちを檻から解放する。
解放されたトロルたちはのそりと歩き出し、ゆっくりと揃って同じ方角へと歩き始める。その道すがら木に止まった鳥を止まっている木ごと喰らい付き、地面を掘って潜っているネズミを地面ごと喰らい付く。
その姿には知性を感じず、もはや食べる為に動く機械の様にトロルたちは歩いていく。
『キャハッ、いいじゃん愚図にしては面白いし、最初からこうしておけば良かったわね。
さてさてこいつらはっと、捻じ曲げちゃおっかな?
私による干渉だって分からないようにしつつ、取り敢えず言語中枢は潰して表層意識も分からないようにしておこっかな。後はー、欲望方面を全部増幅させてっと、それ全部をこっちに向けるようにしておいてと。
……ん? わぁすっごい、流石は上位生物。魔法を介して尚且つ不可視なのにこっちを認識してる。
まぁどうでもいいけど、どうしようもないしね』
生物を捻じ曲げる、ドラコーが血を使って行う儀式と全く違う、生物を思うがままに作り変える。
本来ならば声を発して、言葉を紡ぐ事が出来た生物の声帯を潰し、言葉を使う事が出来た知能を薄弱にさせる。繁栄、生物がより長くそして広く生き続けられる様にする為に使われる筈だった神の権能を、己の享楽の為だけにフロイリヒという怪物は利用している。
今もまた生物の在り方を捻じ曲げ、己が見たいと思っている光景を作り出そうとしている。
フロイリヒ・ファウダー
彼女は最初からこのような加虐心に目覚めて、生物たちを捻じ曲げて楽しんでいた訳ではない。
最初の彼女は森を作り出し、多くの草食動物達が生き続けられるように森を管理していた、比較的心優しい精霊の内一人であった。
ゴブリンたちの祖先が流れ着いた時も受け入れ、繁栄出来るように霊石を使うくらいの温情があった。トロルの祖先が訪れた時も同じように受け入れ、過干渉が起きないように他の生物たちからは少し離れた、大峡谷近くの場所に彼らを誘導していた。
では一体何が起きたのか、何が原因で彼女は異常になったのか。
端的に言うと死にかけの人間を見つけてしまった。
四肢は黒焦げ、胴体は喰い千切られ、動くには這い蹲って動くしか無い人間を見つけてしまった。
その時の彼女はその人間を憐れに思い、魔法による治療を施し、立ち上がることが出来る程度までは回復させて上げた。
その後人間は狼、ネズミに、怪鳥に襲われた。
絶叫を上げて、苦しみに顔を歪め、ど絶望を顔に浮かべた瞬間を見た。見てしまった。
その苦しみ、絶望する人間を素敵に思い、そして彼女の加虐心は目覚めた。目覚めて、作りたいと思った。
そうした彼女が最初に行ったのは、森の中の光を根絶することであった。
光を失えば生物は迷う、この森にある水場は自身が住まう泉と地下の水溜りだけである。普通の生物ならば態々地下深くまで水を求めて掘ることなどせず、簡単に手に入る泉を求めて動く筈だと彼女は考え、光を奪い去った。
それだけでは簡単に辿り着く者が多かったので、泉周辺の森部分に方向感覚を失わせる結界を構築した。
すると森の外から来た生物が脱水し、遂には木の幹から微弱に流れる水に縋り付く様を見た。
その時彼女は生まれて初めて笑った。
その瞬間彼女は加虐心に享楽を見出した。
そこから彼女は捻じ曲がっていった。
死にかけの生物を治療し、その直後に命を奪う。
泉の性質を作り変え、人間への毒性を付与させる。
死に掛けの状態でさらに脅威となる生物を嗾ける。
逆に死に掛けの状態の生物を嗾け、殺すか生かすかの判断を委ねて、何にしても目の前で殺した。
霊石の力を強引に増幅させ、それを人間に与えてその末路を眺めた。
異常は彼女にとっての正常に成り果てた。
彼女にとって自身以外は全て弄び、彼女の加虐心を満たす為の物になった。
彼女はこの森の王になった。
彼女の真名はフロイリヒ・ファウダー。
フロイリヒは翡翠の泉の精霊として純粋で純真で純潔で純情な魂を型取り、穢れの無い心優しい精霊である様にという彼女の創造主の想いが込められていた。
そしてその美しき名に繋がるのはファウダー。命の繁栄という使命を捨て去り、己が欲求の為に命を弄ぶ存在へと、繁栄の神が自らの罪と罰の証明として重ねた彼女のあり方を固定する名前。
命弄ぶ悪霊フロイリヒ・ファウダー
今の彼女を正しく記すのならばそうなる。
少なくとも彼女の創造主はその様に定め、天井の神々はそれを承認した。フロイリヒ・ファウダーは死なずの精霊では無くなり、滅するべき悪霊に成り果てた。
かつての儚くも美しかった薄い笑みは消え失せ、残虐で残酷で酷薄で醜悪な笑みとなった。
悲しきかな、精霊で無くなった時点で彼女を守る物は残り一つしか無く、それが彼女の手の中から失われれば、彼女に待ち受けるのは一つの運命である。
「………………あぁ、此処にあるのか」
そして、それは静かに彼女の認識の外で確定した。
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どうも作者です。
取り敢えずこれで一章の前半終了ですね。
という事で精霊さんは、一章のラスボスでした。
なのでグレイスは精霊の事が嫌いだったし、主人公も別れた後は一貫して精霊呼びでしたし、そもそも最初の挨拶以外では名前を聞こうともしませんでした。
そう言うわけでお疲れ様でした、次回以降もどうぞお楽しみ下さいませ。作者でした。
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