夢の顕現 四

 足の怪我が治るまでに、それから暫くかかった。だが、もう完全に治癒している。陸王りくおうを心配して傍についていた紫雲しうんを尻目に立ち上がって、二度三度と足を踏みならす。そうしても、もう痛みはなかった。


 骨折も裂傷も全て治っている。


「陸王さん、もう大丈夫なんですか?」


 立ち上がり、紫雲が問うてきた。



 しかし、陸王はそれを無視して、瓦礫の山へ向かった。そこから吉宗が呼ぶ音がするからだ。


 瓦礫を乱暴に崩していると、紫雲がやって来た。


「ここに雷韋らい君がいるんですか?」


 陸王が迷いもなく向かった先だ。何かあると思うのが普通だろう。けれど、陸王は答えず、黙々と瓦礫を退かせていくだけだった。


 そんな陸王に焦れて、紫雲は黙って手を貸した。その際、陸王がちらと視線を向けてきたが、最早、紫雲もそれを気にしなかった。


 暫く二人は黙々と手を動かしていたが、その結果、姿を現したのは吉宗だった。まだ半分ほどしか姿を現してはいないが、陸王は引き抜けると踏んで、吉宗の鞘を掴んでそれを引き抜いた。引き抜く際、鞘に多少の傷がついたが、それは想定内だ。


「それは……? 貴方が探していたのはその刀だったんですか?」


 紫雲は驚き呆れて、半ば憤る。


 陸王はそれに対して特に気にすることもなく、黙ったまま瓦礫で出来た道を歩いて行った。雷韋を追うために。


「陸王さん!」


 背後から紫雲の声が追ってきたが、そんなものは無視する。相手をするだけ時間の無駄だ。


 今はただ、雷韋のもとへ急ぐのが先決だった。そのほかのことはあと回しでいい。


 胸の中が苛つきと焦燥に蝕まれて、陸王はいつしか走り出していた。


 町並みは大きく崩れ去っている。進めば進むほど、町は大きく崩れていた。火の手が上がっている場所も多い。


 やがて、城壁に辿り着いたがそこも酷く崩れはてていた。


          **********


 目を開けたとき、そこには空が広がっていた。


 真っ青な青空に、雲がいくつか浮かんでいる。


 上空は風の流れが早いのか、浮かんでいる雲はどんどん流れていった。


 雷韋は何が何やら分からずに、ただそこでぼうとしていることしか出来ない。ここはどこなのか、自分はどうしてここにいるのか。そんなことを考えることすら出来なかった。


 空を見上げながら、からっぽの頭で雷韋は何度も瞬きを繰り返していた。


 そうしているうちに、辺りから人の声が聞こえ始めた。


 それも話し声ではない。


 呻き声だ。


 大勢の。


 それに気付いて、雷韋は頭を動かした。途端、全身が粟立つ。大勢の人が傷付き、倒れ伏しているこの光景。見たことがある。頭の中の光景と、今目にしている光景を擦り合わせてみれば、それは夢だ。


 夢の中の光景が、同じ形で眼前に広がっている。


 雷韋は驚きのあまり、声すら出なかった。


 一気に夢を思い出し、辺りに目を馳せる。目を馳せたお陰で、ここが森だと言うことが分かった。それにしてはやけに開けているとは思ったが。いや、それすら夢の中と同じだ。そして大勢の人がいる。


 だが、雷韋はさっきから自分の身体がほとんど動かないことに気付いた。


 身体中が痛い。


 鋭い痛み、鈍い痛み、両方がない交ぜになって。


 と、倒れているはずなのに、頭がくらりとした。もっと正確に言うならば、横になっているはずなのに、平衡感覚を失ったような感じだ。その感覚に耐えきれず、雷韋は目を閉じた。


 目を閉じたのに、一向にぐらぐらする感覚が消えていかない。それどころか、酷くなる一方だった。息を詰めてやり過ごそうとするも、今度は酸欠で頭がくらくらしてくる。人の呻き声も、歪んで聞こえてくる始末だ。


 兎に角、気持ちを落ち着けようと思った。


 一体何がどうしたのかと思ったとき、誰かが小走りに走ってくる音が聞こえた。その歩幅からして、かなり小さい。それが呻きの中からやってくる。


 頭がぐらぐらするままに何者かと思って薄く目を開けると、真っ先に真っ赤な瞳が目に飛び込んできた。同時に、その目から目を離せなくなった。身体の芯から恐怖が湧き上がってくるにもかかわらず、目を逸らすことすら出来ない。


 まるで、蛇に睨まれた蛙の如しだ。雷韋の瞳が常の深い琥珀色から、警戒色の毒々しい黄色へと変色した。


 それは頭が異様に大きな小男で、いや、小男と言うよりも、幼児の身体に大人の頭が乗っているようなていだった。額は狭く、団子っ鼻の鼻の穴は膨らみ、半開きになっている唇の間からは鋭い牙が見えていた。髪は櫛など通したこともないだろう蓬髪ほうはつだ。


 それが血を滴らせたような紅い瞳で見下ろしてくる。間違いなく、魔族だ。血肉を喰らい、人族を殺す絶対的な化け物。


「さっきからいい匂いがすると思ってたのは、おめぇからかぁ。しかも獣の眷属だなぁ。獣の眷属もよく喰らったが、こんないい匂いを嗅いだのは初めてだ。こりゃ、肉もさぞかし旨いだろうなぁ」


 低いぼそぼそ声でそう言って、にたりと笑う。


 雷韋にはその笑みさえも気持ち悪く、怖かった。


「人間を攫ってくるだけのつもりだったが、おめぇみたいなのが混じってたなんてなぁ。はついてんなぁ」


 甲高い笑い声を漏らす。笑いを漏らして、雷韋の顔に顔を近づけるようにしゃがみ込んできた。そしてあろうことか、雷韋の頬を幼児の指先で撫で上げてきた。だが、その指に真っ黒な液体がついている。


 その光景に、雷韋ははっとした。


 怪我をしているのだ。身体中、至る所に。打撲もあるだろうが、切り傷もある。魔族が今雷韋の頬からすくい取ったのは黒い液体だった。それは雷韋の流した血だ。


 鬼族は魔族の発する魔気まき、つまり瘴気の一種だが、それを受けると、一瞬にして血が黒く濁って意識を失う。だが今は身体のあちこちに傷があるのだ。そこから濁った血液が流れ出しているのだろう。身体は濁った体液を外へ排出しようとするし、それとは逆に、新鮮で正常な血液を凄まじい速度で作り出す。


 横になっていても平衡感覚を狂わせる原因は、魔気だったのだ。目に見えるわけでもなく、臭いを嗅ぐことも無意味な瘴気。それを受けたからこそ、身体は不調を訴えてきた。そして、魔気に冒されながらも意識を保っていること自体が、怪我を負っている証拠なのだ。血を流してでもいなければ、今頃、昏倒している。


 そもそも、魔族が言ったのではなかったか? いい匂いがすると。それは雷韋の血の匂いだ。魔族にとって鬼族は最高の獲物なのだから、匂いがよく感じられて当然だった。


 雷韋がそれらを一瞬のうちに頭に巡らせるのと、魔族が黒く変色した雷韋の血を舐め取るのが同時だった。


 魔族は雷韋の血を舐め取り、宙に視線をやったまま動かなくなった。どこか呆然としているようにも見える。だが、次の瞬間、叫んだ。


「なんだ、この血はぁ。今までに味わったことのねぇ旨さじゃねぇかぁ。匂いだけじゃなく、味もこんなにいいなんてなぁ。甘い。旨い!」


 そう叫んで、魔族はその場で踊り出した。不均衡の身体を揺すって。


「こんな、こんな獲物は初めてだぁ。はついてる、はついてる。こんなに旨いものが喰えるなんてついてるぞぉ」


 最後に一声吠えて、雷韋を再び見下ろす。


「でもなぁ、お前は最後にとっておくぅ。人間共を喰ったら、そのあと、一番最後に喰らってやるからなぁ」


 踊り疲れて息を切らしてそう言うと、魔族は両腕を広げた。すると、腕の下に黒い空間が出来て、中から豹の頭が覗いた。それはまるで出る空間が狭いとでも言うかのように不服げに喉を鳴らしたが、魔族は一向に構っていなかった。


「来い、来い」と呟きつつ、豹の頭をした生き物を呼び続けた。

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